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グラッツェル劇場 2

「大丈夫? 今のは……?」 「ああ、うん。人さらいみたいなもの」 「ひ、人さらい⁉︎」  アンリの声に通行人が何ごとかと振り向く。ジョシュアは人差し指を口にあてて「声が大きい」と注意する。   「このあたりは商業施設に隠れていかがわしい見世物とか……ば、売春宿が多くて。ああやって未成年を勧誘して奉仕させる売人がいるんだよ」 「ええ? さすがに今のは強引すぎる……きみ、いつもあんな感じで声かけられてるの?」 「ウェストエンドに来るときはだいたい先生のお供をしてるから」 「そっか、なら安心した」  ジョシュアの顔立ちが美しいかといえば、人によって好みがわかれる所だ。彼の濃い顔を苦手とする人もいれば、美しいと褒めたたえる人もいるだろう。アンリはそのどちらでもなく、ただ彼の碧眼が美しいと感じた。 「でもひとりになった瞬間あやしい売人が声をかけてくる」 「うん、おれが目を離さないでおくよ」  ジョシュアの人生は前途多難のようだ。  時刻は午後1時。受付役が響きわたる声で開場を知らせる。 「開場時間となりましたのでチケットを拝見いたします」  扉がひらくと瞬く間に人の波が劇場へと吸い込まれていく。少年たちは受付をすませると、観覧席ではなくラウンジへ向かった。ラウンジは軽く飲食ができる休憩所である。開演前なら観覧席でも雑談はできるが、人が多く窮屈で落ち着かなかった。  ラウンジへ到着すると2人は壁際のソファにゆったりと腰を落ち着けた。せわしなく注文を受け飛び回っている給仕を呼び止める。それぞれ好きな飲み物を注文した。アンリがコーヒーを頼もうとすると給仕が一瞬おどろいた表情をしたが「かしこまりました」と決まり文句を言って厨房へ下がっていった。  飲み物を待っているあいだ、2人はハムレットについて語った。といってもアンリは戯曲の知識しか持ち合わせていないので、主に喋っていたのはジョシュアの方だった。意気揚々と語り出すたびに彼の碧眼が輝きを増していく。ハムレットの見どころや注目のセリフ、シェイクスピアが生きていた当時の価値観などをほぼ息継ぎなしで喋りきった。 (ジョシュは本当に、シェイクスピアが、演劇が好きなんだろうな)  アンリは好きなものや夢中になれるものを想像してみたが、どれも彼ほどの情熱をもって取り組んでいるものはなかった。  しばらくして飲み物が運ばれてきた。アンリのコーヒーと、ジョシュアの紅茶。お互い同時に一口目を飲んだ。アンリは渋い顔をする。あのとき給仕が驚いたわけを理解した。 「なるほど、まずい」 「英国でおいしいコーヒーを見つけるのは難しいよ」 「そうだ、まずいといえば……」  アンリは同じ学校の生徒として、どうしてもジョシュアに聞いておきたいことがあった。

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