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歪な恋は聖夜に始まる02
◇ ◆ ◇
洒落た間接照明が淡く部屋を染め、綺麗にメイキングされた寝台が設えられている。ドアを入って右手には小さなバーカウンター。その少し奥に、寝入る前に寛ぐのに程よい大きさのソファセットと観葉植物が置かれていた。女を口説くのにも、男を口説くのにも申し分のない真崎の寝室である。
その部屋に、設楽が足を踏み入れたのは二度目の事だった。無意識にソファの前に置かれたローテーブルへと視線を向けたのは、以前訪れた時にそこに乗っていたのが酒ではなく、様々な卑猥な玩具だったからに他ならない。
だがしかし、さすがに常時置きっぱなしにはしていないだろうという設楽の淡い期待はあっさりと裏切られ、視線を向けた先に整然と並べられたそれらに溜息しか出なかった。
「ひとつ聞いて良いか…」
「何でしょう?」
「お前、本気で売りでもやってんじゃねぇだろうな?」
吐き捨てるように言いながらソファに腰を下ろし、目の前のテーブルを設楽は顎で示した。
「恥ずかしながら…尊とのあの夜以降はひとり手慰みを…」
当然のように膝を折り、テーブルの上から玩具をひとつ取り上げて、愛おしそうに頬を寄せる。異常ともいえるそんな行為を、真崎は衒いもなく自らやってのけた。
「そんなに玩具が好きなら遊んでやるよ。今日はハーネスはなしだ」
床に座り込んだ真崎を軽々と抱え上げ、寝台の上へと放り投げる。
「あぁッ、もっと…もっとわたくしを手酷く扱ってください!」
「言われなくても使ってやるよ」
テーブルの上から無造作に掴み上げた玩具を真崎自身と同じように幾つか投げてやれば、それだけで真崎は悦びに満ちた顔をする。
「使いやすいように脚開け。それとお前、玩具だってんなら声を出すんじゃねぇ。分かったな?」
すぐさま口を噤み、コクコクと頷く真崎の瞳は既に期待に濡れていた。苦しみたいと言うのなら、幾らでも苦しませてやろうと設楽は思う。職業柄人を痛めつける事にかけて設楽は自信を持っている。何もそれは、暴力だけではないのだから。
言いつけを守ろうと脚を大きく開く真崎の姿は申し分なく欲情をそそった。
「使えねぇなお前、脚抱えるくれぇしてみせろ。それとも、罵られたくてわざとやってんのか?」
「ふ…っ、…ッ」
首を横に振ってみせながらも、とろりと溶けた視線が後者であると告げていた。わざとらしい仕草で脚を抱えた真崎の頬へと、設楽は大きな手を伸ばす。
「上等だな真崎。すぐに余裕もなく泣かせてやるよ」
手酷く扱われたいと宣う真崎の頬を、嫌がらせの如く優しく撫でる。優しくされて冷めるというのなら、幾らでも冷めればいい。どうせそれも長続きはしないのだ。むしろ設楽は、優しくしてくださいとそう懇願するほどに、真崎を欲に満ちた場所へと叩き落してやるつもりでいるのだから。
◇ ◇ ◇
設楽が無造作に片手を動かすたびに水音とくぐもった声が部屋に響く。真崎は虚ろな目で天井を見上げ、口許を設楽のもう片方の大きな掌で塞がれていた。
辛うじて脚へと添えた手。睫毛は濡れて重く、目元が腫れあがっている気がする。投げ出した脚の片方を、設楽に膝で支えられながら後孔を太い指で抉られる。
「うぅッ…ぐっ、…う゛」
「声出すなって言わなかったか?」
