3 / 25

~第一章~ 第二話「二日目」

 次の日の朝。  俺はベッドの上で上半身を起こし、携帯を片手にそのディスプレイをガン見していた。 『今からバーに来い』  名前は書いていないがきっと金久保なのだろう、それはわかる。  しかしなぜ、この男は俺の携帯のアドレスを知っている?  もしかして赤嶺が教えたのか?  そんなことを考え、自分の情報が他の人の手に渡ったことに溜め息に似た息を吐き出してしまえば、今開かれているメールの受信時間に気がつく。  朝の五時。  そして今の時間は六時。 「……年寄りかよ」  思わず誰もいない部屋でそう突っ込みを入れてしまった。  そして今、俺は金久保に頭を掴まれている。  白柳先輩のように頭を撫でてもらっているわけではなく、ギリギリと、本当にただ頭を掴まれ力を込められている。  容赦のない力の込め具合に、頭が割れそうだ、などと、痛みで余裕がないのにそんなことを考えていると頭上から声が聞こえた。 「お前、俺をバカにしてんのか?」 「滅相もございません。というか頭が痛いんですけど……いたっ、ちょ、頭頭」  俺の返答のなにが気に食わないのか、頭を掴んでいた手に力が込められたことに気がつき、相変わらずのポーカーフェイスを保ちながらそう声を上げる。  しかしポーカーフェイスということがさらに金久保の怒りを買ってしまったのか、頭を掴んだまま爪まで立ててきた。 「おお、お……」 「赤嶺とお前がどんな関係なのかは知らないし興味がない。それにお前は俺を監視している情報屋だ」 「あの、頭……」 「今お前がチームの仲間だとしても、チーム内での情報がもれたことがわかったら俺は真っ先にお前を疑う」 「……裏切り者には制裁を、ですか」 「なんだ、ちゃんとわかってるんだな」  俺の頭を掴んだままの金久保が、厭らしく口角を上げた。  その表情に色々な意味でゾクリ、と背筋が震えたことには気付かない振りをした。 「……金久保さん、俺だってバカじゃないんですよ」 「あ?」 「情報がもれていることがバレなければいい、そういうことでしょう?」  一瞬だけ驚いたようにわずかに目を開いた表情に、思わず笑みを浮かべてしまいそうになればポーカーフェイス、と短く息を吐き出し込み上げる気持ちを落ち着かせる。  頭を掴んでいた金久保の手の力が緩められていることに気がつけばようやく彼から距離を置くことができた。  割れてしまいそうなほどに頭に響く痛みに一瞬だけ眉を寄せては、バーの奥の部屋にいた俺はカウンターへ戻ろうと立ち上がる。  すると背後からくつくつと喉で笑う声が聞こえたため振り向いてみる。 「やっぱりお前のことは嫌いだ。頭のいい情報屋だからなおさらな」 「……誉め言葉として受け取っておきます」  情報屋は嫌われる。  それはわかっていた。  しかし金久保の情報屋に対しての感情は、なにやらとても重いもののように感じられた。 「……あ」  バーのカウンターへ腰を落ち着かせたとどうじに、金久保に聞きたいことがあったことを思い出した。  どうして俺のアドレスを知っていたのかとか、どうしてあんなにも早い時間にメールを送ってきたのかとか。 (まあ、いいか)  バーのマスターにノンアルコールの、バナナのカクテルを注文した俺は今の時刻を確認した。  もう授業が始まっている時間だった。 ―――― 「シーロちゃん」  これでいったい何度目だろうか。  遠くから聞こえる学校のチャイムの音を聞きながらそんなことを考えていると、聞き慣れた声、背後から抱きつかれる感覚にわずかに眉尻が揺れた。  お面を被っている俺の表情の変化に気がつく人なんているはずもなく、俺の背中に抱きついている人物は『んふふ』なんて機嫌のよさそうな声をもらしている。 「シロちゃん、なにか飲んでたの? バナナ味のカクテル? バナナが好きとか、シロちゃんはイヤらしいねぇ」 「赤嶺さん、それセクハラって言うんですよ」 「えー、いいじゃんいいじゃん。