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第3話 12月24日(月)21時30分 雪村聖のアパート
とうとう、クリスマスイブの夜がやってきてしまった。
職場から帰宅して部屋着に着替えた聖は、冷蔵庫から白い箱を取り出した。
「なんで二個買っちゃったんだろう……」
真っ赤な苺とサンタクロースの形の砂糖菓子が乗ったショートケーキが、箱の中で二つ仲良く並んでいる。こんな風に、寄り添ってケーキをつつきあうような恋人がいれば――と、また同じことを考えてしまう自分にげんなりとして頭を振る。
そもそも聖は恋人云々という以前に、クリスマスというイベントが好きだった。
雪村家では十二月になるとなぜか両親がはりきって家中を飾りつけ始める。それほど広い家というわけでもないのに大きなツリーを置いて、壁には赤や緑の星が並ぶパッチワークキルトのタペストリーがかけられるのだ。
子どもたちには毎年、父親手作りのアドベントカレンダーが用意されていた。クリスマスまでの間、毎日晩御飯のあとにひとつずつ袋を開ける約束になっている。袋は不恰好で、中身は大抵駄菓子だ。それでも開くたびにドキドキして、残りの袋を数えては「クリスマスはもうすぐだね」と家族で笑い合っていた。絶対にサンタの姿を見ようと心に決めても、はしゃぎ疲れて夜にはぐっすりと眠ってしまうのがお約束だった。
クリスマスというのは、聖にとって楽しい思い出の詰まった一大イベントなのだ。
家族が自分にやってくれたようなことを、いつか恋人にやってあげたい――そんな思いが頭のどこかにいつもあった。ついにその願いが叶うかと思ったのに、肝心なときに役立たずになったせいで振られてしまうなんて……
「うう……なんで勃たないんだよぉ……」
股間を見下ろすその視界がじわりとにじんでくる。
「勃たせてあげようか?」
「ふ、ふえぇええっ!」
突然背後から聞こえてきた低い声に、聖は床から十センチは飛び上がった。
「聖くん、君にクリスマスプレゼントをあげよう」
おそるおそる振り返る。そこには、真っ赤なサンタクロースの衣装をまとった男――と、トナカイが立っていた。
「え、え、誰、ですか!? ……っていうかトナカイ!? 本物のトナカイ!?」
男の隣に立っていたのは、もふもふとした毛皮をまとい、大きな二本の角をもつトナカイだ。
「私はサンタクロースだよ。こっちは私の相棒のトナカイ。もちろん、空を飛ぶトナカイだ」
男は赤い帽子の上から頭をかいて笑う。妙に落ち着いた仕草すら怪しさ満点だ。
「どどどどうやって、ここに入ってきたんですか! ふ、不法侵入ですよ!」
「おや、サンタクロースに不法侵入は適用されるのかい?」
「あっっったりまえでしょう!」
サンタは肩をすくめながら「君はそんな夢のないことを言わないと思っていたんだがね」と言い、窓のほうを指さした。くいと指先を曲げると、鍵を閉めてあったはずの窓がカーテンとともにゆっくりと開かれる。
「どうやってここに、と聞いたね。あれで来たんだ。なかなか立派だろう?」
狭いベランダの上に、大きな深い緑色ソリが浮かんでいた。星がまたたく夜空の下で、ソリの後ろにつけられた金色の鈴がきらりと光る。
「う、うそでしょ……」
「まだ信じてもらえないかな?」
くすりと笑う自称サンタを、聖は初めてまじまじと見た。
ひどく見覚えのある顔だと思ったが、その可能性は真っ先に排除した。目鼻立ちの整った色男で、背も高く、身体つきはそれなりにがっしりとしている――いやいや、まさかそんな。
「夢、だよね、うん。あんな大きなソリが空に浮かんでいるなんて、っていうか、サンタとトナカイが家にいるとか、ありえないし……はははははは」
「まぁ、君が納得するならそれで良いが。驚かせた私も悪かったか……」
壊れたように笑いだした聖を、心配そうにサンタが見つめる。するとトナカイが音もなく前に出て、聖の胸元に鼻先を寄せた。
「トナカイ、さん……?」
黒々としたつぶらな瞳にじっと見つめられて、急に胸がきゅんと疼いた。昔から動物には弱いのだ。夢なら夢で、この摩訶不思議な状況を楽しんでしまえばいいやと思うほどに。
すりすりと寄ってくるトナカイの首に腕を回してみた。想像以上に毛足が長く、もふもふと柔らかい。
「うわぁ、ふわふわできもちいい……ん、え、えええ!?」
ふわり、と身体が持ち上がる。
「聖さんのお肌はすべすべですね!」
「ぎゃあああああ!」
聖は若い男に抱きかかえられていた。しかも、男の上半身は裸だ。無駄な脂肪は一切ついておらず、腕や胸はしなやかな筋肉に覆われている。
「こら、カイ。聖くんがますます驚いてしまったじゃないか」とたしなめるような声が下から聞こえてくる。
「だってサンタさん、聖さんを独り占めしようとしていたでしょう? そんなのずるいじゃないですか」
カイと呼ばれた男が唇を尖らせて抗議した。カイの腕のなかで硬直していた聖が、名前を呼ばれてびくりと跳ねる。
「これは、一体どういう状況なんですか……!?」
ほとんど泣きそうになりながら聖は叫んだ。逃げ出そうにも、力強くがっちりとホールドされているせいで、まったく身動きがとれない。
「いつもがんばっている君に、私からプレゼントをあげようと思ってね。子どもたちへのプレゼントを大急ぎで配ってここへ来たんだ」
「ぷ、プレゼントって……」
「君が抱える重要な問題を解決してあげようと思っているんだ」
サンタが何を言おうとしているのか気づき、聖は視線を落とした。勃ちあがらない己の息子。勃ちあがっても早すぎる息子。確かに、重要すぎる問題だ。
「俺も、聖さんの力になりたいんです」
抱き上げられた状態のまま、下から顔を覗きこまれた。さきほど見たのとそっくりの、黒々と光る瞳がそこにある。
「もちろん、無理は言わないよ。さあ、どうする?」
サンタが立ち止まり、優しく微笑む。聖はごくりと喉を鳴らし、「これは夢だ」ともう一度つぶやいた。
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