口だけでなく鼻まで大きな掌で覆われて、呼吸すら満足にできなかった。微かに首を振るたびに設楽は手を放してはくれるが、すぐにまた口許を塞がれるという繰り返し。
幾度となく吐き出した自身の白濁に腹を濡らした真崎を見下ろし、面白そうに設楽が笑う。
「いい加減勃たねぇんじゃ面白くもねぇな。ほら、もっと愉しませろよ」
設楽の低い声は何故だか甘く掠れて聞こえる。それが、真崎の耳には心地が良かった。
僅かに芯を残してはいるものの、脚の間に力なく揺れる雄芯を指が弾く。びくりと腰を跳ねさせながら、微かに口角を歪めてみせた。痛みが快感にすり替わり、痺れが全身へと回る。
「大したもんだな。褒美にもっと出させてやるよ」
中を穿っていた指がぐるりと弧を描くように動き、幾度も抉られて過敏になった場所を指の腹で捏ね回す。瘧にかかったように腰が小刻みに揺れた。弱音が、唇の隙間から零れ落ちる。
「あは…ぁッ、もぉ…れなぃ…ひぅっ」
真崎は、ゆるゆると頭を振る。
「あー…ぁぅ、中らめぇ…っ、あッ、ぁ、ぁ、ッひぅん…っ」
「駄目ならもっとしてやるよ。虐められんのが好きなんだろう? んん?」
――そんな…優しい声で囁かないで。
萎えるどころか自ら甘えてしまいたくなる衝動に真崎は戸惑った。設楽の声は、蜜のように甘い。今まで真崎が肌を重ねてきた誰よりも。
それなのに与えられる刺激はどれも無情なまでに冷たくて、真崎は心も躰も満たされる。不思議な男だと、そう思う。今まで会った誰かのように優しい言葉を吐くわけじゃない。だからこそ真崎は焦がれてしまう。
「あ、ああ…っ、好きッ…好きです! 尊に…壊されたい…っ」
太く節の高い指を、後孔の媚肉がきつく食んだ。既に空になった陰嚢がぎゅっと収縮する。真崎自らの意思とは掛け離れたところで、躰が刺激を欲しがり、猥らに体内の襞が収縮を繰り返す。
「あぁッ、あッ、あ――…、気持ちぃ…っ、ひぁッ、ああっ」
「勝手に一人で満足してんじゃねえよ」
声とともに乳首を貫いたピアスを無造作に摘み上げられて、真崎はつられて胸をめいっぱい反らせた。
「あぎぃ…ッ、千切れッ、ぢぎれぅ…っ、う゛ッ」
「泣くほど気持ちが良いのか?」
強烈な痛みが真崎の全身を駆け巡り、肌が総毛だつ。設楽の甘い声に耳朶を擽られ、意識せずとも真崎は悦びを露わにしていた。
「はひっ! ぁッ…ぎもち…イイッ、気持ちぃれふ…ッ」
吐き出すものなどないのに緩く勃ちあがった真崎の前を、大きな手が握り込む。
「お前には恐れ入るよ。出すもんもねぇのになぁ?」
「ひやぁ…っ、あ゛ッ、こしゅらないれくらしゃ…ああッ、れないっ、もぉれないぃいいッ!」
「良い声だ。もっと啼かせてやる」
設楽の逞しい腕に脚を持ち上げられて、貫かれる事を想像しただけで真崎の全身を期待が満たす。指を引き抜かれて物足りない後孔がひくりと欲しがるように震えている気さえした。
「尊っ、尊ぉ…! わたくひの、はしたない穴が疼いて…っ、ああッ、貴方に…壊されたいッ」
「オラ、望み通りくれてやるよ…ッ」
「あぁああッ、あ゛…っひぃ、ぎもちいいッ…尊!!」
大きな躰に見合った質量が体内を満たし、最奥まで穿たれる。これまでに感じたこともないほどの衝撃が、真崎の足の先から頭の天辺までを一気に駆け上がった。
とろりと雄芯の先端から色をなくした雫が滴り落ちて、設楽が可笑しそうに笑う。
「お前は最高の玩具だよ真崎」
つ…と眦から透明な雫が落ちるのを、設楽の舌先が優しく拭う。鼓膜から入り込んだ低い言葉がすべてを満たすように全身へと広がっていった。
