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第4話

 片頬で笑う楼主のことを、不愉快な男だ、と漆黒(しっこく)は改めて思う。  淫花廓に来て三年。  それほどの年月が経過したというのに、この男の詳細については、まったく不明のままだった。  それは、この男の警戒心が強いことの表れであり、また、この淫花廓のシステム自体が非常に堅固であることの証でもあった。  周囲との連絡手段は徹底的に監視され、外に漏れる淫花廓の情報はすべて制限されている。  そして、漆黒たち男娼にもたらされる情報もまた、きちんと管理されているのだった。    ゆうずい邸の男娼は、客の要請があれば社交界など公の場に同伴することがある。  その際、男娼を連れて歩く客が恥をかかないよう、立ち居振る舞いやテーブルマナー、どんな話題を振られても対応できる知識などが必要となる。  そのため、俗世とは隔絶されていながらも、政治経済や社会情勢などには精通していなければならなかった。    しかし、インターネットなどというものは淫花廓(ここ)では使えない。  それは男娼だけでなく客も同様で、この敷地内には妨害電波が通っているため、通信機器の類は使用できないようになっているのだ。    テレビも当然のように置かれていないが、もしもあったとしても、通信機器同様に使用できない状態だろうと思われた。  唯一、外の情報を得る手段といえば新聞だが、新聞各紙は揃って朝に談話室に並べられているが、それらはすべてスクラップブックになっているのだった。  新聞をそのまま置くのではなく、一度誰か……恐らく、楼主の命を受けた男衆であろう……が目を通し、男娼が読んでも構わないとされるものだけが、切り貼りされているわけである。    他の男娼はともかく、漆黒にとってはこれは中々痛かった。  新聞広告などは、暗号にもなる。外との通信手段のひとつとして使えるはずのツールが、淫花廓ではほとんど無効化されてしまっているのだ。  しかし、たとえ漆黒が、外部となにかしらの方法でやりとりができたとしても、報告すべき情報は、皆無に等しかったが……。  それほどに、この淫花廓の楼主は用心深く、漆黒に尻尾を掴ませるどころか、その尻尾の先すらも見せてくれないのだった。  その不愉快極まりない美丈夫が、マッチの火で煙管の先を炙り、葉に火を移しながら目線だけで斜め後ろに居る少年を示した。 「(あずさ)だ」  楼主の声に、少年がピクっと肩を強張らせ、漆黒の方を見てぴょこんと頭を下げてきた。  少年にお辞儀された意味がわからずに、漆黒は眉を顰める。  そんな漆黒を、楼主が唇の端で笑った。 「訳あって、こいつをひと月、預かる。世話役はおまえだ、漆黒」 「ちょっと待て」  髪をぐしゃりと掻き上げて、漆黒は男を睨んだ。 「ゆうずい邸(ここ)で? 住まわせるってことか?」 「そうだ」  あっさりと、楼主が頷いた。 「手前(テメェ)の部屋が、ひと部屋空いてただろうが。そこで預かれ」 「待て待て待て。意味がわからん」 「なにがわからねぇんだ。おまえの部屋で、ひと月の間、梓の面倒を見るってだけの、簡単な話だろうが」  厭味ったらしく、ひと言ずつを区切って言った男の言葉に合わせるように、梓という名の少年が、またぺこりとお辞儀をする。  漆黒は苛々とタバコの箱を弄りながら、飄々とした楼主の顔を半眼で見た。 「ああ、ついでに今日からひと月、おまえのスケジュールは空けておいた。安心して梓の世話に専念しな」 「……勝手なことを……」 「なんだよ? 楽して稼げるなんざ、中々ないぞ。それとも、なにか不都合でもあんのか?」    男の年齢の読めぬ深い色の双眸が、じわりと細められた。   お互いに、腹の底を探るような眼差しになる。    漆黒の方が先に目を逸らし、天井を仰いで吐息した。  楼主は一体なにを考えて、漆黒にこの少年を付けるのか……。  ひと月、漆黒を『客』という外部の人間から遮断して、なにかを行おうとしているのか……。  疑心が頭をもたげてきたが、漆黒はため息とともにそれを外へ逃がした。  楼主は漆黒が淫花廓の裏を探っていることには、勘づいていないはずだ。  もしも漆黒の身元がバレているならば、こうして男娼として雇い続けているはずがない。    漆黒が、焦ってボロさえ出さなければ、まだ潜り続けていられる。  大丈夫だ。    大丈夫だ。  己のこころを落ち着けて、漆黒は目線を天井から楼主へと戻した。 「なぜ俺なんだ。ガキの扱いは、青藍(せいらん)の方が得手(えて)だろうが」  子どもの存在を気にすることなく、もくもくと煙を吐き出している男を批難する目で見たが、楼主は意にも介さずに吸い口へと唇を寄せた。 「青藍にゃあ、ちと荷が重い。ただ預かるだけじゃねぇんだ。梓にはいろいろと仕込んでもらわなけりゃならねぇ」 「仕込む?」 「ある程度の礼儀作法をな。オツムの方は、足りねぇぐらいでいいんだ。ただ、高級料亭に行き慣れてるボンボンぐらいには、仕上げてもらわなけりゃならねぇ」 「なんだそりゃ……」  指の腹で、ざり……と顎髭を撫でて、漆黒は梓の方をチラと見た。  少し猫背気味の少年は、大きな瞳を頼りなく瞬かせている。  上流階級の人間のような立ち居振る舞いを仕込む……それは確かに、青藍のような若造には難しいかもしれない。     しかし……こんな子どもとひと月も過ごすのか……。漆黒は青藍とは違い、子どもの扱いは苦手だ。  梓はどう見ても……行ってて15歳。自分とは倍以上の年の差があるのだった。  だが、ここで漆黒がごねたところで、楼主の気が変わるとは思えない。  漆黒は渋々、了承の言葉を口にしようとしかけた……が、楼主の次の言葉に、ギョッと目を見開いた。 「の作法は、特に徹底的に仕込めよ」      

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