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第24話

 (あずさ)の細い体を足の間に座らせて、背中を己へともたれかからさせる。  梓を抱き寄せた左手で、ネコでも撫でるように彼のやわらかな髪を撫でていると、その内に梓が強張りを解き、ぽつり、ぽつりと言葉を紡いだ。  梓は、鬼頭(きとう)組の(かしら)、鬼頭修司(しゅうじ)の愛人になるべく淫花廓(いんかかく)へ送り込まれたのだという。  否。愛人になる、という言い方は正しくない。  正確には、愛人を偽装する、だ。  そもそも事の起こりは、鬼頭組と柴野組の小競り合いであった。  縄張り(シマ)やシノギを巡っての両組の関係は最悪で、年間に何人か死人も出ている。  これを憂慮した鬼頭組の上部組織である長沼組が、鬼頭組の若頭、佐和山(さわやま)に柴野組の買収を命じた。  鬼頭と柴野の縄張り(シマ)が被っているのが不仲の原因であり、柴野を長沼組系列に引き入れることができれば、縄張り(シマ)は広がり抗争は減る、というわけである。  しかし、鬼頭と柴野の反目は深く、長沼組が柴野に甘い汁を与えると、鬼頭が己を蔑ろにされたと憤りを見せるため、結局は、鬼頭と柴野の和睦なくして柴野が長沼組に下ることはない、という結論に至った。  そこで佐和山が和解交渉に出向いた。  鬼頭、柴野の両組は互いに不利益を与えない、損得がどちらかに偏ることはない、柴野が長沼の傘下に入ったとしても、お互いに優劣の(べつ)はない。  考え得る様々な火種のひとつずつを消すべく佐和山は動いたが、柴野は長年の確執から鬼頭への不審を拭えず、中々首を縦には振らなかった。  その中で持ちあがったのが、人質交換の話である。      水と油ほど相性の合わない鬼頭と柴野の、唯一の共通点が、男の愛人が居る、ということだった。    長沼組が勢力を広げるのをよしとしない立場の人間も多かったため、鬼頭と柴野の和睦交渉は秘密裏に行われている。  そのため、正妻ではなく、愛人の人質をお互いに預け合うという形がとられることとなった。  一番お気に入りの愛人を相手に預けた上で、互いに譲歩できる部分を見つけ、落としどころを探る。  本来は組の事情に精通した正妻や家族などを使って行われるこの人質交換は、信頼がなければ成立しないものだ。  愛する者を預けても、無事に返してもらえるという相手への信頼。  組にとってマイナスとなる情報を、人質となった者が漏らすことはない、という人質への信頼。    人質交換の話を持ち出したのは佐和山であったが、これを断ることはそもそも相手を信用していないことと同義で、今後の交渉がご破算となってしまうため、断るという選択肢はないも同然であった。  そのため、鬼頭、柴野両方ともが、仕方なくこの条件を飲むこととなる。  ひと月後に長沼が設定した場所で、互いの愛人を交換すること。  これを破った場合には、鬼頭柴野に関わりなく制裁を科すこと。  人質交換後は速やかに、和睦交渉を進めること。  長沼組組長の命令を代読した佐和山に、鬼頭は怒り狂った。  それはそうだろう。鬼頭組という会社の副社長である佐和山が、社長である鬼頭を差し置いて親会社に使われているも同然の状況である。  しかし佐和山は、己の直属の上司である鬼頭への配慮も忘れなかった。  人質交換の話は、鬼頭のために持ちだしたのだと、佐和山は説明した。  柴野が無事に長沼に下ったあかつきには、それは鬼頭の手柄となり、長沼組組長から直々に褒賞の用意があること。  さらには、柴野へ送る人質は、鬼頭の愛人ではなく、べつの人間を影武者に仕立てること。    佐和山のその言葉に、鬼頭は飛びついた。    こちらが柴野を徹底的に調べているのと同様に、柴野も鬼頭の調査は完璧に行っているだろう。  しかし幸いなことに、現在鬼頭が愛人として可愛がっている相手は、鬼頭が掌中の珠のように扱っているお蔭で、恐らく誰にも顔を知られていない。    舎弟として頭の痛いことだが……鬼頭は、未成年の少年が好きで……それは柴野の知るところでもある。  そして鬼頭は、愛人にした少年のことを、無知で可愛いだけの人形として見ている節があり、無防備に組の内情なども少年へと告げているため、情報の重要性が解からぬ子どもを柴野に預けることは、鬼頭組若頭の佐和山としても避けたいところだった。  