「ぁ…あぁ…みことぉ…あぃがとぉございま…ぁッ、わたくひは…しあわせぇふ…」
「そりゃあ良かったな。だが、俺はまだ満足しちゃいねぇんだよ…ッ。勝手にぶっ飛んでんじゃねえぞオラッ」
「あ゛…ッ! あッ、あ、ぁ、ッ――…!」
容赦のない設楽の突き上げに真崎はなす術もなく揺さぶられる。閉じる事さえできない唇からは、言葉にならない声と息。
まさに人形を相手にしているかのように気遣いも何もなく躰の中を掻き回されて、真崎は文字通り壊れていく。
「ひぁ…ぁッ、あー…ぁ、あー…らめぇ…ぁぅ、ぁ…っ」
四肢を投げ出し、設楽にされるがまま真崎は揺さぶられ続けた。だらしなく開いた口からは唾液を滴らせ、虚ろな目が涙を流す。悦楽に惚けた顔で穴という穴から体液を垂れ流すその姿を、設楽が面白そうに眺めている事に気付く事もない。
「ぁひ…ぁぅ、は…ぁッ、れなぃ…もぉ…ぇないのにぃ…ぁっ、イぐぅ…イッ、―――…ッッ!!」
「は、相変わらず良いツラすんなお前。もっと啼け」
休む間もなく設楽の指が胸のピアスへと掛かり、細い鎖を引き上げる。真崎は堪らず胸を仰け反らせた。
「ひぎいぃいい゛ッ、あがッ、あ゛…ッ、う゛」
「気持ち良いか? ん?」
「いひぃッ! ぎぼぢぃ…れふッ、い゛ぃ…ッ」
真崎は恍惚とした表情を浮かべ、ガクガクと止まらない震えに全身を支配された。それは、設楽に抱かれたあの夜から、まさに真崎が焦がれ続けたモノ。
限界まで引き上げられた鎖は、僅かでも胸を下ろしたら引き千切れるんじゃないかと思うほどに高く上がっていた。背を仰け反らせたまま動けずに、真崎はブルブルと躰を震わせる。
「ああ…ぁッ、ぢぎぇ…うッ、イギぃ…ぎもぢぃ…ッ」
「力尽きて千切れる前にちゃんと言えよ? パーツの欠けた玩具なんぞ要らねえからな」
「はひ…ッ! おっしゃぅ…とおぃに…ッ」
程なくして懇願の言葉を真崎が口にすれば、設楽の指はあっさりと鎖を離した。それでも僅かに浮かせた胸を上下させる真崎の顔は悦びに塗れ、自らを”使って”くださいと乞う。
「尊ぉ…わたくひを…、わたくひのはしたない穴に…どうか、貴方の子種を注いでくらさい…」
鋭い舌打ちが聞こえて設楽を見上げれば、あっという間に視界がぶれる。焦点を定める事さえままならないほど激しく腰を打ち付けられて、真崎は無意識に腕を伸ばしていた。
「ッ!?」
「ああぁッ、尊っ、…尊ッ、許し…っ、今らけ…っは…!」
揺さぶられ、上手く言葉を紡げないままに真崎が大きな背中にしがみ付けば、再び鋭い舌打ちが耳朶を叩く。それがどうしようもなく悲しくて、途轍もなく痛くて、初めて真崎は優しい言葉を聞きたいと願った。
ごめんなさい、申し訳ありませんと幾度も口にしながら捨てられたくないばかりに泣きながら腕を解けば、大きな躰が真崎を包み込んだ。耳に、低い声が流れ込む。
「離すんじゃねぇよ馬鹿。気持ち良くしてやるから、しっかりしがみ付いてろ」
背中に回された長く逞しい腕に膝の上へと抱え上げられ、真崎は目の前にある設楽の首へと抱きついた。
◇ ◇ ◇
腕の中で意識を失っている真崎を見下ろし、設楽は小さな溜息を吐いた。さすがにやり過ぎたかという自責の念は、その顔を見た瞬間一瞬にして消え失せた。あれだけ攻め立てたというのに眉根を寄せるどころか真崎の顔は穏やかで、ともすれば満足そうにも見えるものだから手に負えない。
――化け物か…?
