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1-38 君想えばこそ。
辺りはすっかり暗くなっているが
見事に帰宅ラッシュとやらに巻き込まれてしまったようだ。
早く帰れると思ったらこれである。
別にゆっくり帰っても良かったのだが、次から次へと押し寄せる人の波に乗って
流れるように電車の中に押し込められた。
駅が来るたび人の乗り降りは激しく揉みくちゃにされる。
段々乗った方とは反対側のドア側へと押しやられていく。
「……はあ」
ため息をつくと、隣の女が窮屈そうに眉根を寄せた。
無駄に図体でかくてすみませんね。と思いながらも
バツが悪くなって袖野は頭をドアに押し付けながら
人より少し高い目線で電車内を見下ろした。
こんなのの繰り返しで家と職場を行ったり来たりする悲しき生き物、それが人間なのか…。
「……っ、い…」
電車の揺れる音と誰かの話し声の隙間に、不意に聞いた事のある声が混ざっていた気がして
袖野は思わず辺りを見回した。
見つけたところでどうしようというのか、
全く見当もつかなかったのだが。
それでも必死に探していた。
もしもそれが幻聴であったならば、自分はいよいよ彼を遠ざけなければならないから。
しかし車両の中に彼らしき姿は見当たらない。
「…ミナミくん……?」
何故か、迷子のような声を出してしまう。
彼の姿を見つけたいと思っている。
それは幻聴じゃない証拠が欲しいから、という言い訳で彼の顔を見たいからか?
顔を動かし、爪先立ちをしたところでようやく彼の姿が視界に入った。
横長の座席の丁度向こう側に彼の姿が見える。
「……あ。」
思わず声を零してしまう自分がいた。
嬉しいような呆れているような、
複雑な気持ちのまま袖野は彼の横顔を観察した。
ミナミのどこにでもいそうな至って普通の顔、
ぼやっとした表情。
ときめく部分を探す方が難しい立ち姿から、何故か目が離せなかった。
それは他に見るものがなかったから、
他に知っているものがなかったからかもしれないけれど。
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