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~第一章~ 第三話「三日目」
今日で金久保と出会って何日目になるだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら見慣れない天井を見上げていると、足になにかが巻き付いてきた。
視線を落としてみると、俺のものではない長い足が俺の足に絡み付いている。
落としていた視線を持ち上げ、顔を横へと向けるとそこには赤嶺の寝顔が。
赤嶺の家でご飯を食べたあと、逃がさないとでもいうように彼に捕まってしまった俺はそのまま自分の家に帰ることもなく泊まったのだ。
幼馴染みの家に泊まるなんて、中学生の頃以来だ。
小さなあくびをこぼしながら、枕元に置いていた自分の携帯を手にとっては今の時間を確かめる。
朝の六時。
自分で言うのもあれだが、体内時計には自信がある。
「赤嶺、起きろ」
近い位置にある赤嶺の頬を何度かペチペチと軽く叩いてやると、彼の眉がわずかに揺れる。
起きたか、と思ったのも束の間。
絡み合ったままの足はそのままに、次いで腰に腕が巻き付いてきたかと思うと引き寄せられた。
赤嶺の垂れた目が眠そうに薄く開かれ、色っぽい。
口さえ開かなければ女にもっとモテるだろうに。
本当にコイツ、顔だけはいいんだ。
「クロちゃんの匂いで勃っちゃった」
顔、だけは。
「この、アホが! 朝っぱらからんなの太ももに押し付けてくんな!」
「えー、クロちゃんのせいでこうなったのに」
「……トイレなら空いてるから、頼むからそっちに行ってくれ」
下半身も上半身も絡まれているせいで身動きすらできず、さらには太ももに押し付けられている硬いものに俺は溜め息混じりにそう返すことしかできなかった。
すると渋々、といった様子だがようやく離れてくれたことに思わず安堵する。
そしてそのままトイレへ向かうのかと思ったら、なぜか赤嶺はベッド脇に立ったままだ。
どうしたのかと、今だ横になったままの体を起こし彼の顔を覗き込んでみる。
「クロちゃんをオカズにしてもいい?」
「……赤嶺」
「もー仕方ないな。ならシロちゃんでもいいよ」
いつものへらへらっとした笑い方ではなく、すごく嬉しそうな、楽しそうな表情。
何度も言ってしまうが、コイツって本当、
「残念だよな……」
「で、今日はどうするんだ?」
赤嶺がトイレで事を済ましている間に、赤嶺家での定番の朝食、焼いた食パンの上にチーズとベーコン、そして赤嶺用にブラックのコーヒーを準備し終えると、さっぱりした表情を浮かべた赤嶺が戻ってきたためそう尋ねる。
すると彼は笑顔を浮かべたまま部屋の中心のソファ、そして俺の隣へと腰を落ち着かせた。
「んー、どうしようかな。クロちゃんはどうする?」
「俺は白柳先輩に会おうかなってさ」
「へえ? なにか用事?」
「まあ、そんなもんだな」
昨日、白柳先輩と金久保がなにを話していたのか気になるし。
金久保の情報を収集していることを知らない赤嶺にそう話すことができるはずもなく、曖昧に誤魔化した俺の言葉に彼は食パンを口にくわえたまま不思議そうに小首を傾げた。
「で、お前は?」
これ以上、自分の話題を広げるつもりのなかった俺は逆に赤嶺へ、先ほど尋ねたことをもう一度口にすると彼はコーヒーを喉へ流してから口を開いた。
「クロちゃんについて行きたいのはやまやまだけど俺は学校に行こうかなー。」
『単位ヤバイし』なんて続けられた言葉に、自分の単位は大丈夫だっただろうかと考えてしまった。
――――
朝食を食べ終えた赤嶺は学校に、俺は白狐のお面を被りここ数日お世話になっているバーへ向かっている。
白柳先輩はいったいどこにいるのか。
もしかしたら学校の屋上かもしれない。
などと考えながらバーへととびらを潜り、辺りを見渡してから奥の部屋も覗き込む。
と、そこには昨日と同じようにソファへ腰を落ち着かせながらカラフルなカクテルを飲んでいる金久保の姿が。
(生きてたのか)
なんて失礼なことを内心、呟いては白柳先輩のいないこの場所に用はないと、踵を返した。
つもりだった。
誰かに襟首を掴まれ、なぜか奥の部屋へと引きずり込まれている。
誰か、なんて考えなくてもそれが金久保だということはすぐにわかる。
しかしデジャヴだ。
「おい、自分からここに来たくせになにも言わずにいなくなるのか?」
「そうですね、ちょっと目的の人がいなかったので」
