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第2話

紅鳶(べにとび)さんっ」  青藍(せいらん)が弾んだ声で男を呼んだ。  紅鳶、と呼ばれた男は襦袢姿で、肩より少し長い髪を無造作に背後に流している。その姿が『だらしない』ではなく『気怠げで色気がある』になるのだから、つくづく美形は得だと漆黒(しっこく)は思った。    紅鳶は、ここゆうずい邸のナンバーワンを張る男である。  さすがの存在感で一瞬にして周囲を黙らせた紅鳶が、じろり、と喧嘩をしていた男娼2人へ緯線を向けると、 「くだらないことをする暇があれば、夜に向けての準備でもすればどうだ」  呆れた様子も隠さずに、半眼になってそう言い放った。 「で、でも……こいつが、俺の客盗ったんスよ」 「てめっ、盗ったんじゃねぇよ! 客に飽きられたおまえが悪いんだろっ」 「なんだとっ」  再びヒートアップしそうになった男娼たちへと、紅鳶が侮蔑のこもった声を叩きつける。 「それ以上俺の耳を煩わせるな」  さほど大きな声音でもなかったが、その場が水を打ったように静まり返った。   「ここは実力の世界だろう。口汚い喧嘩がなんの役に立つ。くだらないことをするなと、二度も言わせるな」  決して声を荒げたわけではない。  けれど、抜身の白刃(はくじん)のような迫力に、2人は揃ってごくりと生唾を飲み込むと、握り締めていたこぶしから渋々とちからを抜き、負け犬の如き足取りで廊下を歩き去って行ったのだった。    喧嘩でこもった熱は瞬く間に霧散し、見物人も散ってゆく。 「紅鳶さん、かっけー。マジ憧れるっスわ」  くりくりとよく動く犬のような目を、男衆となにごとかを話している紅鳶へと向けながら、青藍がこちらへと歩み寄って来た。 「おまえ、相変わらず紅鳶のことが好きだな」  呆れたように吐息して、漆黒は、着物の袂をごそごそと探った。  そこからマッチを取り出して火を点けようとしたその手を、やんわりと青藍に制止される。 「紅鳶さんは男の中の男っスから。つか、ここで喫ったら怒られますよ。漆黒さん、携帯灰皿持ち歩かないから」 「今日は持ってんだよ。口うるせぇ奴だな」 「俺、下に6人弟妹が居るんで、つい癖で世話焼いちゃうんスよね~」  青藍のその言葉を、漆黒は鼻で笑った。  喧嘩の仲裁なんて金にならないことを、この青年はごく当たり前のように毎回している。揉め事は放っておけない、根っからの長男気質なのだろう。  男娼なんてものを生業(なりわい)にしているくせに、まったく擦れたところのない青藍は、有閑マダムたちからの人気が高く、月に安定した稼ぎを上げている。  去年辺りからめきめき頭角を現して、今ではナンバーファイブの男なのだ。  無害そうな顔して、以外とアッチの方も強いのだと、彼と寝たマダムが楽し気に語っているのを聞いたことがある。  黙ってニコニコとしていれば、人懐っこい犬のようであったが、見かけ通りではないということか。  ちら、と青年を横目で見上げた漆黒はマッチを擦ってタバコの先端へと近付けた。 「ずっと見てたなら、漆黒さんが仲裁に入ってくれれば良かったのに……」  唇を尖らせて、青藍が少し責めるような口調で言ってくるのを、ふん、と紫煙を吐いて退けた。 「そんな面倒臭いこと、俺がすると思うか?」  ざり……と顎の、長さを整えた髭を指先でこすりながらそう問うと、青年が眉尻を下げた情けない表情で笑った。 「はは……思わないっス。でも、ナンバースリーの漆黒さんの言葉なら、あいつらも聞いたと思うけどなぁ」  最初から漆黒が動いていれば、紅鳶の手を煩わせることもなかったのに、と声には出さない批難を犬のようなその黒い瞳から感じ取って、漆黒は片目を眇めた。  最近の若い奴は、育ち過ぎだな、と自分よりも高い位置にある青藍の目を眺めて、漆黒は思った。  漆黒は178センチ。青藍は恐らく、180台前半。ほんの数センチではあるが、年下に見下ろされるのはあまり面白くない。    漆黒はタバコを指先で摘まむと、青藍の顔に向かってふぅっと煙を吐き出してやった。  ゴホゴホと彼が噎せるのを、唇の端で笑って。  今度こそ部屋へ戻ろうと、窓に預けていた背中を上げた、一拍の後。 「漆黒」  と呼び止められた。  自分よりも明らかに年上の漆黒を、平然と呼び捨てにしたのは紅鳶だ。  だが、彼がここのナンバーワンであることは揺るぎない事実であるので、文句も言えない。 「なんだよ?」 「楼主が呼んでる。二階の応接室だ」 「ナンバーワン様様が伝書鳩の真似事かよ。男衆に任せりゃいいのに」 「たまたま楼主に用事があったからだ。別の人間を呼ぶ方が手間だった。それだけのことだ」  淡々とそう返され、漆黒は肩を竦めた。 「ナンバーワンと楼主が、なんの密談を?」  冗談の口調で問いかけると、冴え冴えとした双眸が真っ直ぐに漆黒を射た。 「おまえに、なんの関係が?」  質問に質問を返されて、漆黒は少し癖のある髪をぐしゃぐしゃと掻きまわした。 「へーへー、しがない俺ごときの耳には入らない類の話ってこったな。了解したよ」  懐から携帯灰皿を取り出し、そこに吸いかけのまだ長いタバコを押し付けて火を消すと、肺に残った煙を天井に向けて吐き出し、漆黒は「よいしょ」と言って歩き出した。    後ろを付いてきた青藍が、 「なにかやらかしたんですか?」  と悪戯っぽい口調で冷やかして来たので、振り向きざまに一発、頭を叩いてやった。

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