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第6話

 (あずさ)をつれて部屋に戻った漆黒(しっこく)がまず最初にしたことは、換気であった。  タバコの匂いがそこかしこに沁みついているからである。  ゆうずい邸の男娼は、その稼ぎに応じて部屋の広さも変わる。  3本の指に入る漆黒の部屋は、高級旅館の和洋室並みの造りになっていた。  ふかふかのローベッドはクイーンサイズで、漆黒はいつもここで大の字になって寝ている。  襖できっちり仕切ることができる和室は8畳間だ。さらにその横に、4畳半の部屋があり、こちらは衣類や小物などを置く部屋として使っていた。  ほとんどが客からの貢ぎ物だ。  漆黒ですら結構な量なのだから、ゆうずい邸のトップを張る紅鳶(べにとび)などはもっとすごいことになっていることだろう。    梓は興味深そうに、きょろきょろと部屋の中を見渡している。 「そこに座れ」  ずっと立たせているのも気が引けて、漆黒は取り敢えずベッドの端に座るよう声をかけた。  梓は素直に応じ、ちょこんと腰を下ろす。  ワンピースのような白い貫頭衣を纏った小柄な少年が自分の部屋に居るのがミスマッチで、頭を抱えたくなる。  溜め息を漏らした漆黒は、無意識の動作でタバコの箱を探り……なんのために換気をしたのかを思い出して舌打ちをした。 「あ、あの」  梓が大きな瞳をこちらに向けて、つっかえながら話しかけてくる。 「た、タバコ、喫ってもらって、だ、大丈夫です」 「……さっき、ムセてただろ」 「な、慣れない、匂いだったから……。でも、施設でも、喫ってるひとは居たので……」 「なんだおまえ、施設の出か」 「は、はい……」  少し俯いた梓の、(うなじ)から丸い背中のラインを漆黒は見るともなしに見た。    手の中のタバコをゴミ箱に投げ捨てようとして……どのみちひと月も禁煙などできないか、と早々に諦め、ひしゃげた形になってしまった一本を摘まみだす。  真っ直ぐになるよう、指で扱いたそれを唇に挟み、袂から取り出したマッチを擦って火を点けた。  目を細め、息を吸いながらタバコの先を炙っていると、ふと、梓が黒い瞳でこちらを見ているのに気付く。 「なんだ?」  問いかけると彼は、慌てたように俯いた。 「す、すみませんっ」 「なんだよ? なにか用事があるなら言え」  顎をしゃくって促すと、梓が白い服の裾をぎゅっと両手で握って、忙しなく瞬きをした。 「す、すごく、恰好いいなと、思って……」  消え入りそうな声で、恥ずかしそうに言われた言葉に、漆黒は虚を突かれる。  まさか、こんな子どもに褒められるとは思っていなかった。  じっと膝の辺りに視線を落としている梓が、どんな表情をしているのか見てみたくて、漆黒は彼へと歩み寄り、その細い顎へと手を伸ばした。    その途端、ビクリ、と梓の肩が大げさに跳ねた。  首を竦め、身を縮めようとした少年の反射的な動作を見て……。  漆黒は、。  梓は、、と。 「おい」 「す、すみません……」 「謝らなくていいから、顔を上げろ」  漆黒の声に、おずおずと少年の頭が持ち上がった。  黒目がちな瞳が、ゆるりと瞬いて。  きれいな顔をしているのだなと、漆黒は思った。 「誰だ?」 「……え?」 「誰に暴力を振るわれていた?」 「……え?」 「施設の職員か? それとも、いじめられっ子だったのか?」  漆黒を見上げて反らされた梓の喉元が、こくり、と動く。  彼がまた俯こうとするのを、その顎を掴んで留めた。 「下を向くな。堂々としてろ。背筋を伸ばせ」 「は、はいっ」  漆黒の叱咤に、梓が慌てた様子で丸めていた背中を伸ばした。  目にかかっていた前髪を、指先で掻き分けてやると、梓が一瞬体を強張らせ、目を閉じた。  長い睫毛が、頬に影を落とす。  うっすらと開かれた唇は、ふっくらと赤く、カーブを描く白い喉元と相まって、子どもながらに色気のある表情であった。  唇に挟んでいたタバコの先端から、灰がぼろりと落ちた。  それにチっと舌打ちをして、漆黒は梓の髪に触れた指でタバコをつまみ、ベッドの横のキャスター付きのサイドテーブルを引き寄せて、灰皿にそれを押し付けた。    ゆらり、と煙が立ち昇り、静かに消えてゆく。 「梓」  少年の名を呼ぶと、皮膚の薄い瞼が持ち上がり、彼の双眸に漆黒の顔が映り込んだ。   「本当に、なにをされるのかわかってるんだろうな?」  最後の確認を、漆黒は言葉にした。  梓がこくりと頷こうとし……漆黒に顎を掴まれたままで果たせずに、「はい」と返事をした。  ここで梓が嫌がってくれれば……或いは漆黒は手を引けたかもしれない。  けれど少年の黒い瞳には、決意が宿っていて……それは漆黒の問いかけにも揺らがなかった。 「……僕に、教えてください」  囁く声音で、梓がそう口にした。  漆黒は嘆息を漏らし、迷いを振り払うようにさほど乱れてもいない髪をかきあげ……そのまま、上体を屈めた。 「お子様のペースには合わせられねぇぞ」 「は、はい……」 「良い子にしてろよ?」    低い声で、そう告げて。  漆黒は、梓の小さな唇に、己のそれを重ねた。  梓の目が丸くなり、そのまま人形のように固まってしまった少年へと、漆黒は苦笑を漏らす。 「目を閉じろ」    漆黒が促すままに、梓の瞼が閉じられた。  その長い睫毛を、指の背でくすぐって。    漆黒はもう一度、唇を触れ合わせる。    梓の白い瞼が、物慣れなさを示して、ひくりと震えた……。    

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