俺とシロちゃんの仲なんだし?」  ただの幼馴染みだろ、と言ってしまいたいのをなんとか堪え、ポーカーフェイスを保ちながらゆっくりと首だけを動かし振り返ってみると、そこには赤嶺と白柳先輩の姿が。  昨日、バーでは見かけなかった先輩の姿に、本当にチームの仲間だったのかと考えると、彼が呆れたような表情を浮かべていることに気がついた。 「白柳先輩、昨日ぶりです」 「ああ。そういや金久保を見なかったか?」 「金久保さんなら奥の部屋にいましたよ」  俺が指を差した先を見た彼はわかった、というように一度だけ頷いてからそのまま奥の部屋へ姿を消した。  金久保、ね。  俺は金久保と白柳先輩の関係を知らない。  もちろんだが、俺の背中に抱きついたままの赤嶺と金久保の関係も。  二人がチームに入っていることを昨日、知ったばかりだから仕方がないとは思うが。 「赤嶺さん」 「ん?」 「赤嶺さんの中に深入りしていいですか?」  普段の俺だったらこんなことは聞かない。  相手の返答なんか聞かないで、相手の知らないところで情報を手にしているところだ。  しかしそんな俺が赤嶺にそう聞いているのは、やっぱり幼馴染みだからなんだろう。  奥の部屋から赤嶺へ視線を移した俺の言葉を聞いた彼は、垂れている目を珍しく少しだけ見開いたかと思うと、すぐにその目を細め顔を寄せてきた。 「もちろん大歓迎ー。……シロちゃんとして俺の情報が欲しいんだとしても、嬉しいよ」  俺の耳元で、すぐ近くにいるマスターには聞こえないほど小さな声で囁かれた言葉に今度は俺が少しだけ目を見開いた。 (……本当、なに考えてんだコイツは)  赤嶺は終始ヘラヘラと笑っていた。  なにを考えていたのか俺でもわからない。  ポーカーフェイスはアイツのほうが上手いと思った。 「シロちゃん、もうお昼だよ」 「ああ、もうそんな時間だったんですね」  考え事をしていたせいで全く時間なんか気にしていなかった。  奥の部屋へ顔を向けても、白柳先輩と金久保が出てくる気配はない。  だから俺は『ファミレスに行こー』なんて言う赤嶺の言葉に迷うことなく頷いた。  赤嶺が先を歩き、その後ろを追うように俺がついて歩いている。  例えお面で視界が狭くなっても、小学校の頃から変わることのない赤嶺の態度。  俺はそんな彼のことをなに一つわかっちゃいなかった。 『金久保さんと赤嶺さんの関係を教えてください』  そう尋ねた俺の言葉に、彼は笑みを崩すこともなく平然と答えた。 『俺と総長はなんの関係もないよ。あの人と俺の間に人を置いての繋がりなら中学の頃からあるけどね』  そして最後にアイツはこう言った。 『勘違いしてるかもしれないから言ってあげる。総長に背中を預けられるか、その答えはノーだよ』  ノーって、金久保のことを信用してないってことだよな。  それに人を置いての繋がり、というのも気になる。 (情報が足りなすぎる)  内心、小さな溜め息をこぼしてからいつの間にか地面を見つめていた顔を持ち上げてみると、目の前には赤嶺が。  へらへらっと笑いながら素早い動きで俺の顔に手を伸ばしたかと思うと、俺が避けるよりも早く被っていたお面を剥がした。  突然のことに数秒、呆然と彼の顔を見つめた後、辺りを見渡してみると人影がなく思わず本気で安堵した。 「お、まえ、なにするんだよ! ふざけんなっ!」 「やっぱりそっちのほうがいいよ」 「は」 「敬語なんてクロちゃんには似合わない。誰もいないんだし、俺の前では外してよ」 「お前、な……」  思わず深い溜め息をこぼしてしまった。  恨めしげに彼を見つめてもお面を返してくれることはない。  確かに俺としても赤嶺相手ならお面を外したままの、素のままの俺のほうが楽だ。  というより、正直ずっと白狐のシロとしているのも疲れる。  そんな俺に気がついているのかなんなのか。 「もしバレたらどうしてくれるんだよ」 「俺が一生そばにいてあげる。