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僕と影 4

物心ついた頃には、既に母はいなかった。 父と2人で暮らしている事が当たり前で、今思えば男手一つで子育てと仕事の両立は大変だっただろうけど、何不自由ない生活を送っていた。俺が小学生になったある日の事、学校で母の日の課題が出た。家に帰って父に相談すると、父は俺に母の話をしてくれた。 『和の母さんは、とても優しくて、みんなに好かれていたんだぞ。たまにドジなところもあったけどな。そうだ。あと、すごく美人さんだった。父さんにとって自慢のお嫁さんだ。そして、和も、父さんにとって自慢の息子。母さんも和の事をすごく大切だと言っていたよ。』 『お母さんが…?僕、会った事ないのに….?』 『母さんは和の事、よく知ってるよ。でも、そうだな…。これを見てごらん?』 そう言って父さんが見せてくれたのは、1枚の写真。綺麗な女の人が優しい笑顔で映っていて。とても惹きつけられた。 『きれい…』 そう声を漏らすと、『さすが俺の息子だな!』と父さんは言う、 『和の母さんなんだよ。』 『この人が…?』 『ああ。…そうだ、とっておきの場所があるんだ。』 その次の日、俺は父さんに連れられて、管制官である父さんの職場にきた。特別に管制室を見学させてもらった後、渡り廊下を越えた隣の塔の屋上へと連れて行ってもらう。 『わぁ…』 空を見上げると、そこは一面の青。清々しい風が髪をたなびかせる。見入っていると、父さんに『気に入ったか?』と聞かれ、俺は大きく頷いた。すると父さんは満面の笑みを浮かべてそして、もっと見えるようにと肩車をしてくれる。 『父さんもな、ここがお気に入りの場所なんだ。母さんもそう言ってた。』 懐かしむような声。 そして、それは少し寂しそう。 『ねぇ、僕のお母さんはどこにいるの…?』 ほんの少しばかりの沈黙。サァァ…と涼しい風が流れてくる。目の前で飛行機が1台飛び立っていくのが見えた。 『…母さんはな、この空のずっと先…天国にいるんだよ。ほら、見て。あの飛行機が向かうそのずっと先…』 父さんはそう言って手を空に向かって伸ばした。俺も同じように、手を伸ばす。飛行機にも天国にも、その手は届きそうで届かない。 『天国から、和や父さんを見守ってくれているんだ。だからね、たまにここに来て、俺は母さんとお話しするんだよ。お腹が空いたとか、そんな他愛もない事をね。』 『ふふっ…』 最後の一言に2人してくすくすと笑う。きっと今、お母さんも笑っているのだろうか。空を見上げたその先に、写真で見たあの優しい笑顔が見えた気がした。

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