最後の最後に望む言葉を吐かせはしたものの、どうにも負けた気がしてならない設楽である。
壊そうとは思わない。だが、こうも穏やかな顔をされると些か悔しい設楽は、若かりし頃に幾人かを性行為で病院送りにした事があった。それはけっして望んだ訳でもなく、ただ情欲に溺れた結果の事ではあったが。
それ以来設楽は行為には気を遣ってきたし、相手の負担になるような真似はしなくなっていた。だがしかし…。
優しくされると萎えるなどと宣い、事実かなり痛みを伴う行為も喜んで受け入れる真崎が最後に見せた弱々しい姿に、半ば我を忘れた設楽だ。それなのに。
腕の中の男が苦悶の表情一つ浮かべず満足そうに眠っているのが解せない。
壊したい訳ではない。壊したい訳ではないのだが、壊せないとなると話は別だ。そう、これはただの負け惜しみである。
無防備な姿を晒す真崎の中には、未だ設楽のものが埋まっている。一時、このまま無理矢理犯してやろうかなどという凶悪な考えが脳裏を過り、設楽は頭を振った。
今少し、この穏やかな時間を大事にしていたいとそう思う設楽は、恋人には頗る甘えられたいタイプである。
――どうしてコイツに惹かれた?
事ビジュアルと、仕事に対する姿勢には好意が持てる真崎ではあるが、恋愛対象としては好みの対極にあるのではなかろうか。と、そこまで考えたところで、不意に設楽は腑に落ちる。
真崎ほど、衒いもなく甘えてくる相手はいない、と。
――俺はコイツを甘やかしてやりたくなったのか。
答えが出れば腑に落ちると同時に苦笑が漏れる。
どこかの誰かが言っていた。俗に言うサディストとマゾヒストは、サディストの方が奉仕者なのだと。なるほど…と、真崎を見れば納得できる。
不愛想で、躰も大きい自分を、マゾヒストだと思う者はそういない。だが、設楽は確かにマゾヒストなのである。真崎とは、異なったタイプの。
――不毛だな。
考えたところでどうしようもない。ただ言えるのは、真崎の人を見る目は間違っていないという事だけだ。設楽は確かに、真崎を満足させてやることが出来る。それだけの事だ。
眠る真崎の額に口付けを落とし、未だ媚肉を押し広げたままの雄芯を引き抜く。散々乱れた寝台の上に真崎を残し、設楽は床に降り立った。
ベタつく躰をシャワーで流していた設楽は、小さなノックの音に僅かに驚きながらも振り返る。まさか、真崎が目を覚ましているとは思わなかったのだ。
「ご一緒してもよろしいですか?」
「勝手にしろ。お前の家だろぅが」
ぶっきらぼうに返せば、にこりと微笑んだ真崎が浴室へと足を踏み入れる。甘えるように背中から抱きつかれて、設楽は再び驚いた。
「何の真似だ?」
「尊にたくさん可愛がって頂いたので、わたくしも少しはお返ししようかと思いまして」
「明日は雪だな」
「ふふっ、もう降っていますよ」
尊と、そう名を呼びながら前へと回った真崎に胸へと口付けられる。
「別人のようだと、そう思っていらっしゃるでしょう?」
「ああ」
「お嫌…ですか?」
「いや?」
むしろずっとその方が良いと思う設楽なのだが、真崎を相手にそう上手い話がある筈もない事は分かっている。それなのに何故? と、そう思っていれば、真崎自身の口から答えはもたらされた。
「これまで、わたくしがこうして一度でも甘えてしまうと、相手の方は二度とわたくしを道具としては見てくださいませんでした。ですが尊は、優しくした後でもわたくしを玩具として可愛がってくださった。それに…最後も…」
恥じらうように顔を俯ける真崎が何を言わんとしているのかは、設楽にも分かった。
「あんな気持ちになったのは…初めてでした…。あの時わたくしは貴方に……優しくされたいと…そう思ってしまって…」
「玩具なのに…か?」
「っ……はい…」