だから俺に触るな、と言ってしまいたいのをなんとか堪えると、襟首を掴んでいた手が離れたため相手に気がつかれないほど小さな溜め息をこぼしながら振り返る。
すると先ほどと同じ体勢でカクテルを飲んでいる金久保が。
それはノンアルコールなのか、と尋ねてみたいがそんな時間はない。
「白柳だろ?」
「……よくわかりましたね。でもここにいないみたいなんで失礼します」
一度、小さく頭を下げてからその場を去ろうとするが、今度は頭を掴まれてしまったため動くことができなくなった。
しかしこれもまたデジャヴを感じる。
「白狐のシロに頼みたいことがある」
「この俺に、ですか?」
「ああ。とても不愉快だが腕のいい情報屋は今のところお前しか知らなくてな」
どうやら本当に情報屋のシロに用事があるらしい。
「早く先輩に会いたいですけど、まあいいですよ。……でも、ちゃんとわかってますよね?」
「報酬は先払い、だろ?」
さあ、族の総長が情報屋を使ってまで欲しがる情報はなんなのか、言ってみろ。
後悔した。
偉そうに言ってみろ、なんて思わなければよかった。
数分前の自分に会えるのならば言ってやりたい。
髪の毛をむしり取られてでもいいから金久保から逃げろ、と。
だってまさか金久保の欲しがる情報が、
「赤嶺と親しげの黒滝の情報だ。生年月日から生まれた場所、好きなものや嫌いなもの、全ての情報を頼む」
この俺の情報だったなんてな。
「総長が一人の人間の情報を欲しがるなんて、それほどその人は金久保さんの恨みでも買ったんですか?」
なぜ昨日、初めてあった俺の情報を求めるのか。
気になりそう尋ねてみると、動揺したのか彼の眉が大きく揺れた。
数秒の沈黙のあと。
金久保はゆっくりと口を開いた。
「……ソイツに、惚れたんだ」
マジかよ。
わずかに俯き、照れくさそうに口元を手のひらで隠すような仕草に嘘ではないということが伝わってくる。
一体どこに惚れたのかとか、本気なのかとか。
色々と聞きたいことはあるけれど、聞いてしまったら後戻りができなくなってしまうような気がする。
なにが、と聞かれたら俺にもよくわからないんだけど。
「へえ。まあ先払いしていただけるなら理由は気にしないですけどね」
「それなら受けてくれるってことでいいんだな?」
「もちろんです」
不審に思われないように俺の情報を全て提供するしかないな。
もちろん、情報屋だということは秘密にしておくが。
発生した予想外の面倒事に思わず内心、深い溜め息をこぼしてしまった。
――――
用件はそれだけだったらしい金久保からようやく解放された俺は今、学校の屋上への階段を上っている。
ここに来るまでに廊下で何人かの生徒とすれ違ったが、みんな恐ろしいものを見るかのような目で俺を見ては走って逃げていった。
わかってはいたが嫌われてるな、とお面を被ったまま小さく笑い、屋上へのとびらを開く。
すると一昨日と同じように、フェンス越しから街並みを見つめている白柳先輩の後ろ姿が目にとまった。
「先輩、やっぱりここにいたんですね」
「シロか?」
「はい、俺です」
振り返ることもなく呼ばれた名前に一度だけ頷いては歩みを進め、先輩の隣へと立ち見上げてみると、彼も俺を見下ろしていた。
まるで全てを見透かしているようなその瞳に、フェンスへ伸ばした指先がピクリとわずかに揺れた。
「お前、まだ情報集めてんのか?」
「まあそうですね、一週間の契約なんで」
「……無茶だけは、すんなよ」
視線を外しながら放たれた俺を心配するような言葉。
嬉しさに、思わず胸が熱くなる。
「ありがとうございます。……それなら先輩、俺が無茶なことをしなくていいように教えてくれませんか?」
フェンスに顔を向けたまま、視線だけをまた俺へ戻した。
「昨日の金久保さんとの話の内容」
無意識なのか、先輩の眉がわずかに揺れた。
そして数秒の沈黙。
その沈黙がなにを意味しているのか俺は気づいていた。
気づいていて、敢えて口を開かない。
そんな俺に気がついたらしい彼は小さく息を吐き出した。
「シロ、情報屋ならどうするべきかわかってるだろ?」
「等価交換、ですか」
「お前が情報屋を始めた理由、それを教えてくれたら俺のも教えてやってもいい」
少しだけ意外だった。
情報屋をやめろとか、そこまでいかないにしても族での情報を収集するのはやめろと言われるもんだと思っていた。
「そうですね……まあ、立ち話もあれですし」
