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歪な恋は聖夜に始まる07

  ◇   ◆   ◇  翌日。設楽が匡成に、真崎を連れて来いと指示されたのは須藤の本宅だった。真崎の運転する車の助手席にその身を置いていた設楽がちらりと隣に視線を遣れば、そこにはどこか浮かない顔がある。 「いざとなると、どんな顔をして雪人様にお会いすればいいのか…迷ってしまいますね」  信号待ちで停止した車内に、ぽつりと真崎の本音が響いた。 「別にどんなツラもねぇだろ。下手打つ事なんて誰だってある」 「それは…そうですが…」 「お前の妙な性癖の事を言ってんなら、それこそ個人の趣味だろぅが。誰も何も言いやしねぇよ」 「そう…でしょうか…」  雪人にだけは知られたくないと、そう言って真崎は涙を流したが、結局知られていた上に戻って来いというのだから気にする必要もないだろうと、そう思う設楽である。 「まあ、お前ほどとは言わんが、ここだけの話うちの親父は躾けんのが好きだからな…、下手すりゃ雪人さんも似たようなもんなんじゃねぇのか?」 「はひ?」  素っ頓狂な声をあげる真崎に、些か唐突過ぎたかとは思うが、それでも設楽は笑ってみせた。 「雪人様がそんなはずは…ってか? 考えてもみろよ、親父と雪人さんじゃどう足掻いたって雪人さんの方が女役だろう」 「そっ…それは…そうなんでしょうが…。いやでも…」  もごもごと口籠りながらも信号が変わり、車を出す真崎はそれでも腑に落ちない様子だった。だがしかし、正直なところ設楽には確信がある。何せ匡成の守備範囲は広く、もちろん男に抱かれる事を商売としている女もそこには含まれている。  そんな中。『匡成さんに飼われたい』という女が少なからずいるという事実。  これまで変わった女もいるものだと聞き流していた設楽だが、真崎を相手にするようになれば一定数そういう人間もいるのかと腑に落ちたという訳だ。 「だからってお前は雪人さんにどうこう言おうなんぞ思わねぇだろ」 「それは勿論です」 「事実はさて置き、同じじゃねぇのか?」 「尊…」 「うちの親父は、そんな小せぇ事でぐだぐだ言いやしねぇよ。雪人さんも変わらねぇだろ」  確かに真崎にとっては知られたくない事なのかもしれないが、万が一雪人がそんなくだらない事で何かを言うような男だとしたら、それまでだと思えばいい。設楽や真崎は確かに仕えている側の人間ではあるが、主人を選ぶ権利はある。  やがて長く続く塀の横を走る道へと車が差し掛かる。そこが、須藤の本宅だった。雪人が住まうその家は、都心からほど近い場所にありながら広大な土地を持ち、どこかの城かと見紛う程の母屋は完璧な西洋美を誇る。  道路に面した大きな門扉を通り抜ければ、そこには綺麗に手入れされた庭が広がっていた。それを見る真崎の目が、僅かに緩む。 「たった数カ月なのに、懐かしいですね」 「俺はお前が居なくなってから、呼び出される度に度肝を抜かれてたがな」  苦笑を漏らしながら設楽が言えば、真崎がくすくすと声をあげて笑う。 「匡成様も、初めて屋敷の中に入られた時は唖然とされていました。もちろん、わたくしもですが」 「そういやお前、いつから雪人さんのところで働いてるんだ」 「アメリカで大学を卒業して二十一の時に。わたくしに留学をすすめてくださった方と雪人様がご学友で、戻ってきたらSDIで仕事をしないかとお声をかけて頂きまして。それから雪人様が引退をお決めになられて…」  その後の事は、設楽も真崎自身の口から一度聞いている。 「二十一ってお前、飛び級でもしてるのか」 「ああ、はい…一年は日本の大学に通っていたので早い方ではないですが」  道理で雪人も甲斐も、手放す気がないはずだと思わず納得した設楽である。冗談でも何でもなく、この男は有能なのだ。そしてやはり、妙な性癖さえなければ…と、そう思えばどうにも遣る瀬無い気持ちになるのも設楽である。  ――頭良すぎて感覚狂ったのか?  そんな事を思っていれば、目の前には白亜の屋敷が見えてくる。ロータリーの手前、左手の駐車場に車を停めた真崎とともに設楽は降り立った。  車を降りてすぐに、真崎が建物の左手を見遣る。つられて視線を向ければ、大きく張り出したバルコニーに雪人の姿があった。