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学生寮にて2

✳︎ ✳︎ ✳︎  ここはロンドン郊外の北西部。美術大学に併設された附属校である。3年制で在学生の総数は150名弱。時間の許す限り学外の出入りは自由。寮生活を義務付けられているものの、外泊許可は簡単に下りるという緩さ。思春期の少年たちにとってこれほど過ごしやすい学校はない――実技試験さえ通ればの話だが。狭いコミュニティのため全員の名前を覚えるのもそう難しくはないだろう。  入学式直後を見計らって数人から声をかけられた。それも決まって上級生ばかりだった。最初はフランス人の留学生が珍しいからだろうと思っていたが、話を聞くとそうではないようだ。  話の切り口はそれぞれ違っていた。3棟ある学生寮のうちアンリと同じ寮に住んでいるだとか、1人で留学は心細くないかとか、どこどこの画塾に通っていたとか。しかし、最後に締めくくる台詞は皆同じだった。 「なんか……いきなり上級生から『俺の弟になってくれ』って言われたよ? どういうこと⁉︎」 「うわ、入学早々大変だな、アンリ」 「他人事みたいに言うなよ……ジョシュは大丈夫だった?」 「ぜんぜん何もなかった。上級生は見た目で選んでるっぽいな」  ジョシュアは前方にいる新入生を指す。新入生は皆フラワーホールに白い花をつけていた。小柄で大人しそうな見た目の男子が上級生になにか尋ねられている。  ジョシュアはとても背が高い。おまけに肌は褐色で異国の雰囲気を出しているのだから上級生どころか新入生も声をかけづらいだろう。 「ジョシュと並んでるせいで小さく見えるけどおれは小柄じゃないぞ? それに大人しく見えたなら心外だな――」 「ジョシュ? ジョシュア・ハンソンだよね!」  後方から少女のような甘ったるい声が響いた。アンリは驚いて振り返る。この学校には男しかいないはずだが――  それは豊かな金髪をたくわえた少年だった。背丈は小さく、ジョシュアと比べると頭1つと半分ほど差がある。どうやら変声期前の少年らしかった。 「クラウス?」 「会いたかった、ジョシュ!」 「わっ――」  クラウスと呼ばれた少年は勢いよくジョシュアに抱きついた。 「ジョシュ、きみ背が高いからすぐ見つけられたよ。式が終わってすぐにきみを探そうと思ったんだ。でも上級生が何人もぼくの前に立ちはだかってさ。最初は恐喝されるんじゃないかと思って怖かったよ。ぼくに弟になってほしいんだって。おかしいよね、他人なのに。ぼく、実兄とはちっとも良い思い出がないし、兄弟なんていらないって言ったんだ。そしたらあの人たち、よけいに付きまとってきて大変だったよ。血の繋がりだけがすべてじゃない、血の繋がらない兄弟にこそ真の価値があるって。最終的に誰がぼくと兄弟になるかで揉めてた。怖くなったから走って逃げてきちゃった。もし兄弟になるとしても、ぼくのこと小さいとか女の子みたいとか言った人のとこには絶対行かない。小さいのは成長期だからだもん。あっでも『お兄さんはきみのことを全然理解していない』って言われたのは同意するね! 昨日は兄さんから1日じゅう小言を言われてさ。『おまえに寮生活なんて出来るはずないし、きっとルームメイトの子に迷惑をかける』って。ぼくもう13歳だよ? 小学生じゃないのに。それでめちゃくちゃ腹が立って、今朝は兄さんとひとことも口をきかずに家を出たんだ。見送ってくれたのはお父さんだけだったよ。そうそう、お父さんから入学祝いに懐中時計をもらったんだ。英国製のものもいいけどやっぱり懐中時計といえばスイス製だよね。お父さんの実家――本家っていえばいいのかな。スイスにあるって前に言ったっけ? 本家ではドイツ語を話さなきゃいけないから今までドイツ語を勉強してたのに、この学校じゃフランス語しか習わないでしょ。どうしよう、ぼく、一度にふたつの言語を覚えられるほど頭良くないよ。フランス語はジョシュの方が得意だよね。また教えてね」  ジョシュアはうんうんと優しくうなずきながら、取りとめのない話を聞いていた。

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