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憩いの場1
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あれから数週間後、アンリは平穏な――もとい煩わしい日々を過ごしていた。授業初日のデッサンの一件以来、アンリは教師や生徒から一目置かれる存在になっていた。他クラスの同級生はいざ知らず、上級生にまでアンリ・デュ・ゲールの名と顔を知られるところとなった。全校生徒は150人程度なのだから遅かれ早かれ覚えられていただろう。
やはりパリの名門校を目指していた留学生はレベルが違うとか、どうしてこんな才能の塊がわざわざ海を渡ってきたのだろうとか、さまざまな憶測が飛び交った。先日デッサンの授業を担当した教師からは「君のデッサンを学校で保管させてほしい」と懇願された。デッサンの見本として永久保存し、次年度の教材として使わせてもらいたいと教師は話していた。アンリは断る理由もないため快く了承したのだった。
教師も生徒も、彼とすれ違うたびに大仰な挨拶をしたり、微笑みかけたり、遠まきに噂話をした。アンリとしてはもっと目立たない存在でいようと心がけてはいたが――周りがそうはさせまいと、表舞台に立たせようと躍起になるのだった。
「有名人は大変だねえ」
とある昼下がり、午前授業を終えた放課後にて。他人事のようにつぶやくのは2歳下の同級生クラウス・ベルツである。先日、放課後で語り合って以来、クラウスとは友人関係を築いていた。昼下がりの陽気の中を私服姿で闊歩している。
豊穣の麦畑を思わせる金髪が笑うたびに小刻みに揺れる。アンリは少しだけ、ほんの少しだけだが、彼の明るい金髪が羨ましいと思った。アンリも一応は金髪に属する髪色である。オリーブゴールドというくすんだ色はあまり金髪と思われない。幼い頃はクラウスと同じくらいの金髪だったのに、年をとるにつれて今の色合いに落ち着いてしまった。目立ちたがりの性分がとっくに消え失せた今となっては、このくすんだ髪色も少しは愛せるだろうかとアンリは考えた。
豊かな巻き毛の金髪は校内にそうそういない。おまけに新入生よりさらに年下の小柄な少年なので、当然ながらクラウスは目立つのだった。
「そうかな? きみも相当目立つと思うよ。よく上級生に声かけられてるじゃないか」
「えー、いやだ。嬉しくない。そもそもぼくからしたら同級生も上級生みたいなもんだよ。みんな身体大きいし」
「そりゃ仕方ない。あと3、4年もすれば体格差なんて追いつくさ、気にするな」
「うう……3、4年も待てないよ――ん?」
寮から数十歩、噴水広場に出ると2人組の上級生に呼び止められた。お互いゆずり合うようにして「おまえが先に行け」「いいや、おまえが先だ」などと小声で言い合っている。なんとも慎ましい上級生だ。ゆずり合いの結果、1人がクラウスに『契約』を申し込んできた。
アンリは入学初日のことを思い出す。兄弟になってくれ――という謎の申し出。あの時ほど意味不明で不気味なことを言われた日はない。あれから『契約』を持ちかけられていなかったため、しばらくのあいだ忘れていたのだった。
彼らの目的は未だによくわかっていない。兄弟の契約をかわしてどうしようというのか。縦の結びつきを強めるため? いや、そもそもこの学校に上下関係などないようなものだった。年齢のちがう友人同士という感覚である。じっさい、寮の上級生たちの幾人かは友人と呼んでも差し支えないほど親しくなっていた。
アンリはそれとなく『契約』について上級生に聞いてみた。すると彼らはニヤニヤするばかりではっきりと答えようとしない。いよいよ薄気味わるくなってきたのでアンリはそれ以降『契約』に関する話を話題にするのはやめることにした。
契約を持ちかけられたクラウスは「いやです」と即答した。それなりに緊張しているのか、アンリの腕にすがりつくようにして縮こまっている。
(そんなに怖がらなくても……相手も相手で緊張してるみたいだし)
あまりグイグイと押してくる質ではないのか、クラウスに断られたひとりは「時間とらせてごめん」と謝罪までしている。もう片方もクラウスに行くのかと思いきや――アンリに向き直った。
「――えっ、おれ? クラウスじゃなくて?」
「そうだよ、最初から君しか見てない」
「ごめんなさい、無理です」
「う……ああ、やっぱり……!」
彼の落胆ぶりは凄まじく、その場で膝をついて泣き崩れた。もうひとりがしゃがんで慰めようとしている。予想外の反応にアンリは目を見ひらいている。この異様な光景を目の当たりにしてはじめて、怖くなって逃げ出したクラウスの気持ちが理解できた。入学初日に声をかけてきた者たちは何となく軽薄な印象を受けたが、今ここにいる2人組は真面目で堅実そうな男子である。それだけにアンリは――同情の入り混じった複雑な感情にかられるのだった。
(――ああ、だって! この光景、似すぎてるんだ…………リュカに……!)
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