真崎とともに小さく頭を下げれば、遠目にも雪人が穏やかに微笑むのが分かる。  広い玄関ホールを抜け、階段を上がり廊下を進む真崎の後ろを、設楽はゆっくりとついていった。ドアの前に立ち、幾分か緊張した面持ちで深呼吸をする真崎の頭へとポンと手を乗せる。些か驚いたように見上げる真崎の額へと、設楽は口付けを落とした。 「安心しろ。お前が妙な事を言われるとすれば、そん時は俺も一緒だ」 「尊……」  真崎が拳で三度ドアを叩けば、中からくぐもった返事が聞こえる。『失礼します』と、丁寧に腰を折る真崎の後ろで、設楽は軽く頭を下げた。  バルコニーから戻っていた雪人が目の前に立ち、右手のソファに匡成が座っている。 「おう設楽、ご苦労だったな」 「いえ。自分の我儘で迷惑を掛けました」 「ははっ、お前が我儘言うなんぞ、俺ぁ時期外れの雪でも降んじゃねぇかと思ったよ」 「親父…」  揶揄うように言う匡成に設楽が渋い顔をしている横で、雪人が深々と頭を下げる真崎の肩に手を乗せていた。 「この度は多大なご迷惑をお掛けしてしまって…、何とお詫びを申し上げればよいのか…」 「他人行儀だな。お前が居ないと俺が困るって知ってるだろう? おかえり、真崎」 「雪人様…」  真崎が小さく呟けば、匡成がやはり揶揄うように言った。 「しかし真崎よ、お前本気で辞職する気でいたのかよ?」 「え…?」 「あっ…! 匡成っ!!」  きょとんと顔を上げた真崎と、どこか慌てたような雪人。そんな二人の反応に、何かに気付いたのか匡成が渋い顔をした。  それまでの大人しそうな雰囲気はどこへやら、雪人が慌ててソファへと歩み寄る。何やらごにょごにょと耳元で遣り取りをしている二人に、設楽は真崎と顔を見合わせた。次の瞬間、匡成の笑い声が部屋に響き渡る。 「ぶっは…、雪人お前…っ、ははっ…こりゃあいい」 「匡成…!」 「いやだってお前よ…、そんなもんいずれバレんだろぅよ」 「うぅ…」  匡成の科白を聞けば、二人の間の遣り取りにどことなく予想がついてしまう設楽だ。これは一杯食わされたかと呆れていれば、隣から真崎が袖を引く。 「あの…尊…、辞職とは…やはりわたくしは…」 「いや? どうやら俺は、雪人さんに一杯食わされたらしいな」 「雪人様に?」  真崎の視線が雪人へと向かう。その先で、当の本人は匡成の影にサッと隠れてしまった。  ――子供か?  と、そう思ったのはどうやら設楽だけではないようで。真崎もまた何かに気付いたのか、困ったように小さく笑った。 「雪人様、いったいどういう事か説明してください。確かにわたくしは迷ってはおりましたが、辞職などと言った覚えはございません…」 「いや…だからそれは…、お前が居ないと色々と不都合が…」  ぼそぼそと言い訳じみた科白を吐く雪人を見れば、設楽の予想は外れていないだろうと、そう思う。それにしても…と、設楽が匡成を見れば、匡成が腹を抱えて笑いながら雪人の頭を撫でていた。 「おい設楽。お前、筋読めてんだろ?」 「まあ、だいたいは…」 「おーおー、だったらそこの坊主に説明してやれ。それと、今日は仕舞だ仕舞。ころっと騙された分、明日っからきっちり働けよ」  そう言ってシッシッと片手を振る匡成に、設楽は小さく息を吐く。 「それと真崎、説教は俺がしといてやっから、あんま雪人苛めんじゃねぇぞ?」 「それは承知いたしましたが…」  ひとりだけ食い下がろうとする真崎に、匡成が笑い、短く設楽の名を呼んだ。それが、とっとと真崎を連れて出ていけという意味である事は、設楽が一番よく分かっている。 「行くぞ」 「ですが…」 「説明は後でしてやる。抱えられたくなきゃ自分で歩け」  揶揄うような口調で耳元に囁けば、真崎は困ったような顔をしてドアへと向かった。それを見遣り、設楽は匡成に向かって深く腰を折る。頭を上げた時にはもう、設楽や真崎など眼中になく雪人に掛かりきりなのを見れば、匡成も随分可愛がっているものだと思う。  結局、ほんの僅かな時間顔を出し、何のお咎めもなく部屋を追い出された設楽と真崎である。  真崎の執務室に入り、設楽は断りを入れて煙草を点けた。小さいとはいえシャワールームまでをも完備した部屋を見回し、設楽は住んでいる世界からして違うのだと実感する。  ――その割に子供じみた真似をするなあの人は…。  嘘がバレて匡成の背中に隠れる辺りが微笑ましい。