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コインランドリー・デートスポット
振り返った先にあった眼差しを見つめ返すことができず、佐倉は突き飛ばされたかのように二歩後退する。
また奇妙な空気が二人の間に流れた。佐倉は焦りを覚える。え、なんでこの人に呼び止められたんだ。
「そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」
「は、はい?」
硬直した時間を動かしたのはお兄さんの声だった。見た目の割にハスキーで抑揚のない声音にびくりと背筋を伸ばす。よく見ると睫が長い。色も白いし、あまり外に出ない人なのかもしれなかった。背が高いからか体格もなおさらよく見え、肩をつかれただけでも佐倉が転んでしまいそうな力の強さを外面から感じ取る。
「これ。君のだよね」
佐倉がお兄さんの印象をまとめている途中、お兄さんが手渡してきた見覚えのあるものに全身の筋肉が凍り付いた。見たことあるよ、だってそれ俺の下着だもん。え、なんで?見ず知らずの人にパンツ握られてんだ俺!
「君が使い終わった洗濯機に残ってた。ちゃんと中まで見ないと」
まさかの品物がまさかの人物から手渡され、戸惑いながらも受け取る。何食わぬ顔で佐倉を押しのけて帰ればいい。触りたくもなかっただろうに。俺だったら見知らぬ野郎のパンツいくら洗濯後だってとしても嫌だ。
「すみません、汚い物なのに」
第一印象で怖い人だと決めつけていた罪悪感と、面倒を掛けた申し訳なさが混合する。あと羞恥心。変なパンツじゃなくてよかった。熱くなってきた顔で二度お辞儀をすると、お兄さんはそっぽを向いて首筋を掻く。
「迷惑なんて別に思ってないよ。気にしないで」
あ、なんだこの人そんなに怖くないぞ。なんだ、優しい人じゃないか。勘違いで終えるところだった。
「すみません本当に……助かりました」
「これ君のじゃなかったらどうしようかと思った」
「そうでしょうね、俺も貴方が早く気付いてくれて良かったです」
「・・・・・・君、ここのコインランドリーよく使うの?」
突然話題が変わり、なんと答えようか悩む。初対面の人と話すのはあまり得意じゃないから、頑張って受け答えをしなければ。
「実はアパートの洗濯機が壊れていて、その間こちらでお世話になる予定ですね。自宅からも近いので寄りやすいんです」
「それは大変だね。洗濯機壊れちゃうなんて」
「マジで大変ですね。まぁ待ち時間勉強できるんで、気にしてないんですけど」
「確かに難しそうな本読んでるなぁと思ってて。学生さん?」
「今年の春から大学に通っててるんで」
「え、大学生?」
細い目が丸く円を描く。あからさまな驚きの表情にこっちも吃驚してしまった。佐倉が大学生だと知って驚く部分なんてあるのだろうか。お兄さんは眉を下げて曖昧に頬をかく。
「ごめん。若いから高校生ぐらいかなって思ってた。そうかぁ大学生か。やっぱり年下だった」
お兄さんのさり気ない言葉に盛大にプライドが傷つけられたところで、室内から甲高い音がした。お兄さんがゆっくり後ろを見やる。視線の先を追うと彼が使っていた洗濯機が動きを止めていた。彼の洗濯物も無事に綺麗になったらしい。会話を切り上げる良いタイミングだと思い、それじゃあと最後に頭を下げて、下着を握りしめる。
そのまま家に帰ろうとしたが、「ちょっと待って」とお兄さんに腕を掴まれた。ほんの一瞬、息の仕方を忘れた。素早く瞬きを繰り返しながら振り返ると、お兄さんも驚いた顔をしていた。狼狽える佐倉達を無視して鳴り続けていた音が止む。
コンクリートの隙間から顔を出しているサクラソウの愛らしい色と、静寂に染まる空気が世界の全てになったような。そんな気分だった。
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