そんな佐和山の内心を知ってか知らずか、鬼頭は影武者を立てることをあっさりと許諾し、その人選は佐和山に一任された。  そして佐和山は慈善事業の一環として経営している施設を訪れ……院長が選んで来た子ども……梓に白羽の矢を立てたのだった。   「……身代わり、だと?」  漆黒(しっこく)はタバコを歯で噛み、苦い表情になった。  漆黒の腕の中では、梓が癖のない髪を揺らしてこくりと頷く。  己が選ばれるに至った過程を梓自身が知っているのは、彼が淫花廓(ここ)へ連れてこられたあの日、佐和山自身が楼主にそう語ったからだということだ。    秘密裏に動いているという和睦交渉の内容までも赤裸々に暴露したということから、佐和山の、淫花廓に対する信頼が透けて見えた。  楼主が秘密を漏らすことがないと知っているからか。  それとも、淫花廓は中立で、どこの組にもつかないと知っているからか。  あるいは……淫花廓が長沼組と持ちつ持たれつの関係だということなのか……。  梓の聞いている前で佐和山がそれを話した、ということにも漆黒は引っ掛りを覚えた。  梓に余計な情報を与えていいものか?  梓に、己の置かれた状況を把握させるためにわざと聞かせたのか……。  はたまた、梓が聞いたところで影響はないと、軽く見ているのか。  そもそもこんな……十七そこそこの子どもを身代わりするなんて、リスクが高すぎやしないか。  梓がいつ、己が影武者であることをバラしてしまうか、わかったものではない。  拷問に対する訓練も受けていない……ただの子どもなのだ、梓は。  梓が絶対に裏切らないという、なにか、確約するようなものが存在するのか……。  顎をさすりながら考えた漆黒は、苦い顔のままで問いかけた。 「おまえ、なんでそんな話を受けたんだ?」  漆黒の声に、梓が唇を引き結んだ。  返事を促すように、漆黒はまた梓の髪を撫でた。  梓がゆるゆると吐息をこぼす。 「……理久(りく)を、良い病院にかからせてくれると言うので……」  ぽつり、と頼りない声音で彼が答えた。  漆黒は天井に向かって煙を吐き出し、梓の告げた名に首を傾げる。 「りく? 誰だ?」 「……僕の、親友で……家族みたいな子です」 「そうか……」  頷いたものの、漆黒はまだ釈然としない。  親友を人質に取られている。  だから梓が裏切ることはない。  佐和山はそう考えたのだろうか。    担保としては、弱すぎないか……?  漆黒は自身の中に浮かんだ疑念を吟味した。  これは、梓と理久、2人の関係をよく知らぬ漆黒だからそう思うだけであって、梓にとって理久とはそれほどに大きな存在なのだろうか。    気付けば右手に持ったタバコの灰がかなり長くなっており、漆黒は慌ててそれを灰皿へと落とした。    梓は鬼頭の愛人として、柴野の元へ行く。  そのために淫花廓へと連れて来られ、漆黒は男に抱かれ慣れた体を作るため、梓の担当となった。  鬼頭は愛人となった子どもに贅沢三昧をさせるのが常だ。  だから、食事のマナーを教えろ、と楼主は漆黒に命じたのだった。  鬼頭のお手付きが、高級料亭などに連れて行かれないわけがないからだ。    梓の境遇を知ってみれば、いろいろなことに合点がいく。    人質交換までの、ひと月という期間は、梓を影武者に仕立て上げるために作られた期間なのだ。   「梓。おまえ、本当に引き受けるのか?」  いまさら、と自分でも思う問いが、意図せず口から漏れた。  言われた梓よりも、言った漆黒の方が、多分、驚いた。  タバコの苦みから逃げるように、まだ喫える長さのそれを、灰皿で揉み消した。 「はい」  短く、答えて。  梓が首を捻り、漆黒を見上げてきた。  ひたむきな、子犬のような黒い瞳。    桜色の唇が、少しだけ開いていた。  キスをされたがっている。  そう、感じた。  梓からは決して乞わないけれど。  小さな体で抱えた不安を、口づけで散らしてほしい、と。  彼の目が、そう言っていた。 「梓」 「……はい」 「おまえが鬼頭と柴野で見聞きしたことを、俺の仲間に情報提供してくれないか」  梓の唇から視線を背けて。囁く声音で、漆黒はそう告げた。  黒い双眸が、ゆっくりと見開かれ……そこに映る己の顔が奇妙に歪むのを、漆黒は無言で見つめた。  

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