フェンスを背に、ゆっくりとその場に座り込むと隣に立っていた先輩も同じように腰を下ろす。
その動きを見つめてから顔を青空へと向けては、緩い風を浴びながら開いていた目をゆっくりと閉じた。
俺が情報屋になったのは、名前の知らないあの人が原因だ。
あの人との出会いは、俺が中学校に入学したばかりの頃だった。
――――
「あっれー? 今日はクロちゃんクロちゃん言ってるあのアホはいねぇのか?」
桜が散り、俺を含む中学校に入学したての一年が学校に馴染み始めていた時期だ。
一緒に登下校し、いつも引っ付いていた赤嶺が『限定のイチゴミルク買ってくる!』なんて目を光らせ、制服を着たまま校門を飛び出していったのを屋上から見送った数分後だった。
柄の悪そうな男が三人、無駄に大きな音を立てながら屋上へのとびらを開いた。
男たちが誰なのか俺にはわからない。
けれどきっと、普段から騒がしい俺と赤嶺を敵視している奴らだということに変わりはないだろう。
「先輩たち、屋上に用事か?」
面倒だ、と小さな溜め息をこぼしながらそう尋ねると、歩み寄ってきていた一人の男が突然、腕を振り上げた。
喧嘩を得意としない俺はそれを避けることすらできず、加減を知らないその拳は俺の頬を殴り付けた。
ガシャン、とフェンスが大きな音を立てる。
「『用事ですか?』だろ。後輩の癖に舐めた口利くんじゃねぇよッ!」
フェンスに背中を預けている俺には左右のどちらかしか逃げ道はない。
だが、数少ないその逃げ道を残りの二人が塞ぐ。
おいおい、汚いやり方だな。
「三人で一人を壁に追い詰めて、そうまでしなきゃ勝てないのかって――ッ!」
一人の男の手が俺の前髪を掴み、今度は逆の頬を殴ってきた。
それを合図に残りの二人の手が俺の体を殴り、蹴る。
鼻が痛い。
口の中に鉄の味が広がっている。
痛みで閉じていた目を薄く開くと、楽しそうな笑みを浮かべている三人が。
狂ってやがる、と言葉を放とうと開いた口からは呻き声しかもれなかった。
(てか、赤嶺はどこまで行ったんだ!)
開かれままの目を再び閉じては、体全体に感じる痛みに深く眉間に皺を寄せながら内心そう叫ぶ。
しかし叫んだところで赤嶺が戻ってくるほどこの世界は都合よくできているはずがなく。
ただ長い時間が流れた。
「コイツ、泣きもしないしつまんねぇな」
一人の男がポツリと呟いた。
その呟きが聞こえたのか、他の二人は動きをとめ続く言葉を待っていた。
「もっと痛め付けてみるか」
「……おい、それはさすがにヤバイだろ」
「あ? 別に殺すって言ってるわけじゃねぇんだ。なんだよ、ビビってんのか?」
「いや、そういうわけじゃねえけどっ」
一体なんの話をしている?
コンクリートの上に倒れたまま、痛む体にギリッと奥歯を噛み締めながら顔だけを持ち上げる。
なにやらキラリと光るものが目に入った。
「うわ、ナイフとか犯罪じゃないですか。ちょっと警察でも呼びましょうかねー」
新たに聞こえた声に、ここにいた四人全員が反応を示した。
しかし慌てているのは目の前の三人だけで、カランッという乾いた音やとびらの閉じられる大きな音が響いた。
複数の足音が徐々に遠くなっていくにつれて、近づいてくる別の足音が静かな辺りに響く。
「おい、大丈夫か?」
掛けられた言葉。
俺の顔を覗き込む白狐のお面を被った男。
なんだ、この男は。
「そんな顔するな。殴られて不細工になってる顔がさらにすごいことになってるぞ」
「……あんた、誰だ?」
腫れ、満足に動かない口からなんとか言葉を放つと、お面の向こうの目がわずかに開かれたことに気がついた。
だがお面を被っているせいかなにを考えているのかわからない。
「知らないなら好都合。俺のことはシロって呼べよ」
これが四年前に出会った名前の知らないあの人との、俺にとっての『白狐のシロ』との出会いだった。
あの日からシロと行動を共にしてわかったことがある。
シロは情報屋だということ。
仕事中は敬語だということ。
喧嘩も強いということ。
他にも挙げたいところはあるが、今のところはこのくらいにしておこう。
「そういやお前、あの後どうしたんだ?」
「あの後?」
「俺がお前の名前を聞いた後だよ」
一週間前の、俺とシロが初めて出会った日のことを聞いているのだろう。
シロ、という名前を教えてもらったあと、半ば無理やりに名前を聞き出された。
その後、落ちていたナイフを拾い、怪我人の俺をそのままにこの狐男は屋上から去っていったのだ。
