12 / 54

第11話

 漆黒(しっこく)に教えてもらうのは、性技だけではなかった。  箸使いやテーブルマナー、立ち方、座り方、歩き方……その他諸々。  特にいつも注意を受けるのは、(あずさ)の姿勢だ。  猫背気味の梓が、気を抜いて背中を丸める度に、 「梓」  と、低い声が叱責してくる。  梓はその度に慌てて背筋(せすじ)にちからを込め、頑張って背中を伸ばすのだった。   「梓。昼飯は食堂で食うか」  四日目の昼、漆黒がそう声をかけてきた。  遊郭、というところで働いているからだろうか、漆黒の生活パターンは夜も朝も遅い。  これまで、施設で規則正しい生活をしていた梓は、最初こそ戸惑ったが、夜はベッドで散々漆黒に体を弄られたため、疲れ果てて翌日の昼前までぐっすり眠ったことで、すぐに慣れた。 「……食堂が、あるんですか?」  梓は洗い立ての顔をタオルで拭きながら、洗面所から顔を覗かせて男へと尋ねた。  これまで、食事は奇妙な能面を付けた黒装束の男が運んできていたため、梓はこの四日、漆黒の部屋からは一歩も出ていないのだった。  漆黒が、シニカルな表情で笑いながら頷く。 「そろそろおまえも退屈だろ? 散歩がてら、案内してやるよ」  梓は……退屈していたわけではなかったが、漆黒に誘われたことが嬉しく、 「ありがとうございます」  と礼を言って微笑した。  漆黒が、きれいに整えた髭を指先で撫で、僅かに目を細める。  彼は今日も和服姿で……それがよく似合っていた。  窓際に腰を下ろし、タバコをふかしている漆黒の姿は、この数日ですっかり見慣れたものになっている。  紫煙を(くゆ)らせながら、漆黒がふと、梓を見て小首を傾げた。 「それをそうと、おまえ」 「は、はい」 「ずっと似たような服ばっかり着てるが、それしか持って来てないのか?」  男らしい眉を顰めながら問われて、梓の頬が熱くなる。    梓は、漆黒の指摘通り、このワンピースのような白い貫頭衣を2枚しか持たされていないのだった。  洗濯物は、部屋の扉の横にあるふた付きの籠に入れておくと、能面の男が食事を配りに来たついでに持って行ってくれ、翌日には戻って来る、というシステムになっている。  だから梓は、この白い服を順繰りに着ているのだ。  貫頭衣は、控えめに言ってもくたびれていた。  穴こそ開いていないけれど、裾はほつれ、生地も伸びきっている。 「み、見苦しくてすみません……」  梓はタオルをぎゅっと握りしめ、そう謝罪した。  漆黒の着物は、見るからに高級そうな生地だ。  それなのに、一緒の部屋に居る梓がこれでは、さぞかしきたなく見えたことだろう。  身を縮めた梓へと、咥えタバコのままで男が歩み寄って来る。  すぐ隣まで来たところで、漆黒が、梓の背中をバシっと叩いてきた。 「梓。背中」 「は、はいっ」  梓は条件反射のようにピシっと背筋を伸ばした。 「まぁおまえは女顔だからな、似合ってるっちゃ似合ってるが……二着じゃ不便だろ」  ふぅ、と天井に向かって煙を吐いた漆黒が、なにかを考えるような顔になる。 「ガキの服なんて、あったかなぁ? まぁ、誰かに聞けばわかるか」  独り言ちた男が、洗面台の上にあった灰皿に(漆黒の部屋は至る所に灰皿が置かれているのだ)タバコを押し付けて、梓の頭の上でポンポンとてのひらを弾ませると、 「支度ができたら飯に行くぞ」  と梓を促してきた。  梓は慌てて櫛で髪を整え、漆黒に続いて部屋を出たのだった。  食堂、と漆黒が言ったので、梓は施設の食堂をイメージしていた。すなわち、厨房と食事処がカウンターで仕切られた、長テーブルが並ぶような食堂である。  しかし、漆黒に案内されて入ったのは畳敷きの、高級感あふれる部屋だった。  広々とした和室に、数か所にまとまって座椅子と座卓が配置されている。  生け花の花器が邪魔にならぬ位置に絶妙に収まり、壁側の足元にはガラスがはめ込まれ、そこから玉砂利や植木、季節の花が見えるようになっていた。  漆黒は悠々と座椅子に座り、梓を手招く。  梓はおずおずと漆黒の向かいに座ろうとして……ハッと背筋を伸ばした。  指摘する前に梓が姿勢を直したため、男が満足そうに頷く。  梓が席に着くと、すぐに能面の男が煎茶とおしぼりを持ってきた。  そして、さほど待つこともなく、漆塗りの四角い二段のお重が出てくる。  お重の横には、汁椀が置かれた。  梓は漆黒に倣って、お重のふたを開いた。  そこには、手の込んだ惣菜が何種類も収まっている。見るだけで華やかな気分になるそれに箸をつけるのがもったいなくて……梓はしばらく見惚れてしまった。 「食わないと冷めるぞ」  苦笑いをした漆黒に促され、梓は塗り箸を手に取る。  漆黒に教えられた通りの持ち方をこころがけるが、気を抜くとすぐにおかしな握り方になってしまった。  梓が悪戦苦闘していると、不意に明るい声が上から降ってきた。 「あれっ? 珍しいスね。漆黒さんがここに来るなんて」  ハキハキとした若い声に、梓はそちらを振り仰いだ。    そこには、青っぽい着物を身に着けた青年が、人懐っこい笑みを浮かべて立っていた。      

ともだちにシェアしよう!