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第42話

 漆黒は押し黙ったまま、男の目を見続けた。  楼主が掴んでいた漆黒の髪から手を離し、元の通りにソファへと座る。ぎし……とスプリングが微かに軋みを上げた。  男の唇から漏れる煙が、ふわりと漂い漆黒の顔へとふりかかる。   「なぁ、漆黒」  急かすふうでもなく、懐手した腕をゆったりと組んで、楼主が口を開いた。 「俺はな、手前(テメェ)一寸(チョット)がっかりしてんだ」  煙管(キセル)の吸い口でこめかみを掻いた男は、深い色の瞳に漆黒を映した。 「手前(テメェ)なら梓を助けるだろうと思ってなぁ。梓をおまえに預けたんだが……当のおまえはちんたらしやがって、ちっとも踏み込んで行きやしねぇ。梓を佐和山に返すと言ったときも、あっさりと手放しやがって、こりゃ俺の見込み違いかと涼香や般若(はんにゃ)におまえに発破を掛けるよう仕向けても」 「待て」  漆黒は男が告げた名前に驚き、言葉を割り込ませた。 「涼香、だと?」 「おいおい、しっかりしろよ。ちょっと考えりゃあわかることだろうが。そんじょそこらの公務員の女が通えるような場所じゃねぇだろうが、淫花廓(うち)は」 「…………」 「警察側にしてみりゃあ、手前(テメェ)を淫花廓に潜らせときゃあそれで面目が立つんだ。だがほったらかしにもできねぇ。万が一、漆黒、おまえが下手に淫花廓(ここ)の情報を掴んだら……まぁそんなこたぁありゃしないが……、それはそれで困る。だから、淫花廓(うち)(もん)を情報屋代わりに使ってたんだよ。誤解のないよう言っておくが、涼香が手前(テメェ)に教えた内部情報は、すべて本物だ。……なんだ、その顔は。不思議には思わなかったのか? 梓が来てからこっち、涼香はずいぶんとタイミング良く鬼頭や柴野の情報をおまえに渡してきただろうが」  漆黒はぐっと歯を食いしばった。  指摘されてみれば、なるほど、その通りである。  涼香の正体だってずっと気にはなっていたのだ。  しかしまさか、楼主の息が掛かっている者だとは思わなかった……。    と、そこで漆黒はハタと顔を上げた。 「待て」 「なんだ」 「淫花廓(うち)の者だと、あんたは言ったな?」 「ああ」 「淫花廓で働く者は皆、男じゃなかったのか?」  漆黒の疑問を、男が鼻で笑い飛ばした。 「おまえ、一度も涼香を抱かなかったそうだな? 一遍(いっぺん)でも抱いてりゃあ、すぐに気付いたものを」  くく、と愉快そうに肩を揺らす楼主を、漆黒は茫然と見た。 「……涼香は、男、なのか?」 「しずい邸の男娼だよ。スズランって名の娼妓だ。手前(テメェ)が女と思い込んでたって知れば喜ぶだろうな」 「ちょ、ちょっと待て。青藍は? あいつは涼香を抱いたはずだ」 「ははっ」  こらえきれない、と言うように、男が声をあげて笑った。  持っていた煙管を灰皿の上に置いて、男が小さなケースからまた刻みタバコを摘まみ上げる。 「青藍は確かにスズランを抱いた、が、目隠しをした上に後ろ手に縛られたそうだ」  くつくつと喉を鳴らしながら、楼主は煙管へと新しい葉を詰めていった。    女という思い込みがある上で目隠しをされたのでは、確かに気付かないだろう。  現に漆黒だって、疑いもしなかった。    引き切らぬ笑いを唇の端に浮かべた楼主が、唖然とする漆黒を一瞥する。 「手前(テメェ)の仕事を思い出せ、と般若から伝言を聞いただろう。手前(テメェ)が警察官であるなら、梓のことはなにがなんでも保護すると思ったんだよ、俺は。だが手前(テメェ)はちんたらしやがって、怪我をして帰って来た梓を見てもなにも行動を起こしやしねぇ。櫨染を使ってなにかこそこそしてやがる、ようやくなにか策を練りだしたのかと思いきや、今日はあっさり梓とさよならだ。かと思えば無策のまんま俺に土下座しやがる。中途半端なんだよ、手前(テメェ)は」  ぴしゃり、と楼主の言葉が鞭のようにしなって漆黒の耳を打った。    返す言葉もなかった。  男の言う通り、漆黒は中途半端だ。  中途半端に梓にやさしくし。  中途半端に梓を突き放し。  中途半端に梓を振り回した。  警察でもなく、男娼にもなりきれず、曖昧な立ち位置で、子どもをひとり見捨てた。  ぐ……と唇に歯を食い込ませ、漆黒は楼主の弾劾を受け止めた。  反論なんて、できるはずもなかった。  けれど、漆黒の胸には……梓を救いたいという思いがある。    漆黒さんはやさしいです、と言って……きれいに笑った梓に。  偽物のやさしさではなく、本物の情を注ぎたかった。   「それで?」  火を点けた煙管を咥え、顎を上げてこちらを睥睨してくる楼主が、漆黒の返答を促した。 「中途半端な手前(テメェ)は、いま、何者だ?」  漆黒は両のこぶしを握り締めた。  考えろ、と自分に言い聞かせる。  何者であれば、梓を救うことができるのか……。  考えろ。  いま、自分にできることはなにか、考えろ……。  漆黒は立ち上がり、楼主の横へと行くと、絨毯の上に膝をついた。  再び土下座の姿勢になった漆黒を、呆れたように楼主が見下ろしてくる。 「頼む」 「またそれか……」  楼主の嘆息を聞きながら、漆黒は言葉を続けた。 「、梓を救えるはずだ」 「……あん?」  漆黒のセリフに、男が片眉を跳ね上げた。    漆黒は両手を床についたまま、ひたと男を見上げた。  訝し気に寄せられた楼主の、その眉間の辺りを強い視線で睨みつけて、くっきりとした声で告げる。 「俺は、あんたの駒だ」  楼主の瞳が、一瞬丸くなり……やがて、じわりと細まった。  

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