そして入れ替わるかのように、限定のイチゴミルクを購入できたらしい満面の笑顔の赤嶺が帰ってきた。
コンクリートの上に倒れたままの、ボロボロの俺の姿に彼は手にしていた限定のイチゴミルクを落として駆け寄ってきてくれた。
中身がこぼれ出し、甘い匂いが漂う。
もったいない、と痛みで余裕がないのにそんなこと考え俺はそこで意識を手放した。
「で、そのあとその赤嶺が保健室に連れてってくれたらしいんだよ」
「赤嶺って奴と仲がいいんだな」
「まあ、幼馴染みだし」
俺たちは今、初めて出会った学校の屋上で話をしている。
どうやらシロは屋上が好きらしい。
この一週間、毎日のように屋上に足を運んでいるがシロがいなかった日は一度もない。
情報屋の仕事はないのか、と聞きたくなったりもするけれど、シロと過ごすゆったりとしたこの時間が好きだから口になんて出さない。
「で、その幼馴染みは今はどこだ?」
「アイツの好きな好物をやってそのまま教室に置いてきたけど、赤嶺に興味あるのか?」
「いやそれはない。最近お前、よくここに来て幼馴染みとの時間が減ってるみたいだからな」
『たまには遊んでやったらどうだ?』と続けられた彼の言葉に、屋上に来る前の赤嶺のことを思い出す。
嫌だ嫌だと、俺が一人で屋上に行くことをまるで子供のように嫌がって、しがみついてきて。
それが寂しさから出た行動だとは気がつかなかった。
「シロってすごいよな」
「急になんだ。情報だったらタダじゃやらないぞ?」
「そういう意味じゃないっつの。やっぱり情報屋だからか? 人のこと見てるよな」
フェンス越しから街並みを見渡したあと、座っている俺の背中に寄りかかっているシロへ向けてそう言葉を続けると、なぜか彼の動きがとまった。
不思議な、数秒間の沈黙。
「……だから、情報屋は嫌われるんだ。お前も嫌になったか?」
予想外の言葉に、俺は目を見開いた。
薄々、情報屋は嫌われるものなんじゃないかとは思っていた。
けれどまさかシロがそんなことを口に出すなんて、思ってもみなかった。
未だ動きをとめたままのシロに、ふっと小さく笑ってから体を捻っては、目に入った広い背中へとのしかかるように体重をかけてやる。
苦しげに吐き出された悪態には、らしくもなく声に出して笑ってしまった。
「嫌にならない。嫌いになるはずがない。つか、むしろ興味がわいた」
「……どういうことだ?」
シロにのしかかったまま、雲一つない青空を見上げる。
「俺も情報屋になるかな」
そうして俺は情報屋への道を歩き出した。
もちろん、シロには『情報屋にはなるな』と何度も言われた。
けれど俺の決心は固く、それに気づいた彼が目を伏せ、深く息を吐き出したのを今でも覚えている。
なんて、そんな長々と白柳先輩に話すことができるはずもなく、『俺の知り合いが情報屋だったので』の一言で片付けてしまった。
閉じていた目をゆっくりと開き、隣に座ったままの彼へ顔を向けるとその言葉に納得していないらしく、怪訝な顔を浮かべている。
「嘘じゃないですよ?」
「ならその知り合いは今どうしてるんだ?」
そんなの俺が聞きたい。
本当、今どこでなにしてるんだよ。
別れ際のあの人の表情を思い出しては短く息を吐き出し、重い口を開く。
「わからないんですよ。その人とは、もう三年前から会ってないんです」
今にも泣き出しそうな顔をして、あの人はどこに行った。
「……シロ、寂しいのか?」
「寂しい?」
「目が、泣きそうだ」
白柳先輩の手が顔に伸ばされる。
その瞬間、彼から一定の距離を置いてしまったのは今、俺がお面を被っているからだ。
白柳先輩に触れられたくなかったとか、そんなことは決してない。
だからといって触れられたかったわけでもないけれど。
などと、誰に言い訳をしているのか、そんなことを考えながら小さく謝罪の言葉を口にするが先輩の隣には戻らず。
伸ばされ、行き場をなくした彼の手は気まずそうに自分自身の膝へと落とされた。
「……なんか、悪い。別にお面を取ろうとしたわけじゃねえんだ」
「わかってます、ちゃんとわかってますから先輩がそんな顔する必要はないんですよ」
眉尻を下げ、本当に申し訳なさそうな彼の表情に笑いかけようとした瞬間だった。
白柳先輩の表情が、名前の知らないあの人の泣きそうな表情と被った。
呼吸が、とまった。
性格だって、声だってあの人に似ていない。
それなのにどうして、白柳先輩からあの人の面影を感じる?
