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第23話

「鬼頭組に、使われようとしてるんだ?」  そう尋ねた瞬間、腕の中の華奢な体がビクンと強張った。  漆黒は何度目かのため息を吐き出し、身じろぎをすると、梓の中から己の欲望をずるりと抜き出した。  梓が可愛い喘ぎを漏らして、出てゆくときの感触をやりすごす。  漆黒は抱きしめていた梓から離れ、上体を起こした。  ペニスを覆っていたゴムを外し、口を縛ってベッド下のダストボックスに投げ捨てる。  その手でヘッドボードの上に置いてあった箱からタバコを摘まみだし、唇に挟んで火を点けた。  枕をクッション代わりに背の後ろに入れてそこにゆったりともたれかかりながら、漆黒は天井に向けて煙を吐き出した。  寝ころんだままでこちらを見上げてくる梓の、小さな頭を右手を伸ばしてぐりぐりと撫でると、大きな瞳をくすぐったそうに細めて、梓が首を竦めた。    梓の手は、グーの形に握られていて。  それが、彼の中に残る警戒心のように、漆黒には見えた。  梓の持っている情報を、吐かせて。  使えそうなネタならば、梓がここを出てゆく際に、それを外に居る捜査員へと渡してもらう。  漆黒のためならば動いても良い、と、梓に思わせることが肝心だ。   「梓」  半分ほどを吸い終えたタバコを、灰皿に押し付けながら、漆黒は彼の名を呼んだ。  潤んだような黒い瞳が、何度も瞬きをする。  無垢なその目の奥には、紛れもない恋情が潜んでいる。  それを確かめてから、漆黒はまた梓の頭を撫でた。やわらかな髪の感触は、手に心地良い。  「梓。俺は、警察の人間だ」  低く、潜めた声で。  漆黒は梓へと、そう告げた。  梓が言葉の意味を噛み砕く空白を挟んで、 「……え?」  と吐息のように零した。  ベッドに肘をついて、上体を起こそうとする細い肢体を、漆黒は右腕で支えながら彼が座るのを手伝った。  梓は正座を崩したような格好で尻をぺたりとマットレスに付けて、何度も瞬きをする。 「け、警察……?」  問いかけに、漆黒は軽く頷く。  背後にもたれていた背を起こして、上体を少し前へ屈め、梓と目線を合わせた。  シーツの上の小さな手に、己のてのひらを重ねる。  親指の腹で、甲の部分をやわらかく撫でて。 「おまえのちからになれることがあるかもしれない。梓。教えてくれ」  下瞼にちからを込めて、漆黒は微笑のかたちを作った。 「おまえは、なるんだ?」  梓の目線が揺れた。  無意味にうろうろと移動したそれは、最終的に梓の手を握っている漆黒の手元へと落ちた。 「ぼ、僕……」  呟いた梓の眉が、苦し気に寄せられた。  葛藤している。  漆黒に言うべきか、口を閉ざすべきか。  もうひと押しが、必要だ。 「梓。俺はおまえが、心配なんだ」   漆黒は、うつむく梓の、頼りなく白いうなじを見つめた。  喉だけが、漆黒の意思から切り離されたかのように、勝手に声を紡ぐ。 「俺は、おまえを……」    言うべきではない。  言わないほうがいい。  漆黒の中に僅かに残る良心が、警告を発している。    けれど。  漆黒は早く、ここから出たかった。  淫花廓(ここ)を出て、警察官である己を取り戻したかった。  そうしなければ、漆黒は……。  もう自分が何者であるのか、わからなくなってしまう……。 「おまえを、特別に思ってる」  勝手に動いた唇が。  低く、甘い囁きを。  梓の耳に、流し込んだ。    梓がハッと顔を上げた。  こちらを見つめる、無垢な黒い瞳。  それが、じわりと濡れた。  さらりとした髪を、揺らして。  梓が首を横に振った。 「……嘘です」  否定の言葉に、漆黒は微笑みを返す。 「おまえがそう思うなら、それでいい。でもな、梓。俺はおまえを助けたい。だから、教えてくれ。おまえはここを出た後、なにをさせられるんだ?」  漆黒の問いかけに、梓は唇を噛んだ。  またうろうろとし始めた視線を、「梓」と呼ぶことで己に繋ぎ止めて。  漆黒は、彼の赤い唇にキスをした。    ちゅ、とやわらかな唇を、吸って。 「おまえを、特別に思ってる」  同じせりふを、繰り返した。  梓の白い頬の上を、涙の粒が転がり落ちた。  大きな双眸が、漆黒の顔を映して泣いていた。  なにもかもを見通すような透明な目に。  己の嘘が透けて見えはしないかと、漆黒は慄いた。  しかしその怖れを顔に出したりはしない。  漆黒はただ穏やかに微笑んで、梓ともう一度唇を合わせた。 「……僕は……愛人に、なるんです」  梓が、震える声で、そう告げた。  堕ちた、と漆黒は思った。  けれど、それを喜ぶ気持ちも、達成感も、どこからも湧いては来なかった。  

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