クロちゃんの命がなくならないように」  言葉を失った。  それは赤嶺の言葉が意外だったとか、嬉しかったとかそういうわけじゃなくて。  最後の会話が三年前の、名前の知らないあの人に言われたことを思い出してしまったから。 『お前が本気で信用していい相手は、情報屋のお前のことを知っていて、その正体を知っても態度を変えないやつだけだ。少しでも表情に変化が出たやつはみんな敵だと思え』  ああもう、ちくしょう。  胸が、苦しい。 「クロちゃん?」  俯いた俺の反応に、不思議そうに顔を覗き込んできた赤嶺に笑って見せるが、どうにも引き吊っているように感じる。  だが彼はこんな俺の笑みになにも言わず、へらへらっと変わらない笑みを浮かべてくれただけだった。  昔は理解のできなかったあの人の言葉。  少しの表情の変化なんかわかるわけないだろ、と思っていたあの頃。  今なら、わかる。  赤嶺ならきっとずっと、なにがあってもこれから先も俺の味方でいてくれる。 「絶対に、そばにいろよ」  味方を本気で信用しなくてどうする。 「クロちゃん、このイチゴパフェ美味しそうじゃない? あ、でもクロちゃんはバナナ好きだからやっぱりバナナパフェかな。あーでもやっぱイチゴパフェも捨てがたいよねぇ」  結局お面を外したままファミレスに来てしまった。  まあ、俺が金久保のチームに関わるまでは普通に赤嶺と出かけたりしていたから、それほど意識はしなくても大丈夫だとは思うけれど。 「やっぱりバナナパフェにしよう。クロちゃんがバナナを頬張るエロい顔も見たいし」 「……赤嶺」 「んー?」 「いや、なんでもない」  コイツはバナナがカットされずに入ってると思っているのか。  そんなこんなで相変わらずバカな話をしていると、いつの間にかそばに男の店員が立っていることに気がついた。  俺に負けず劣らずの平凡な外見の店員は『ご注文をどうぞ』なんて、声まで普通だった。 「んーっと、このバナナパフェとメロンソーダとチョコレートソースがかかったホットケーキと……あ、味噌ラーメンとカルボナーラとナポリタンと、あとは――」 「待て」 「え?」  嬉々と注文していく赤嶺の言葉を思わず遮ってしまった。 「え、じゃないだろ。なんだその体に悪そうな大量のデザートと麺系は、一人で食うのか?」 「ほら、俺って成長期だから」  まだ成長する気なのかよ!  思わずそう叫びたくなったのも無理はないと思う。  声だけ聞けばのんびりとして、それでいてチャラチャラとした、それでも放たれる口調で俺と同じ身長かそれ以下を想像することだろう。  だが残念ながら違う。  コイツは俺よりも約十センチ高いのだ。  なぜ約なのか。  俺とコイツにそれ以上の差があることを俺自身が認めたくないからだ。 「クロちゃん、そんな目で見ても分けてあげないからね」 「……いらねぇよ」  一瞬、俺もそれくらい食べれば身長が伸びるんだろうかと思ってしまったのは口には出さないでおこう。  小さな溜め息をこぼしてから未だにそばに立ったままの、俺たちがさっさと注文をしないからかどこか困ったような表情を浮かべている店員に気がつきようやく俺も口を開く。 「俺はオムライスで」 「ケチャップはハートでお願いしますだってー」 「ふざけんな」 「あ、バナナパフェのバナナは丸ごとでね。切らないでね」 「おい」 「もう行っていいよ、よろしくねー」  なんという店員へのひどい扱い。  まるで逃げるように去っていく店員の後ろ姿を見送った後、睨むように赤嶺へ視線を移すが彼は相変わらずへらへらっと笑ったままだ。 「絶対に食わないからな」 「そんな、俺のバナナ食べたいでしょ?」 「下ネタやめろ」 「照れないでよ、可愛いなぁ」  もうダメだ、コイツ。  ときどき会話のキャッチボールができなくなることに再び短い溜め息をこぼしてしまうと、向かいに座っている赤嶺の眉がわずかに揺れたことに気がついた。  