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クラウスの回想2

 馬車に揺られて1時間弱、貴族屋敷が立ち並ぶ住宅街に到着した。執事に案内されて応接間の扉を開けると、そこには赤髪の紳士――レムスター卿が仕立てのよいダブルのフロックコート姿でふたりを出迎えた。レムスター卿は親子をソファに座るよう促すと、手ずから紅茶を注いでもてなした。 『お久しぶりです、ベルツさん。ご足労いただきありがとうございます』  『いやいや、レムスター卿にお会いするのは……何年ぶりだろうか? 節目節目にごあいさつせねばと思っていたんだが……法曹界を引退したあともなかなか忙しくてね』 『お気になさらず。貴重な時間を割いていただいて恐縮です』 『そんな! それはこちらの台詞だよ、レムスター卿。そうそう、あなたの絵を数年ぶりに見たくなったので某美術館へ行ってね。いや、はじめて見たときの感動そのままで! 感動とはいつまで経っても色あせないものだなと……』  クラウスは大人ふたりの世間話に興味がなく、香り高い紅茶を飲みながら応接間の調度品をしげしげと眺めていた。大理石のマントルピース――その上に飾られたオブジェ――花模様の壁紙――シャンデリア。流れるように視線を移して再びふたりに目を向けると、それに気づいたレムスター卿はにこにことクラウスに微笑みかける。 『ベルツさん、そちらのお若い紳士はお孫さんですか』 『いや、こちらは息子でね。末子のクラウスだよ』 『ああ、これは失礼』  ベルツ氏は齢70に近い老紳士である。クラウスが彼の孫だと思われても無理はない。雪原のように白い髪の毛と顔に刻まれた深い皺が彼の生きた年月を物語っている。クラウスは父に背中をすっと押されて簡単に自己紹介した。 『末子だからと自由にさせておいたんだが、ちょっと世間知らずなところがあってね。レムスター卿の作品の前で「テンペスト」の話をしたら、それがもうまったく興味を示さず「わからない」と言うだけで。わたしは悲しくなったよ……』 『ははは、それはそうでしょう。年頃の少年に古典劇はつまらないものです。もちろん私としては興味を持ってもらえると嬉しいのですが』 『そう、それで話があるんだよ』 『はい、お伺いします』  レムスター卿は神妙な面持ちでベルツ氏の言葉を待った。 『わたしはもう老い先短い人生だ。わたし自身はいつ神に命をお返ししてもよいと思っているんだが、この子の将来が気がかりで……。今はわたしとクラウスともども、跡を継いだ長男の家で暮らしているが、わたしが先に逝ったらこの子はどうなると思う? 順当にいけば長男が養育するようになるだろうね。しかし長男は融通の利かない――芸術を理解しない男なのはあなたも知ってるだろう?』 『ええ、仕事一筋でとても真面目な方です。そういえば、ご長男はお元気ですか』 『見た目はどうともないがね、神経症を患っているようだ。元の性格からして神経質なんだ。今朝も燭台の向きが違うといって使用人を叱っていたよ。細かすぎるんだ、あいつは。こんな男にクラウスを預けたらどうなるだろう? 法律の分厚い書物を無理やり読まされ、法科の大学に行かされ、つまらぬ学生――長男と同種の人間と友人になり――』 『ベルツさん』  レムスター卿は眉をひそめてベルツ氏の愚痴を制止した。 『えっ……いやはやこれは……失言だった、レムスター卿の前で』 『それで、お孫さんをどうされたいのです』 『とにかくだ、長男に養育させたらきっとつまらぬ人生を送ることになるだろう。末子はこの通りまだ未熟で、長男にああしろこうしろと言われたら従うしかないのだよ。それで、長男の手が行き届かないうちに先手を打っておこうと思ったわけだ。わたしは短い余生をこの子のために注ぎたいと思っている。歳を取ってからできた子というのはこんなにも可愛いものかと自分でも驚いてるよ。今日うかがったのは他でもない……我が末子の「適性」を見てもらうためだ』 『適性ですか……』  レムスター卿はティーカップを手にとり紅茶を口に含んだ。少し生ぬるくなっている。話の中心にいるはずのクラウスは、一連の話を聞いているのかいないのか、ひとことも言葉を発さず紅茶をがぶ飲みしている。 『どうにかしてこの子に芸術の素養を身につけさせたいんだよ。わたしはこの子を上の息子たちのように法曹の道に進ませるつもりはない。この子は、クラウスだけは芸術の華やかな世界にいさせてあげたいんだよ。舞台鑑賞なり絵画鑑賞なりわたしもできうる限りのことは施しているんだが、どうも身に入らないようで。芸術家というものは才能ある選ばれし者がなると思っていたが、努力しだいでどうにでもなるとあなたは仰っていたね』 『そのとおりです。現に私がそうですからね』

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