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第9話

「いいえ、このように聖神官長様が仰せになられたのは初めてでございます。  こちらにはどこの国とまで申せませんが王様達も戦勝祈願にはるばるとお越しになられます。しかし、禊を終えた後に一言か二言お言葉をお掛けになった後に自室へと下がられるのが常でございます。ましてやお食事などを……」  ファロスはその余りに過分な丁重な扱いを受けたということに呆気に取られた。  神官見習いの年端も行かぬ少年が驚きの表情を垣間見せたのも無理はない。キリヤ様のように修業を積んだ後には、そのような軽挙さはなくすだろうが。  そしてこの国にたまたまこの神殿が建てられているだけのことで、ファロスが仕える国王陛下といえども神殿の内部にはその権力は及ばない聖地でもあった。  だから、どの国の王が密かに、もしくは国王陛下に言った後に神殿を訪れることもまま有ると聞いていた。密かに参拝する場合はこの国と戦を起こそうとかそういう良からぬ企みごとが有るからだ。  ただ、逆に言えば聖神官たるキリヤ様を含む神殿にはそういう重大かつ機密的な情報が俗人には漏れないような形で蓄積され続けているはずで、参謀としては得難い話を聞ける可能性すらある。  最新の情報を事前にファロスが知っていれば、それだけ我が国にとって有利に戦が運ぶことは言うまでもないので、頭の中をキリヤ様への己にも判別が付かない熱い気持ちはひとまず置いておくことにする。  そして、自らが立案して国王陛下に奏上した策についても、充分過ぎるほど聡明そうなキリヤ様にも納得して頂くためにもう一度頭の中を整理しつつ大理石の廊下を歩んだ。  禊の神事が行われている場所からはかなり離れた場所に案内されて、部屋の中に入ると意外なことに――羊皮紙などの束が並んでいる程度は予想していた――造りや調度などは豪華だが、適度な程度に散らばっていて神ではなく、人間めいた近しい雰囲気を感じさせた。 「お食事の支度を申し付けて参りますので、しばらくお待ちください」  神官見習いの少年は――初めてのことで戸惑うのも無理はなかったが――小走りに去っていった。  独り聖神官長の私室に取り残されたファロスは周囲を興味深く見回した後に、最も目を惹いた物へと歩み寄った。近づくにつれて、ファロスの口角が、先程の熱く甘い口づけなどは忘れたかのように上へと上がっていく。そして瞳も英知さと冷徹さで輝いていた。

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