「……先輩、等価交換ですよ」
笑顔も浮かべられずに言葉を放った俺を、彼はどう思っただろうか。
「ああ、わかってる。昨日の金久保との話の内容だろ?」
それとも、俺の表情に気づいていないから変わらない声色でそう返したんだろうか。
先輩の口がゆっくりと開かれ、言葉を放とうと息を吸い込んだ。
学校のチャイムが鳴り響いた。
突然の大きな音に、言葉を放とうとわずかに口を開いた表情のまま先輩は動きをとめている。
そんな彼から視線を外し、制服のポケットから携帯を取り出し今の時間を確かめるとすでに十一時をまわっていた。
「先輩、混む前に売店に行きませんか? 話は食べながらってことで」
『もう十一時ですし』と言葉を続けると、彼は開かれたままの口を閉ざし小さく頷いた。
「……先輩、そんなに食べるんですか?」
四時間目が始まる前の休み時間だからか、人のいない売店でパンを購入した俺たちはまた屋上に戻ってきていた。
俺は無難に焼きそばパンとメロンパンと牛乳を買った。
白柳先輩はというと――
「シロはもうちょい食べたほうがいいんじゃねえのか?」
俺の三倍の量はある。
(いや、食べ過ぎだろ)
内心そう呆れてしまいながらも焼きそばパンの封を開けては、片手で被ったままのお面の下側を引っ張り、空いた隙間にパンを突っ込み頬張る。
なかなか食べづらいが、仕方がない。
パンを頬張りながら時たま牛乳を飲み、隣でもくもくとパンやらおにぎりやらを食べている白柳先輩へ視線を移すと、彼もこちらを見ていたようで目が合った。
「……先輩」
「……ん?」
「先輩ってゲイですか?」
「は?」
先輩の食べていた鮭のおにぎりがコンクリートの上に落ちた。
その隙を狙っていたかのようにスズメたちが集まるが、彼は気にしていないようだ。
目を丸くし、俺を見ている。
先輩との付き合いはかれこれ二年になるが、ここ数日、彼の表情がよく変化している気がする。
「金久保さんがゲイで、赤嶺さんがバイ。だから白柳先輩はどうなんだろうと興味があったので」
「……期待に応えられなくて悪いけど、俺が今まで付き合ったやつは女だけだな」
「それならノーマルってことですね」
金久保のチームは、金久保の趣味で男もイケる人しかいないのかと思っていたから少しだけ安心した。
というより、今までの付き合いでなんとなくノーマルだとわかってはいたけれど。
「シロはどうなんだ?」
「俺もノーマルですよ。っと、話が脱線しましたね」
『お前が振ったんだろ』という白柳先輩の言葉を右から左へ。
食べ終えた焼きそばパンの袋を未開封のメロンパンの下敷きへ、まだ中身の残っている牛乳を喉へ流してから先輩へ顔を向ける。
と、彼はまだ残っていたパンへ手を伸ばしながらこちらを見た。
「俺には兄がいる」
らしくもなくビクリ、と肩が跳ね上がった。
「アイツは今、病院で入院してるんだ。だからたまには見舞いに行ってやれって、そういうことを金久保と話していた」
そう言うと、いつの間にか袋から取り出したパンを頬張った。
なぜだか短い沈黙。
なにかがおかしいと、パンを食べ進める彼へ今度は俺が口を開く。
「それだけですか?」
「それだけだけど?」
「あの、先輩のお兄さんと金久保さんとの関係とか教えてくれないんですか?」
「俺、確認とったよな。昨日の金久保との話の内容だよなって」
まさか。
「それ以上の情報が欲しいなら、わかってるだろ?」
やっぱりそう来たか!
「……先輩、上手いですね」
「まあ、俺の兄は情報屋だったしな」
一つの線が、もう一つの線と繋がった。
動揺を隠すことができない。
「なに。それは、どういう」
「なんとなく勘づいていたんじゃないか?」
待ってくれ。
次々と言葉を続けないでくれ。
頭が、働かない。
「俺の兄は情報屋で、元白狐のシロだった」
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