自分よりも年上の、しかも雪人のような男を捕まえて可愛いなどというのはおこがましいと思いはするが、匡成が可愛がる理由は充分わかる設楽である。  匡成との間に血の繋がりはないが、正直なところを言ってしまえば実の親よりも、養父よりも匡成と過ごす時間の方が長い設楽だ。事実組内でも、匡成の実子である一意とは兄弟の杯を交わしていた。  ――親子揃って振り回されてちゃ、どうしようもないな…。  そう思えば苦笑が漏れる。ついでに、せめて真崎には振り回されないようにと思う設楽ではあったが、既に充分振り回されている事実に呆れ返るしかなかった。『世話好きの器用貧乏』と、そういう匡成の言葉に反論も出来ない。  まして今回は、あっさりと雪人にまで性格を見抜かれ、挙句まんまと騙された設楽である。はぁ…と、小さく溜息を吐けば、目の前にコーヒーの入ったカップが差し出された。 「どうぞ」 「ああ」 「雪人様には困りましたね…。まさか尊まで騙すなんて…」  設楽の隣に腰を下ろしながら、些か照れくさそうに真崎が言った。 「気付いてたのか?」 「ええ。途中からですが…」 「俺が話すまでもなく、雪人さんには筒抜けだって事だろう」  今朝届いたと、そう言って雪人が匡成に見せた辞職願は、真崎が出したものではなかった。設楽が中身を確認できるはずもない事を見越して、雪人は用意したのだろう。設楽は、それにまんまと騙され、そして匡成に真崎との事を話したという訳だ。設楽からすればまったくもって食えない話である。  だがしかし、真崎を連れ戻しに行く際に雪人から渡されたファイルを見れば、それも仕方がない事かとどこか納得してしまう。雪人のような立場にいれば、すべてを調べない限り誰かを信用する事など到底不可能だろうと。 「尊は、それで京都まで…」 「ああ」 「尊がお叱りを受けないといいのですが…」 「親父のどこを見て言ってるんだお前は。まあ、そのうちお前も揶揄われるから覚悟しておけよ」  コーヒーカップを両手で持ったまま心配する真崎の頭をくしゃりと撫でる。常に冷静で隙のない振る舞いをする外見からは想像できないほど、真崎の根は素直だ。  最初こそ強引すぎる態度で設楽に近付いてきた真崎だが、真崎のような男を虐げたいと思う輩は、確かにいるだろうとは思う。結局流された設楽自身、人の事など言えはしない。 「どちらにせよ、雪人さんはただのヤクザ風情には荷が重い。お前が戻ってきて何よりだよ」 「尊にも、ご迷惑をお掛けしてしまいましたね…」 「二度となければそれでいい」 「はい。今度はちゃんと…尊にも雪人様にも相談する事に致します」  ぴとりと胸に寄り添い、甘えた声で囁く真崎に設楽は眩暈を覚える。天然なのか計算しての事なのか、どちらにせよ性悪な事に変わりはないのだが。  ともあれこんな煽られ方をして、黙っているような設楽ではなかった。 「帰るぞ」  短く言えば、嬉しそうな真崎の声が素直に返ってくる。 「はい」  個人宅とは思えないほどに広い廊下を歩き、真崎とともに階段を降りれば初老の男性と出くわした。その男が、桃井(ももい)という雪人の執事である事は設楽も知っている。 「これは真崎様。お戻りになられたのですね」 「桃井様、お久し振りでございます。この度はご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」 「真崎様。私が申し上げるのも差し出がましいとは存じますが、雪人様より真崎様は仕事へやっていると私どもは伺っております。どうか、頭など下げられませぬよう」 「っ…」  言葉に詰まる真崎に温和な笑みを浮かべ、桃井はあっさりと屋敷の奥へと消えてしまった。  呆然と立ち尽くす真崎の頭を、設楽は大きな手でくしゃりと撫でる。 「尊…わたくしは雪人様になんと言ってお礼を申し上げればよいのでしょうか…」 「仕事で返せばいいんじゃないのか? それよりも、今お前が機嫌を取るべき相手は誰だと思ってる」 「っ……尊です」  恥じらうようにそう囁く真崎の顔が僅かに赤い。  明日からまたお互い忙しくなる事を理解していた二人が、この後思う存分互いの欲求を満たしたことは言うまでもなかった。

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