つくづく歪んだ男だと思う。だが、真崎の境界線がはっきりしているのであれば、設楽にとって扱いやすいのは事実だ。設楽は、感情とは切り離したところで人を物のように扱う事が出来る。
降り注ぐシャワーの下、胸元へと頬を寄せる真崎を見下ろし、設楽は小さく息を吐いた。
「言っておくが、俺は別に好き好んで人を痛めつけたい訳じゃない」
「存じております。貴方がとても優しい方だという事も…。ですが…、いえ、だからこそ貴方はわたくしを満たしてくださる。道具としても、……恋人としても」
「俺が今までの男のように、お前を道具として見なくなったらどうする気だ? 今日は偶々だと、そう言ったら?」
設楽が言えば、真崎は驚いたように僅かに目を見開き、そして微笑んだ。
「わたくしを蹴落としてやると、そう言ってくださったのは尊ですよ。それに、床に這い蹲るわたくしを見下す貴方は心の底から嫌悪しているような目をしていらっしゃる。何より貴方は、わたくしを壊してみたくて仕方がない。それだけで充分ではありませんか?」
「可愛げの欠片もない答えだな」
「ですからこうして、可愛がって頂いたお礼に甘えております。わたくしがこうして甘えられるのは、貴方をおいて他におりません。どうか、末永く貴方のおそばに置いてくださいませ」
ぴとりと胸に寄り添い、潤んだ瞳で見上げてくる真崎は凶悪なまでにいじらしい。意図的にしているのだろう言葉遣いまでもが計算されているに違いない。違いないと分かっていても、真崎にはそれが似合っていて、今時妙なところで古風な設楽にはドストライクなのだからどうしようもなかった。
躰を流し、風呂から上がった設楽は服のポケットから煙草を取り出した。キッチンの前のカウンターで何やら手を動かしている真崎に問いかける。
「煙草、吸っていいか」
一言そう聞けば、真崎が奇妙な顔をして振り返った。まあ、それはそうだろうかと設楽も思う。寝室では幾度か断りもなく煙草に火を点けている。今更といえば今更だった。だが、設楽にとっては別物なのだ。あまり他人には理解されないが。
「そういえば、以前いらしたときも貴方は、食事の後はそう仰っていましたね」
クスリと笑みを零し、再びカウンターへと向き直ってしまった真崎が言葉を続ける。
「どちらが、本当の貴方なのでしょう?」
「さあな。それより吸っていいのか、駄目なのか」
「ああ、失礼致しました。どうぞ。すぐに灰皿をお持ちします」
真崎は煙草を吸わないのだろう。リビングを見る限り見える場所に灰皿はなかった。とすれば、寝室にあったのは他人のために用意してあるという事になる。思わず設楽は溜息を吐いた。他に男を連れ込んでいるのは明らかだろうと。
そんな設楽の心持など知ってか知らずか。トレーにコーヒーカップを二つと、灰皿を乗せた真崎がテーブルのすぐ横に膝をついた。
「どうぞ」
「ああ」
「コーヒーは、ミルクだけでしたよね?」
「ああ」
設楽と違い、真崎は風呂上りに丁寧に髪を乾かした。ドライヤーの熱で自然な形に整えられた黒髪を設楽が見ていれば、真崎はトレーを置いて一度窺うようにこちらを見上げた後、隣に腰を落ち着ける。
ごく自然な態度ではあるのだが、設楽にとって真崎のこんな姿は意外だった。まあ、意外と言い切れるほど時を共有してはいない事も確かではあるのだが。
カップに口をつけた真崎の視線が、何気なく窓へと向かう。真崎の部屋の窓に、カーテンは引かれていなかった。リビングにある大きな窓は枠に区切られておらず、バルコニーに面した一面に大きな窓が四枚並んでいる。その向こうは、綺麗な夜景だ。設楽の安アパートとは、何もかもが違う部屋だった。
「雪、積もりそうですね」
「ああ」
「明日は、お仕事ですか?」
「いや」
