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第8話

 上と下の口両方で味わう濡れた天鵞絨の極上の感触に我を忘れたように口づけを深めていくと、直ぐに熱く甘い口の中でも濡れた音が紫の褥の上に微かに響き渡っていった。  二人の口づけの激しさを物語るかのように、名残り惜し気に離れた唇から銀の架け橋がほんの刹那だけ掛かって紫の絹の上へと滴っていった。 「地下の泉で我が聖なる神とより深い対話をして着替える。ファロスは別室で待つと良い」  紫の絹を薄紅色に染まった肌に纏うと、キリヤは僅かな笑みを紅く染まった唇に浮かべて静謐な感じの声で告げた。ただ、神に近い存在なだけに相手の都合などを問わない鶴の一声のような重々しさが込められている。  ファロスは内心(禊だけではないのか)と思いつつも、キリヤ様が先程「話を聞く」と仰っていたことを思い出した。それほど、キリヤ様と過ごすこの聖なる空間、いやキリヤ様という存在に惹かれていて他のことを忘却してしまったことに内心唖然としていた。  それが神への畏敬の念なのか、キリヤ様という稀有な存在への愛おしさなのか自分でも判然としないまま。  心は宙に飛んだままのような覚束なさは有ったものの、無意識に着衣を整え終えていたのは普段から従者任せにしないというファロスの生活の癖が無意識に出ていた。  キリヤは褥の横に垂れている銀糸と紫の絹で編まれた紐を引くと、別室に待機していた先程の神官見習いの少年が入って来た。 「ファロスの話を聞くので、私の部屋に案内しておくように。私も直ぐに参るゆえ、二人分の食事も頼む」  見習いの少年は一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたかと思うと、直ぐに「ご案内致します」とファロスに告げて足早に歩きだした。 「今から参る場所は、全ての人間が訪れる場所ですか?」  ほんの一瞬だけ怪訝そうな顔をした少年の整った顔を――どことなくキリヤ様に似ているのは古えの英雄の容姿の持ち主のみがこの辺りの国から選ばれるからだろう――問い詰めるというよりも、むしろ詰るような口調だった。  一度だけ肌を重ねたとはいえ、それが神事であり、神のご加護を受けるためだということは頭では分かっていたものの胸にわだかまる想いから詮無いことを言ってしまっていた。  しかし、彼の口から出たのは意外な言葉だった。

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