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銀髪の紳士2

「主催の公爵夫人は出会い頭に言いました……主賓はこの私であり、これは私の妻選びのために設けられた舞踏会だと」 「なるほどねえ。考えてみれば寡夫(やもめ)の君を世間が放っておくはずないものな。うまくハメられたわけだ」 「それだけならまだ我慢できた……ご婦人方と数曲ダンスすればいいだけのこと。それが終われば体調不良なり適当に理由をつけて帰ればよかったのだから……しかし……ああ、思い出すのもつらいのです、マックス。舞踏会の黒幕は別にいた。それは、その名を口にするのもおぞましい――義兄でした」 「――義兄だって?」  煙草を楽しんでいたマックスは思わずパイプから口を離した。吐き気を催したような顔で言う。 「正直おどろいてるよ。いや、『奴』が現れたことじゃなくてだな……君が『奴』のことを義兄などと敬意を込めた呼び方をしていることにだよ。君の義理堅さは尊敬に値するが――縁を切った相手のことをいつまでも義兄と呼ぶのは感心しないな」 「名前では呼びたくないんだ」  ウィリアムは嫌悪感をあらわにして吐き捨てるように言った。いつも物腰柔らかく丁寧な言葉づかいをする彼がつっけんどんな物言いをする。興奮しているせいもあるが、マックスの前ではふだんより砕けたしゃべり方をするのだった。 「……まあ、ウィルの好きにしたまえ。で、義兄殿はなぜ君の前に現れた?」 「ひとことで言うなら『関係修復』のため」 「いまさら何を修復しようと? 君の奥方は天に召された。そして奴は今後いっさい会わぬという誓約書を書いた。名実ともに義兄弟(きょうだい)関係は解消されているじゃないか?」 「誓約書もしょせん紙きれ。いくらでも誓約は破ることができる」 「はっ、厚顔無恥にもほどがあるな。わざわざ公の場に出向いて君に逃げられないようにしたってことか」 「そう。残念ながらすべては仕組まれていた。なんと宮殿に集められた女性たちは全員彼の縁者だったのです……見知った顔が何人かいると思ってはいたが。彼は私に近寄ってきて『お気に入りの女性はいたか』と――」 「気持ちわるい。女たちが全員奴の手先とはな」 「彼女らを使って私との関係を修復しようと企んでいたのは間違いない。ただ義兄の本来の目的を知っていた女性はまずいないでしょうけど」 「しかし味方がひとりもいない状況でよく生還できたな」 「すぐに馬車を用意させて強引に振り切って帰りました。周囲が止めるのも聞かずに……彼の顔を見るのも嫌だったのでね」 「で、その後のできごとはこの新聞のとおりってわけか」  ウィリアムは伏し目がちにうなずいて続けた。 「ジョシュアには本当に悪いことをしたと思ったので、近々私の邸に招待することにしました。被害者の少年もいっしょに――ああ、マックス、招待されていないのに来てはいけませんよ?」 「ウィル……いくらボクが悪人でも、君と君の教え子の和気あいあいとした仲に割って入るような恥知らずではないよ? 『本当に義理堅い男だ』と褒めてやろうと思った矢先にこれだ」  ウィリアムは手を添えて笑っている。マックスは少し不機嫌になったが、差し向かいの親友が冗談を言えるほど明るさを取り戻していることに内心ほっととしていた。 「しかし、主催の公爵夫人もまた義兄に利用された内のひとりだし、挨拶もなしに帰ったのは礼を欠いていたと気づいたのも後のまつり。翌日あわてて詫びの電文を夫人に送りましたよ……。まあ、しばらくは社交界など遠慮したいね」 「ふん、言えてる」  一気に言いたいことを言い終えると、ウィリアムは立ち上がった。 「冷えましたね。煙草はもういいでしょう、マックス」 「ん、ああ」  ウィリアムはすっと立ち上がって全開の窓を閉めにかかった。窓を閉める合図は『帰れ』のサインだった。やんわりと喫煙を止められたマックスは名残惜しそうにパイプを煙草入れに戻し、懐にしまう。おもむろに立ち上がろうとしたその時――扉を遠慮がちにノックする音がアトリエに響いた。  ウィリアムが入るように促すと、静かに扉は開かれた。 「失礼します、本を借りにきました――えっ」  本を借りにきた学生らしき若い青年は、我がもの顔でソファに座る珍客に体をこわばらせた。 「お好きにどうぞ、グレイ教授とはいま話し終わったばかりなので――」 「い、いえ、やっぱり講義のあとにお伺いします! 失礼しました!」  学生をあたたかく向かい入れようとしたウィリアムの厚意もむなしく、青年は早々と扉をしめて逃げ去った。  マックスは眉根を寄せて不満げに言う。 「舞台芸術(きみんとこ)の学生は気が弱すぎる。この心優しき紳士の顔を見るなり退散するとはなかなかに失礼じゃないか?」 「よく言う……」  絵画科教授マクシミリアン・グレイは学内でもかなりの『変人』で通っている。絵画科の学生たちは彼の扱いを心得ているので、大抵のことは受け入れたり受け流したりして平穏に学生生活を送っている。しかしながら、彼にあまり関わり合いのない舞台芸術学部の学生は、尊敬すべき我らの教授(ウィリアム)がなぜこの奇妙な男と友誼を通じているのか理解に苦しむというのがもっぱらの総意だった。

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