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コインランドリー・デートスポット
「よければ君の名前を知りたい」
困惑に染まる言葉尻を隠しきれず、お兄さんは佐倉の手を掴む力を緩めた。
初対面で、別に深い会話を交したわけでもない佐倉の名前を知りたい理由?検討もつかない。
春日和を体現したような超絶美女はここにはいないし、大学に通い始めたばかりのちっぽけな男の事なんて知る必要もないだろうに。はっきりそんな戸惑いが顔に浮かんでいたらしく、ばつの悪い様子でお兄さんは腕を組んだ。
「えーと。実は僕、最近ここらに引っ越してきたばっかりであんまり知り合いがいなくて。人と会話したのも久しぶりなんだ。君と会った時だけで良いから今日みたいに世間話でもしてほしいんだけど、ダメかな」
こんなに直接的に友達になろうよって言われたのは小学生以来だ。ここで嫌ですだなんて断る勇気も理由もないし、気付いたら頷いていた。
「えっと、お兄さんの名前教えてくれたら」
「僕は……そうだな。久坂って言うんだ。久しぶりの久に、坂道の坂で坂」
まるで本名ではないかのような口ぶりで伝えられた名前を小さく口の中で繰り返す。
苗字を教えるだけで数秒間口ごもる久坂の事情を深く追求するのはやめ、不明瞭に投げ捨てた。軽く浅く、交流するだけの間柄にも隠し事は必要だろう。
それに久坂のことは、あまり悪く思えなかった。抽象的になってしまうが、会話の端々から彼の人間性を無意識に感じ取っていたんだろうと思う。
「久坂さん、でいいんですか。俺は佐倉って言います。佐藤さんの佐に、えーっと鎌倉の倉」
「なんだか君に名前を呼ばれたら、凄く嬉しくなるよ。佐倉君」
久坂は天性の人タラシだとこの会話で察する。こういうギャップある人が女の人にモテるのか。
何かの参考にしようと佐倉は企みつつ、離れていく久坂の腕を見送る。久坂の物憂げな眼差しは五月の心地よさに微睡んでいるように思えた。
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