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銀髪の紳士1
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アンリたちが思い出話に花を咲かせていた頃、別の場所でも思い出話が取り交わされていた。
ローレンス美術学院、大学構内の一室。教授の役職を与えられた者が腰を据える部屋を一般的に研究室と呼ぶが、学内の人々はみな一様に『アトリエ』と呼んでいた。
アトリエの扉には『舞台芸術学部 学部長 ウィリアム・モーティマー教授』と金文字で刻印された白いプレートが吊り下げられている。アトリエの内部は、彼に限っての話だが、言うなれば図書館のようである。膨大な蔵書がアトリエ内にひしめいて整然と並んでいた。これらの蔵書はすべて演劇、音楽、歌、舞踊、美術――舞台芸術に関する書物ばかりである。
学生や教員たちは、この貴重な書物目当てに――あるいは邪な気持ちを胸に秘めてウィリアムのアトリエを訪ねる。しかし、今ウィリアムと会話している人物はそのどちらでもなく、ただ腐れ縁という関係性で毎日のように入り浸っている存在だった。
アトリエの扉をあけてすぐ、こじんまりとした応接間、その奥に執務机。左側には先ほど述べた図書館が広がる。大きく取られた窓枠が壁面に連なって外光をめいっぱい取りこんでアトリエを照らしている。
眼鏡をかけた銀髪の紳士が部屋主のウィリアムと差し向かいで談笑している。彼の頭髪と口髭はほぼすべて銀色に覆われていて、襟足にほんの少し黒っぽい髪の毛がのぞいている。銀髪といっても、老紳士と表現するには憚られる中年の紳士である。眼鏡の柄は銀の鎖でつながれており、首から鎖が垂れ下がっている。銀髪の紳士は愉快そうに新聞を広げ、向かい側のソファで本を読んでいるウィリアムに問いかける。
「ウィル、先日は面白い事件に巻き込まれたようだな」
「茶化さない……危うく少年が命を落とすところだったんですよ?」
ウィリアムは分厚い書物を開いたまま膝におき、相手の不謹慎な発言に眉をひそめる。
「うん、それは新聞に書いてある。ああ、ボクもぜひ素晴らしい事件をこの目に焼き付けたかったな」
銀髪の紳士は意地悪い顔で自身の瞳を指す。深海を思わせるネイビーブルーの瞳は紳士の髪色によく似合っていた。
「マックス」
「はいはい、不謹慎だな。やめるよ、やめる。君は怒ると怖いからな」
銀髪の紳士――もといマックスは新聞を閉じてローテーブルに置いた。眼鏡をたたんでフロックコートの襟の合わせ目に挟む。
ウィリアムは短く溜息をついた。
「だいたいあなたは荒事など苦手だろうに……」
「そうだとも。ゆえにボクは傍観者としてその場にいたかったと言ってるんだ」
「いい加減にしなさい」
マックスはくつくつと喉をならして笑うと、懐から煙草入れを取り出した。
「煙草を吸わせてもらうよ」
「どうぞ。窓を開けますね」
ウィリアムは自らアトリエの窓を開け放った。マックスはマックスで部屋主に窓を開けさせることを厭わない。
極彩色の孔雀が描かれたインド更紗 の煙草入れから艶のあるパイプ煙草を取り出す。パイプ煙草などは労働階級の象徴のようなものだが、彼はこれを好んで吸っていた。
パイプに添えた指にはスネークリング――一対の蛇を模した指輪が右手の中指に収まっている。蛇は程よくデフォルメされていて、爬虫類特有の鱗は描かれておらず、銀のなめらかな素材をいかした作りになっている。蛇の鋭い眼孔には青々としたサファイアがはめ込まれていた。
ウィリアムはアトリエ内の本にヤニがつくのを嫌って来客には禁煙を促している。もっとも、アトリエの厳粛な雰囲気の中で煙草を吸いたいと思う者などめったにいない。それでもマックスにだけは喫煙することを許していた――窓を全開にすることを条件として。
「結果的に、ウィルが当初の予定を曲げてまで劇場に行ったのは正解だったわけだ?」
「そもそも“当初の予定”は観劇だった。悲しいことに私も権力に屈する人間でね――」
「社交界で生きていくには当然だな。ボクはつくづく市民階級 で良かったと思うよ。君の教え子にはなんて説明したんだ?」
「舞踏会に行くなどとは言えず……仕事と。ある意味義務を果たしに行くのだから仕事と言えなくもないか。とにかく、嘘をついた事実には変わらないな。ジョシュアには大変悪いことをした。招待主の公爵夫人にお断りの返事をしたのだが……再三招待状が送られてきてさすがに無視できなくなった。今思えば、ここで折れてしまったのがいけなかった――いざ舞踏会に出向くと、妙にご婦人方の視線が私の方に向けられて……」
「ふん、そりゃいつものことだろう」
ウィリアムは赤髪というだけで目をひく存在だが、それを差し引いても容姿端麗であり、婦人はもちろんのこと、紳士たちも彼を放ってはおかなかった。
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