設楽が質問に短く応えていれば、不意に真崎が振り向いた。
「どうした」
「いえ。わたくしも、明日は暇を頂いておりまして…」
「そうか」
「はい」
真崎が休みなのは、まあ当然の事だろうと設楽は思う。何せ設楽の主と真崎の仕える男は、クリスマスという事で二人で出掛けると言っていた。帰ってくるのは数日後だ。
「一応、何かあれば連絡が来る事になっておりますが、わたくしはこのまま年明けまで暇を申し付かっております」
「そうか」
「尊は…、尊のようなお仕事は、年末年始もお忙しいのですか?」
「まあ」
設楽の場合、年末は身内での雑務に追われ、年始は外への義理事に追われるのが毎年の事だった。
設楽の主の辰巳匡成(たつみまさなり)という男は、自ら車を運転する事などない。一応免許は所有しているが、何せ運転が頗る下手で、匡成がハンドルなど握れば命に係わる。そのため匡成が移動するとなれば、設楽は必ず同行する。
「明日が今年最後の休みだ」
「クリスマスですしね」
そう言われ、設楽は思わず真崎の顔を見た。クリスマスとは、通常仕事を休むようなものだっただろうか。それとも設楽が知らないだけで、世間ではみな特別に思っているのだろうか。確かに真衣もプレゼントを寄越せだの食事に連れて行けだのとせがむが、休みを取るほどの事ではないはずだろうと思う。
「クリスマスはそんなに特別な事なのか?」
「いえ、そんな事はないと思います」
「なら…」
言いかけて設楽は口を閉じた。真崎の言わんとしている事が、分かってしまった。
「意外だな」
一言告げれば、拗ねたような顔をして見上げてくるものだから真崎は質が悪い。
「俺の時間をお前にくれてやると言えば、その顔は元に戻るのか?」
「わたくしを、甘やかせてくださいますか?」
「もう充分可愛がってやっただろ」
「はい。ですから甘やかせてくださいと、そう申しております」
なるほど…と、設楽は納得する。”可愛がる”と”甘える”が、真崎の境界線という訳だ。そう思えば案外、真崎との付き合いはそこそこ楽しめるのではないかと希望が湧く。こうして甘える真崎は、設楽にとって頗る可愛らしい。
返事の代わりに軽く頭を撫でてやれば、真崎は嬉しそうに微笑んだ。
――これで妙な性癖さえなけりゃな…。
まさにトホホ…と、心の中で項垂れる設楽はだが、まったくもってその感情が表に出る事がない。それはもう子供の頃からの事で、設楽は”不愛想”だとよく言われてきた。表情が乏しいのだ。
だからといって感情がない訳ではないのだが、なかなか理解される事はない。真崎もきっとそうなのだろうと思うが、設楽にとってはどうでも良かった。
「尊」
名を呼ばれて隣を見れば、穏やかに微笑みを浮かべた真崎がいる。それだけで設楽は満足出来た。
「お腹は空いていらっしゃいませんか? わたくし、夕食がまだでして」
「真衣と飯は食ったが、軽いものならば」
そう告げた設楽に、小さく頷いた真崎が手早く用意したのはチーズフォンデュだった。手軽だが主食として食事をしたい真崎と、軽く腹に入れたい設楽にはちょうどいい。
鍋の中へと串を突っ込んでいれば、真崎が些か申し訳なさそうな顔をした。
「真衣さんというのは、先ほどいらっしゃった妹さん…ですよね?」
「ああ」
「その…、本当に不躾な真似をしてしまって申し訳ございませんでした…」
「別に気にしちゃいない」
驚きはしたが…と、そう言って設楽は口角を僅かに上げてみせる。
「クリスマスだから付き合ってやると言われて一緒に居ただけだ」
「ご家族では過ごされないのですか?」
「ああ。…そう言うお前は?」
「わたくしは田舎に両親がおります。兄が二人おりますが、どちらも地元で仕事をしていますし、会うのは帰省した時くらいですね」
