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第3話

 階段で二階へ降り、応接室にノックもせずに入る。  そこにはまだ楼主の姿はなかった。  応接室には、高級そうなソファがガラスのテーブルを囲むように配置されている。  壁際には本棚。そして、窓に背を向ける形で、執務机が置かれている。    漆黒(しっこく)は部屋をぐるりと見渡し、監視カメラの位置を確認した。  滅多に入ることのない部屋なので、この機会に色々と見ておきたい。    ぶらぶらと奥へと進み、カーテンを閉める振りでデスクの後ろへと立った。  レースのカーテンを引き、そのまま窓辺で一服しようとタバコを取り出し……手を滑らせたふりでそれを落とした。  絨毯を転がったタバコを拾うべく、漆黒はしゃがみ込み……素早くデスクの引き出しに手を掛ける。  しかし、案の定引き出しには鍵が掛かっていて開かない。ガタっ、と一度揺すって、諦めた。  嘆息を漏らして、漆黒はゆっくりと立ち上がる。  拾い上げたタバコにマッチで火を点け、それを吹かしながら今度は本棚の前に立った。  英語、フランス語、ドイツ語……貴重なものなのだろうか、分厚い古そうな本が並んでいた。  そのうちの一冊を手に取り、パラパラとページをめくっているところで、がちゃ、とドアが開いた。 「おまえにフランス語が読めたとは知らなかったな」  皮肉気な声とともに姿を現したのは、淫花廓の楼主であった。  枯野色の着流しに、煙管(キセル)を咥えたいつものスタイルである。  年齢の読めぬ鋭い双眸で、手元に持った本を睨まれ、漆黒はへらりと笑ってそれを本棚へと戻した。 「フランス語は読めないが、価値のある本ならこっそりくすねて客に売りつけようと思ってな」 「売ろうとしてる本の価値がわからねぇ門外漢から、買う客なんて居やしねぇよ」    ゆるゆると煙管を喫った楼主が片頬で笑うと、己の背後を振り向き、 「入って来い」  と声を掛けた。    音もなく静かな動作で黒衣の男衆が姿を現す。この男衆は翁面を被っていた。男はひとりではなかった。  翁面の背後からは、小柄な……少女、いや、少年、だろうか。  白い貫頭衣に身を包んだ少年が、おどおどとした足取りで翁面について入室してくる。    ワンピースのようにふわふわと揺れるその白い裾から覗く足は、裸足だ。  ここに居る大人たちは全員、雪駄を履いているというのに……。  その華奢な足の指を見るともなく眺め、漆黒は目元を微かに歪めた。 「立ち話もなんだ。そこに座りな」     楼主が、煙管の先でソファを示した。  漆黒は遠慮なく、男よりも先にどかりと座り心地の良いそれに腰を下ろした。  テーブルの上には灰皿が置かれている。そこに、タバコの灰をトンと落として、また唇に挟んだ。    部屋の奥……いわゆる上座に当たる場所に、漆黒はわざと座ったのだが、楼主は特になにも言わなかった。  漆黒の向かいに静かな動作で腰かけた男は、カツ、と灰皿に煙管の雁首を軽く当て、中の灰を落としきる。    (たもと)から取り出したケースの蓋を開き、そこから葉っぱを摘まみ上げ、指先で捏ねるように丸めたそれを、煙管の中へと詰めてゆく楼主の、その動きを漆黒は目で追った。  タバコと違い、あっという間に一回量を喫いきってしまう煙管のなにが良いのか、漆黒には理解できない。  楼主の唇から漏れる煙は、漆黒のタバコのそれよりも、とろりと甘い匂いがした。  男二人がそれぞれタバコやら煙管やらを口にしているものだから、応接室の中が煙たくなる。  こほ……と、小さな咳が聞こえた。  ふと見れば、白い服の少年が喉を抑えている。彼は、楼主の斜め後ろに立ったままだ。  漆黒は、ち、と小さな舌打ちを漏らして、タバコを灰皿に押し付けて火を消した。  楼主が面白そうに両目を細め、 「やさしいこったな」  と、揶揄する口調で笑った。

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