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授業初日1
授業初日に出題された課題とは『リンゴ、布、ガラス瓶、花、棒きれ2本を自由に組み合わせてデッサンせよ』というものだった。生徒らは課題を見るなり落胆した。何のことはない、入学試験で出題されたものに『花と棒きれ1本』が加わっただけだ。静物デッサンは主張の激しい10代の生徒らにとって甚だしくつまらない課題のひとつだった。
生徒と同じ数だけ、モチーフが机に理路整然と並べられている。一人ひとりの机は広く設計されていて、机の端には画材を置くためのくぼみが設置されている。前方の黒板をよく見ると『モチーフを破壊しないこと』と小さく注意書きがなされている。
アンリの右隣にはヴィクターが座っていた。ヴィクター・シャルマ。インド北部出身の移民三世。祖父母の代から英国に移住して、彼は生まれたときから英国人として育てられた。父母は故郷の言語を習わせるのにそれほど熱心ではなかったため、インドの言葉はほぼ話せないのだとヴィクターは語った。
左耳のイヤリングが鈍く光を放っている。短く刈り込んだ襟足は季節柄寒そうに見えるが、本人は平気な顔をしている。肩幅が広く、服の上からでも分かるほどたくましい二の腕。スポーツに興じる者の証だった。背丈はアンリとさほど変わらないのに体格に大きな差があった。彼のデッサン用鉛筆は削り面が見えないほどしっかり研ぎ澄まされている。列を乱さず並んでいる鉛筆は彼自身の性格を表しているようだ。
無遠慮にじろじろと観察されていることに気づいたヴィクターは、流し目でニヤッと笑う。小声でアンリに問いかけた。
「クラウスと何か揉めているようですが……」
「えっ、なんで知って――」
「そりゃあクラウスとはルームメイトですから。昨夜は彼を夕食に連れ出そうとしたんですけど、ベッドに潜り込んだまま出てこなくて。……夜中泣いてましたね、彼」
今朝見たクラウスの顔を思い起こす。目は腫れていなかったように思うが、クラウスはしきりにまぶたを擦っていた。
教師が入室して号令をかけた後、本日の授業の説明に入った。教室は依然としてざわついている。
「クラウスが泣いていた原因が実はあなただってこと、今朝知ったばかりなんです。『アンリには負けない』って意気込んでました。あれだけ泣いてたのに今朝起きたら開口一番『お腹すいた』ですよ? はは、意外としっかりしてますね」
ヴィクターは同居人の悲しみをどこか楽しんでいる様子だった。
「いったいおれの何に勝とうとしてるんだ……」
「『ジョシュア争奪戦』ですかね。クラウスの態度はわかりやすいですよ、本当に。今まで一番大切にしてきた親友を盗られるのが嫌なんでしょうね。出会って1日しか経っていないわたしですら分かります」
「盗るだなんて……言いがかりだ。知り合いが周りに誰もいない状況なら最低限、同居人となるべく仲良くしとくものだろ」
「じゃあ、ジョシュアとはただの同居人であり特別な感情は一切ないってことをクラウスに直接伝えないと。彼、一生つきまとってきますよ」
「はあ……面倒だな」
最前列に座るクラウスの表情はわからない。上背のある男子2人に挟まれているせいで彼の背中は余計に小さく見える。それでも豊かな巻き毛の金髪が彼を目立たせていた。
「昨日みたいに、またフランスの話聞かせてくださいね。興味をそそられる話ばかりでした。アンリは話し方が上手くて感心させられます」
「ありがとう。おれの浅い知識でよければいくらでも」
教師が静粛にと呼びかける。ヴィクターはまだ何か言いたそうにしていたが、アンリがすでにデッサンのことしか考えていないことを悟ると口をつぐんだ。教室内はようやく静まり返り、緊張感に包まれる。教師が片手をあげて「始め」の合図を送った。
モチーフを組み終えるのにそれほど時間はかからなかった。苦戦している周りの同級生を尻目に、アンリは意気揚々とデッサンに取りかかった――
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