ポーカーフェイスの赤嶺が少しでも表情を変えるなんて珍しいな、などと考えながら問おうと口を開くが、その口は彼の手のひらによって塞がれた。 「黒滝、俺に合わせて」  何年かぶりに呼ばれた名前。  いつものへらへらっとした笑いではなく真剣な表情を浮かべている赤嶺。  それとどうじにファミレスに新たに客が入ってくることがわかった。 「見たら駄目だ」  有無を言わせない強い口調に、出入り口へ移しかけた視線を彼へと戻す。  すると彼はいつの間にか、いつもの笑いを浮かべながら俺の口を塞いでいた手でメニューを捲っていた。 「……赤嶺」 「んー? あ、来た来た」  嬉しそうな声を上げる赤嶺に視線を上げると、先ほど逃げるように去った店員の姿が。 『お待たせ致しました』なんて言いながら、赤嶺が注文した麺系やデザートを全て同じ時間に置いていったのはちょっとした嫌がらせだったんだろうか。  まあ、赤嶺はそんなことを気にしていないみたいだけれど。 「って、本当にハートだしな、意味わかんねぇ」  スプーンを手に、ハートの描かれたオムライスを見下ろしそう呟いてやると、『黒滝』と名前を呼ばれたため顔を上げてみる。  するとそこには満面の笑顔を浮かべながら、丸々一本のバナナが刺さったフォークを手にしている赤嶺が。 「赤嶺」 「黒滝の大っ好きな俺のバナナだよ?」 「赤嶺」 「ほら、その口を開けて俺のバナナを喉奥まで頬張って? あ、食べながらでいいから『赤嶺のバナナすごく美味しい』とか言って――」 「おい」  突然、俺のでも赤嶺のものでもない声がすぐ近くから聞こえた。  思わず顔を上げてしまいそうになったが、赤嶺の言葉を思い出し視線は彼に向けたまま。  聞き覚えのある声。  視界の端でチラチラと見える金色のもの。  なぜ、この男がここにいる。 「あっれー、総長じゃん。白柳との話は終わったの?」 「ああ。つーか誰だ、ソイツ」  早速かよ!  と声を上げてしまいそうのなったのも束の間、  赤嶺の口から放たれた言葉に俺は動きをとめることしかできなかった。 「俺の恋人。デート中だったんだから邪魔しないで欲しいんだけどー?」 「へえ、遊び人のお前に恋人ね? なに、ケツの具合でもいいのか?」  俺の座っていたソファが少しだけ沈み、軋む音を立てた。  なぜか?  そんなこと考えなくたってわかる。  総長――金久保が俺の隣に座ったからだ。 「総長、なんで俺の大事な恋人の隣に座るのかなー?」 「興味本意に決まってるだろ。つーかお前、こんな普通野郎のどこがいいんだ?」  視線を赤嶺に向けているため目は合わないが、隣からビンビンと顔に向けて視線を感じる。 (普通野郎とか、失礼なやつだな)  内心、そう悪態をつくと赤嶺は俺にバナナを向けたまま空いている手でラーメンを食べ始めた。  そんな彼に釣られるよう、バナナはスルーし渇いていた喉を潤そうとグラスに注がれていた冷えた水を喉へと流し込む。 「えー、そんなの総長には関係ないっしょ? それに総長の目から普通に見えても俺の目からは可愛く見えるし」 『ね?』なんて、金久保に向けていた視線を俺に戻したかと思うと、いつもとは違うやわらかな微笑みに思わず飲んでいた水を吹き出しそうになれば慌てて飲み干すが、気管に入ってしまったらしく咳き込んでしまった。  咳き込むことでいっぱいいっぱいになっていた俺は、自分に伸ばされている手に気がつかなかった。  未だに咳き込んでいるというのに、俺のものではない誰かの手が俺の顎を掴んだ。  かと思うとそのままグルリとまわされ、なぜか今、俺の視界には金久保の顔が映っている。  突然の出来事に頭が働かず、相手が視線を外さないためついつい俺もじっと見つめてしまった。  なぜか徐々に近づいてくる金久保の顔。  赤嶺の声が、遠くに感じた。  甘い匂いがする。  ちゅっ、という小さな音を立てながら唇に触れていた温かなものが離れた。  