真崎の話を聞けば、年末年始は地元に帰省するのだろう事が窺えた。
「田舎はどこなんだ?」
「京都です」
聞けば真崎の家は、京都で呉服問屋を営んでいるという。それを聞いて、どことなく所作が美しいのは育ちもあるのかと、設楽は納得してしまった。
「尊は? 尊の事は教えて頂けないのですか?」
「俺の出身は東京だ。妹と弟がいる」
設楽の家庭事情は些か込み入っているが、真崎はそれ以上突っ込んで聞いては来なかった。付き合いも長くなればいずれ話す事もあるだろうとは思うが、自らするような話でもない。
「お住まいは近いのですか?」
「まあ」
「今度は、わたくしを連れて行ってください」
真崎の言葉に、さてどうしたものかとそう思う設楽である。設楽のアパートは、設楽の主である匡成の住むマンションの裏手にあるというだけで選んだ部屋だった。
「来るのは構わんが、古くて狭いし何もない」
「おひとりで住んでいらっしゃるんですよね?」
「ああ」
物好きなものだと思う。これまで設楽は、誰かに家に行ってみたいなどと言われた事もない。
「まあ、来るのなら冬はやめておけ」
「え?」
きょとんとした顔付で聞き返す真崎に、設楽は喉の奥を鳴らすように笑った。
立地条件のみで選んだ設楽の部屋は、暖房器具があろうとも築年数の古さ故に真冬は凍えるほど寒い。とてもではないが、すすんで他人を招けるような部屋ではなかった。だが、来たいというのを断る理由もない。
いったいあの安アパートを見た真崎がどんな反応をするのかと思えば笑いが込み上げた。
「くくっ、まあ、来ればわかるさ」
「お邪魔してもよろしいんですか?」
「好きにすればいい。お前に来られて困る事は何もない。ただ、人を呼ぶような家じゃないってだけだ」
怪訝な面持ちで見つめる真崎に笑い、設楽はチーズを絡めたパンをひと欠片、口に放り込んだ。
「失礼な言い方だとは承知しておりますが、尊は不思議な人ですね」
「不思議?」
「はい」
不愛想だの無表情で怖いだのとはよく言われるが、不思議と言われたのは初めてだった。考えが読めないとか、そういった意味だろうかと思っていれば、真崎は妙な事を言い始める。
「魅力があるというか、ミステリアスで、色々こう…知りたくなります」
「は?」
「はい?」
不思議なのはお前の方だと心の底から思う設楽だが、やはりそんな気持ちは顔に出ることもなく。
「そう言うお前は、物好きだと言われないか?」
「……ああ、はい。雪人様には同じ事を言われましたね」
「だろうな」
くつくつと、設楽は喉を鳴らして嗤う。雪人というのが真崎が私設秘書を務める男で、何を隠そう匡成の恋人だった。旧姓、須藤雪人(すどうゆきひと)。今は匡成の養子に入り、辰巳雪人と名乗っている。
「そんなにわたくしは物好きでしょうか?」
「物好きだろうよ。まあ、お前の場合はその前に変態だがな」
「っ……尊、そんな目を向けられたらわたくしはまた…」
もじもじと顔を赤くして俯く真崎に、設楽はニッと口角を上げた。
「可愛がってくれってか?」
「尊には…本当に壊されてしまいそうでゾクゾクします」
あれだけやってもまだ足りないのかと呆れはするものの、設楽も設楽で疲れ切っている訳でもない。ましてや何となくではあるが真崎のトリガーも薄っすら分かりつつある。
元より適応力にすぎれた設楽は、既に慣れ始めていた。……今のところは。
テーブルもそのままに、真崎の躰を軽々と抱え上げた設楽が寝室へと直行した事は言うまでもない。
結局その晩、シャワーを浴びたにもかかわらず二人は再び互いの体液で躰を汚し、眠りについたのは夜も明けようかという時間の事だった。
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