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第76話

   翌朝の回診にはラウルの担当医が勢ぞろいした。一様に険しい表情を浮かべていて、カイルはたじろいだ。  ともあれ診察の邪魔にならないように、と部屋の隅でかしこまる。医師たちがベッドを取り囲んで意味深長な目配せを交わすさまに、うなじの産毛がちりちりと逆立って仕方がない。  なぜ、誰も口を利かないのだろう。樹皮症という診断が下ったときですら、それなりになごやかな雰囲気が漂っていたのとは大違いだ。  楊搏文(ヤンボウエン)がラウルをうつぶせにひっくり返し、仰向けに横たえなおし、四肢を順ぐりに持ちあげる。  しかし当の本人は抵抗するどころか、なすがままだ。医師たちが鋭い口調で、ただし囁き交わす。  ただならぬ様子にむくむくと不安が膨らみ、カイルは狼の牙を握りしめて堪え忍んだ。  窓の外で笑い声があがった。対照的に水底(みなそこ)のような静けさに包まれた室内に咳払いが響いた。  最終的な結論に達したというふうに市村が半歩、前に出た。らしくもなく口ごもり、せかせかと眼鏡を押しあげてから切り出す。 「我々の総意を伝える」    慇懃な手つきで、テーブルの上に書類が置かれた。カイルは、同意書とあるそれと市村を見較べた。 「ゆくゆくは献体してもらいたい。ありていに言えば樹皮症の謎を解明するために、ラウルくんを解剖する許可を願いたい」  解剖という言葉が何を指し、その具体的な内容を正しく理解するにつれて血の気がひいていく。  次の瞬間、頬が濃い薔薇色に染まった。カイルはベッドと医師たちの間に割って入ると、あらゆる脅威からラウルを護るように腕を大きく広げた。 「ラウルを切り刻む!? あんたたちはみんな頭がおかしい、ふざけるな!」 「彼の躰は超一級の試料、人類の宝なんです。医学の発展に寄与することは、彼にとっても名誉なことなんですよ」    と、サミュエル・モローがにこやかにこう言い、崔浩然(ツイハオラン)がしたり顔で話を引き取る。 「彼の医療費が公費で賄われてるのは知っているね。先行投資と言えば語弊があるけれど、ここはひとつ相互扶助の精神を重んじようではないですか」 「脅迫して、卑怯だ。医療費なら、おれが働いて耳をそろえて返す。ラウルには指一本触れさせない、絶対に、絶対にっ」  カイルは同意書をびりびりに引き裂き、すると楊が、これ見よがしに樹皮状のものをつまんだ。 「きみのお姉さんは、彼を見捨てて逃げたね。郷里に留まったままでいれば、迷信深い村人に疎んじられて、病名さえわからずじまいで無駄死にしていた公算が大きい。ところが最期まで手厚い看護を受けられる。で、あれば協力してもバチは当たらないと思うがね」 「あんたたちの都合を押しつけるな!」  解剖する方向で、ということで合意に達したといっても、強硬派と穏健派に意見が分かれている節がある。  カイルは視線で射殺すように、強硬派に(くみ)する三人の男性医師を順番に睨んだ。アイリーン・リーは後者に属するとみえて、目が合うと後ろめたげにうつむいた。  蜂蜜色の髪が瞋恚(しんい)(ほむら)のごとく、怒りに燃える顔を縁取る。カイルは、なだめるように肩に触れてきた市村の手をなぎ払い、憤然と彼に向き直った。  中立的な立場をとっていても所詮、こいつも同じ穴の(むじな)だ。 「先生をけっこう信用してたのに見損なった。ラウルが即座に拒否できるころは黙ってて、今になって重大な決断を迫って、汚い!」 「弁解はしない。だが、カイルくん、きみに嫌われるのはこたえるな」  レンズの奥の瞳を苦悩の影がよぎった。 「みんな出ていけ。ラウルにさわるな」  と、叫ぶが早いか、全員まとめて追い出す勢いでサミュエル・モローに摑みかかっていくと、 「山猿はすぐに手が出て困る」  崔が背後に回り、羽交い絞めに引きはがしにかかる。楊も加わって、もみ合いになった。  三対一では勝ち目がない。カイルは遮二無二もがき、ところがドサクサにまぎれて胸倉を摑まれた。  そのはずみにロケットペンダントの鎖がちぎれて、ロケットの部分が床に叩きつけられた。衝撃で蓋が開き、宝物の髪の毛が散らばった。

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