伏せていた目をゆっくりと開くと、何が起きたのかびしょ濡れになっている金久保の姿が。  その彼の睨むような視線を辿ると、そこにはメロンソーダの入っていたグラスを手にしている赤嶺がいた。  なるほど。  だから甘い匂いが漂っていたのか。 「あっちゃー、手が滑っちゃった。総長、めんごめんご」  ウインクをしながら、まるで語尾に星が付きそうなほど軽い謝罪に、甘い匂いを漂わせている金久保から黒いオーラを感じ取った。 「お前、ふざけんなよ?」 「それは俺のせりふー。恋人だって何回も言ったのにチューするとかさぁ」 「だから興味本意だっつっただろ。つーかお前、黙ってないでなんか言えよ」  手の甲で今だやわらかな感触の残っている唇を拭っては、二人の会話に耳を傾けながら手にしたままのスプーンでハートの描かれたオムライスを食べようとしたときだ。  突然、二人の会話がとまった。  何事だとオムライスに向けていた視線を上げてみると、赤嶺はグラスを手にしたまま俺を見ていた。 「……は?」  恐る恐る、顔を隣へ向けてみると金久保までもが眉間に皺を寄せたまま俺を見ていた。 「え、お前って俺のことか?」 「お前以外に黙ってるやつ誰がいるんだよ」  辺りを見渡してみるが、今は平日の昼間。  客なんているはずもなく、今この店にあるのは俺たちの姿だけだ。  その証拠に、先ほどちょっとした嫌がらせをしてくれた店員は少し離れた場所で暇そうにアクビをしている。 「えーっと?」 「お前、キスされてなにも思わないのか?」 「いや、なにも思わないっつーか。あんたゲイなのか?」  金久保がゲイ。  もしそうだとしたらすごい情報だ。  これは絶対に高値で売れる。  なんて、そんなことを考え一人でほくそ笑んでいると突然、脳が麻痺してしまいそうなほどの痺れが俺を襲った。  目を見開き、痺れの感じる下半身へ顔を向けてみると、中心に添えられている自分のものではない手がそこを揉んでいる。 「え、なにしてんだよっ」 「ゲイだって言ったら? 奉仕してくれるのか?」 「あんた、本当に――」  中心を擦り上げる手の動きがとまらない。  ゾクゾクと、体の底から込み上げてくる熱いものに、さすがにマズい、と熱っぽい息を吐き出したときだった。  視界の端からなにかが飛んできたことがわかる。  金久保はそれに気がついていないらしく見事それは彼の頭に直撃し、いい音を奏でながら割れた。  パラパラと、破片が俺の太ももにも降ってくる。 「俺のものに手を出すなって言ったよねぇ?」  いや、それは言ってない。  そう言葉を放とうと口を開きかけるが、赤嶺のいつものへらへらっとした笑いにがどこか黒いもののように見えたため口を閉ざした。  すると、甘い匂いと一緒に漂ってくる鉄の臭いに気がつく。  赤嶺から、その臭いを漂わせている金久保へと顔を戻すと、彼の額から赤いものが伝っていた。 「テメェ……」  マズい。  なにがマズいって、もちろん赤嶺がファミレスのグラスを割ったというのもあるが、ここで殴り合いが起こりそうだからだ。  警察沙汰になるなんて、そんなの御免だ。 「赤嶺、さすがにやり過ぎだ。謝れ」 「えー、なんで? 俺、黒滝のためにやったのに」 「それはわかってる。でもさすがにやり過ぎだろ、店員だって驚いてる」  目を見開きながらこちらを見てる店員へチラリと視線を送ってから、そばに置かれている手拭きのタオルで金久保の額を伝っていた血を拭ってやる。  と、今にも飛びかかりそうな雰囲気を醸し出していた彼は驚いたように、赤嶺を睨んでいた目で俺をとらえた。 「あんたも、ゲイだかバイだか知らないけど普通野郎の俺に手を出したってつまらないだけだろうが」 「……お前、本当に赤嶺と付き合ってんのか?」  普段の彼らしくもなくボソボソと放たれた言葉。  傷口にタオルをあてがったまま視線だけを赤嶺へ移すと、彼は首を上下に振っていた。  その様子に小さな溜め息をこぼしながら視線を戻しては、ゆっくりと口を開く。 