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ルビー・アップル

誰かいいお相手いないんですか?  可愛い彼女とかいないの?  いざ飲み会に行くとこれだ。水落は参加したことを後悔していた。  分かりやすく舌打ちするも、酒でリミッターが切れた酔っ払いには伝わらず、まだ素面の隣の後輩を怯えさせる結果となった。違う。そっちではない。 「……いねーよ、そんなの」 「おっ、水落フリーだってよ」 「だったらぁ、私と付き合いません?」 「そういうのも興味ねーから」  仕事以外ではろくに喋ったこともない女性社員からのアプローチをはね除けて、ビールを煽る。生のはずなのに、あまり美味しくないのはどうしてなのか。  いい人はいる。可愛い彼女はいない。  ……恋人はいる。  水落のそんな真実に気付く者はどれくらいいるのだろう。きっと誰もいないし、水落の秘密に辿り着ける者もいやしない。 (俺の恋人の久遠という男がどれだけいい男なのか知らしめたい。俺よかほんの少しでかいくせに無駄に世話焼きで、馬鹿みたいに手先が器用で、毎回毎回処女相手にしてんのかよってくらい優しいんだぞ、アイツ)  ろくに本人には愛も囁けないくせに、一丁前に恋人自慢はしたい。ツンデレなのか、と水落は自問自答した。答えはイエスだった。  頭の中で誰かが太鼓を叩いているようにガンガン響いているし、目の前の豪華な料理にも箸が進まない。帰りたいなぁ、と呟く。  会社の連中とはしゃぐのは楽しい。そうじゃなかったら、飲み会なんて最初から来ない。  水落は透明なグラスに中途半端に残ったビールを煽って、テーブルに突っ伏す。こうして飲むとよく分かる。酒は店でわいわい騒ぎながら飲むより、自宅でゆっくり飲む方が向いている。  あのマンションの一室で安いビールとコンビニで買ったつまみがあるだけで水落は幸せだったのだ。久遠がいるから。 「水落さんが死んだ……」 「水落って酒弱かったんだなぁ」 「誰か水落送る係決めるか」  なんて周りが話していた時だ。店員の「いらっしゃいませー。お一人様ですか?」という声が聞こえた。こんな団体向けの飲み屋に一人でくるとは、どんな猛者だ。気になって顔を上げる。 「あ、いたいた。水落、お前随分飲んだんだな」 「久遠……」  スーパーのレジ袋提げてこちらへ歩いてくる男は、水落の幻覚でなければ久遠本人だ。どうして来ているんだと困惑していると、久遠が呆れたように溜息をついた。 「お前が来てくれってメール送ったんだろ」 「そうだっけ」 「そんなのも覚えてないのかよ。こっちは買い物してる最中だったの切り上げて、急いできたのに」  スマホを確認してみると、水落は確かに久遠へメールを送っていた。いつ送ったのか記憶にはない。  しかも、文章はなくて店の名前と住所しか打たれていない。  こんなメールを寄越されただけでわざわざ来たのかと、水落の頬は熱くなっていく。  飲み会のまとめ役が困惑しつつ久遠に何かを聞こうとするより先に、水落が叫んだ。 「このっ……ふざけんな!」  その怒号に周囲が静まり返るし、久遠も驚いた表情を見せる。水落は止まらない。 「来んのがおせーよ! もっと早く来いよ、バカ!」  ああ、泣きそうだ。あんなメールをもらっただけで来てくれた久遠の優しさにも、素直にありがとうとも言えない自分の情けなさにも。 「……うん。悪ぃ、ちょっと遅れた」  水落の心を全て見透かしたかのように微笑う久遠を見て、目頭が熱くなる。帰りたい。もう帰ろう。 「すいません、こいつ加減知らないから外で飲むとすぐに吐くんですよ。何で先に帰らせますね。多分、今こいつその一歩手前なんで」  ギャー、とその光景を想像した誰かが叫んだ。 「あっ、そうなの? なら悪いけど引き取ってもらえるかな、お友達さん?」 「………………」  お友達、そうか。傍目からはお友達でしかないのか。  まとめ役の「お友達さん」という呼び名は思ったよりも、水落の胸を抉った。金は先にメンバー全員で出し合っているので、あとは帰るだけだ。逃げるように店から出ていく。 「馬鹿野郎。本当にテメーは馬鹿野郎だ。何ですぐに来てくれないんだよ」 「悪ぃ悪ぃ。明日お前も休みだろ。好きなの何でも作ってやるから許してくれって」  シャッターが閉められた店が立ち並ぶ商店街を練り歩く。普通は通らない道だ。本当は深夜近くまでやっているスーパーやコンビニがある道の方がマンションに早く着く。なのに、水落の我儘でわざと遠回りをする。  人気がない。車のけたましいエンジン音も遠くからしか聞こえなくて、ろくに手入れもされていない街灯の弱い光だけが頼りの夜道。 「久遠、手ぇ貸せ」 「いいよ」  夜の時間の中にいる間だけは、こうして手を繋いで外を歩ける。だから水落は昼より夜が好きだった。 「久遠……」 「ん? 吐いちまうか?」 「ちげーよ。そうじゃなくて……」 「うん」 「ありがとう……」 「うん」  幸せそうに笑う久遠を白い街灯が照らす。 (ありがとうって言われたくらいでお前は幸せになれんのか。俺も幸せだけどさ)  ふとビニール袋を見下ろすと赤くて丸いのが見えた。 「林檎食わせろ」 「お前なぁ、あんだけ食って飲んで……」 「いいから」  久遠が渋ったので、自分で取り出して林檎にかじりつく。カシュッと音がして、爽やかな甘みが口に広がる。酒やら揚げ物やらで不快なことになっていた口の中がさっぱりしていく。  歩きながら両手で林檎を持ってしゃりしゃり食べ進める水落を、久遠は子供を見守る親のように見詰める。その視線に気付いた水落は食べかけの林檎を差し出した。 「……食う?」 「じゃあ、もらうな」  受け取って久遠は林檎をかじった。水落と違って一口がでかいからか、林檎はあっという間に細くなっていく。  あ、と水落は思ったが黙ることにした。迎えに来てくれたのだから好きなだけ食べさせてやることにした。 「久しぶりに食べると美味いよな、林檎って。水落にすりおろした林檎食べさせたくて買ったけど」 「何で俺に」 「お前、どうせ明日の朝は二日酔いで死んでそうだなって思ったんだよ。こういうのなら腹に入りそうだろ」  ほんの少し馬鹿にしたように笑いながら久遠は林檎の芯を握り締める。すると、それは一瞬だけ輝いてから一粒の赤い石に変わった。 「残念、ルビーか。俺はガーネットが良かったんだけどな」  そう言うわりには楽しそうにルビーを撫でる久遠には水落と同じ力がある。だが、久遠はどちらの手で握っても宝石にできるらしい。  水落よりもある程度は能力を使いこなせている。そのせいだろうか。水落には久遠が生む宝石が自分のものよりもずっと綺麗だと常に思っている。

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