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第77話

 カイルは真っ青になって這いつくばり、大あわてで拾い集めた。その隙にサミュエル・モローと崔と楊がベッドを取り巻いて、ああだ、こうだと、かまびすしい。  そのとき、ラウルがゆるゆると目をあけた。やや遅れてモニターが明るくなり、文字が浮かぶ。 〈にぎやかだな、なんの騒ぎだ〉。 「起こして、ごめん。ヤブ医者連中がラウルを実験材料にするって言い出して、おれはもちろん反対で、やり合ってた」    市村は、再び拳を固めるカイルを身ぶりで制するとともに、 「寄ってたかって、みっともない。場所柄をわきまえたまえ」  三人の男性医師に反論する余地すら与えないほどの冷ややかな目を向けた。そして彼らを押し分けると、枕元で腰をかがめる。 「ラウルくん、極力きみの意思を尊重したい。仮に、仮にだ。終焉を迎えて以降、きみは、きみの躰をどう扱ってほしい」    間髪を容れずに返答が綴られていく。 〈羊飼いは大地に埋葬されるのが村のしきたりだ。俺も土に還るのが望みだ〉。 「あきらめな、ラウルもこう言ってる。医学の発展? そんなもの、くそ食らえだ」 「文字通りの植物人間に判断力があるとは思えない。一考に値しますかね」  崔が嗤笑を交じえて口を挟み、カイルは彼に詰め寄った。しっ、とアイリーン・リーが唇の前で人差し指を立てるのと前後して、カーソルがめまぐるしく動きだす。 〈帰りたい、なつかしい故郷に。帰りたい、家族のもとに。検査だ、手術だって躰をいじりまわされるのは、うんざりだ!〉。    モニターそのものが慟哭に震えているようで、アイリーン・リーが目頭を押さえた。強硬派の三人は貧乏ゆすりをしたり、手帳に何かを書きつけたり、ⅠDカードを裏返したり、と落ち着きを失った。 〈俺の望みはもういちど裸足で草原を駆け回り、カイルと太陽の下で愛し合うことだ〉。  そう綴られるか綴られないかのうちに、カイルはベッドに飛び乗った。ラウルをかき抱いて、至る所にくちづける。 「任せて。何がなんでも村につれて帰る」  そう断言し、狼の牙で親指の腹を切って、鮮血をひとすじ頬に()いた。草原流の誓いの印を認めると安心した様子で、モニターがふっつりと暗くなった。  市村が破り捨てられた同意書をひとまとめにポケットにねじ込んだ。 「決定権はラウルくんにあることを忘れて、ごり押しするなどもっての外だ。この件は保留にする、異論はないな」    鶴のひと声だった。市村は不平分子を睥睨(へいげい)して黙らせてしまうと、臣下を従えて()を進めるように先頭に立って病室を後にする。  ラウルくんの意向を汲んで強硬派を説き伏せてみせる、協力してくれることを願う。どちらとも取れる笑みを微かに浮かべて、ドア口でいちどカイルを振り返った。  アイリーン・リーが後につづきしな、不意に立ち止まった。 「これを言っておかないとフェアじゃないわ。解剖の是非をめぐって会議は紛糾したの。市村先生は特に悩んでいらした。医学的な見地に立てばきれい事も言ってはいられないけれど、あなた方に無理を強いるのは良心がとがめる。難しい立場なのよ、察してあげて」   「解剖に乗り気じゃないのは、なんとなくわかった。でもに、でしゃばる偽善者も解剖に賛成なんだよね?飴と鞭でおれを丸め込もうとしているんだったら、その手には乗らない。お生憎さまだ」  痛烈に皮肉られて、アイリーン・リーは床を踏み鳴らしながら立ち去った。  やがて静寂が戻った。カイルはラウルに添い寝をすると、天幕を張るように毛布を広げた中に閉じこもった。  雑音を遮断してしまえば、そこはふたりきりの世界だ。秘密基地のような中で絶え間なく愛を囁き、玉響(たまゆら)の幸福にひたる。

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