「いや、付き合ってない。そもそも俺はノーマルだしな」  そう言葉を放った数秒後、なぜだか深い溜め息が聞こえた。  視界の端で赤嶺が頭を抱えていることがわかる。 「ならお前に手を出しても責めるやつはいないってことだな」 「……は?」  なにがどうしてそうなった。 ――――  今、俺と赤嶺は家までの帰り道を二人で歩いている。  小中学生はすでに授業が終わっているらしく、ちらほらとその姿を見かけた。 「赤嶺」 「……んー?」 「本当に悪い」 「いやー、うん。そんなに謝らなくても大丈夫だよ?」  らしくもなく歯切れの悪い赤嶺の返答。  そういう態度になってしまっているのも無理ない。  正直、俺だってファミレスでの出来事を思い出すと憂鬱な気分になる。  やっぱり嘘でも赤嶺の恋人だと宣言しておけばよかったか。 「ちょっと待てっ、俺はノーマルだって言ったばかりだよな?」 「ああ、言ったな。だからなんだ?」 「だからなんだって、あんたっ……」  シロとして会っていたときはそんな素振りを見せなかったから全く気がつかなかった。  金久保は、自分勝手なゲイだった。 (金久保はゲイで赤嶺はバイ、そして俺はノーマル。それなら白柳先輩は?)  なんて、ある意味場違いではないことを考えながらいつの間にか腰に巻き付いていた金久保の腕を引き剥がそうとするが、相手は族の総長で俺はただの情報屋、力の差は歴然だった。  そのまま体を引き寄せられ、彼の腕の中に閉じ込められてしまうと甘い匂いがさらに自分の鼻をつく。 「おい、俺も濡れる……」 「あ? 濡れたらいいだろ? 濡れてベタベタになってグチャグチャになろうぜ?」  金久保の手が俺の太ももをイヤらしく撫でる。  赤嶺の変態っぷりも駄目だコイツ、と思ったが、金久保の変態っぷりは赤嶺を越えている。  このままだと俺の貞操が危ないような気がする。  というか、確実に危険だろう。  助けを求めるように赤嶺へ顔を向けると、彼は相変わらずへらへらっと笑いを俺に向けていた。  だがその笑顔に違和感を感じた。  これは、確実に怒ってる。 「あ、赤嶺」 「おい、今ソイツは関係ないだろ? 俺を見ろ、俺を感じろ。ああ、今からホテルに行くってのも悪くないかもしれないな」  太ももを撫でていた手が徐々に中心へ近づいてくる。  マズイ、マズイマズイっ。  さっきも触られて少し反応したのに、これ以上触られたら絶対にマズイ! 「だ、からやめろっつってんだろッ!」  金久保の傷口に置いたままのタオルを手に、そのまま彼の首へ滑らせては容赦なく締め付けてしまった。 『ぐえ』なんて蛙の潰れたような声が聞こえたかと思うと、きわどい部分に触れていた手がようやく離れた。  首も力なく傾いたような気もするがそんなの知るか。  金久保の腕から逃げ出し、向かいに座ったままの赤嶺へ顔を戻すと、彼は何度かまばたきを繰り返してから俺を見た。 「赤嶺、悪い」 「黒滝……」 「本当、お前に合わせておけばよかったな」 「わかってくれたなら、いいよ。ほら帰ろー?」  俺に伸ばされた手。  へらへらっとした笑いも違和感のないものだった。  そんな彼に俺は、心底安心した。  そんな先ほどの出来事を思い出しては、そういえばオムライス食べてないな、と苦笑いを浮かべてしまった。 「クロちゃん」  あ、戻ってる。 「俺こそ、さっきは助けてあげなくてごめん」 「え、いや、そんな」  予想外の謝罪にらしくもなく動揺してしまうと、わずかに眉尻を下げた赤嶺が俺を見た。 「クロちゃんの感じてる姿が可愛くてさー、ついつい俺も興奮しちゃったよ」  思わず動きがとまってしまった。  ああ、そうだ。  赤嶺はこういうやつだった。  謝罪に少しでも感動した俺がバカだった。 「この、変態野郎がッ!」  その後の帰り道、満足に昼飯を食べることのできなかった俺がお腹を鳴らし赤嶺の家に招待されたのはまた別の話だ。

ともだちにシェアしよう!