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憩いの場6

「ねえ、ヴィクターは今日なにしてたの」  アンリがなかなか喋りださないのでクラウスが続けた。いたずらっぽい笑顔を保ったままヴィクターはこたえる。 「さっきも言ったとおり、スポーツですよ。学校と寮の行き来だけじゃ身体がなまって仕方がない!」  わざとらしく腕の筋肉を伸ばす動作をする。露出した腕は適度に鍛えられていてたくましい。 「スポーツクラブに通うのも楽じゃないですよ、遠いし。週1回、多くても2回が限界。本当は毎日でも体を動かしたいんです。この学校の生徒は当然といえば当然ですけど、運動嫌いが多いですよね。青白い顔した人ばっかりで――ごめんなさい、2人のことを悪く言ったわけじゃないんです」 「わかってる」  アンリは短く返事をした。ひとまず話題が逸れたことにほっとしてる。 「あ、クラウスは育ち盛りなんだし、もっと運動した方がいいですよ」 「よけいなお世話! 青白い顔っていうけど、ヴィクターもたいして日焼けしてないじゃない」 「そりゃあ室内競技だし、頭からすっぽり防具を被ってるんだから日焼けとは無縁です」  ヴィクターは色白だ。不健康な青白さではなく血色のよい肌の白さ。それゆえに黒い髪と凛とした眉が引き立つ。 「防具? もしかして危険なスポーツなの?」 「道具の使い方とルールを守ればとてもすばらしい競技ですよ、フェンシグは」  フェンシング――アンリとクラウスは顔を見合わせる。2人には一生縁がないであろうスポーツだ。 「騎士道精神というものに憧れがあって。紳士の振るまいにも通じますよね。幼少期から教養のひとつとして親にやらされていただけで――やりがいを感じるようになったのはつい2、3年前なんです。ふたりとも、もし興味があったら喜んでスポーツクラブに紹介します。ちなみにアマチュア団体ですから、プロスポーツの練習場みたいに野暮ったくはありません。わたしたちと同年代の男子もたくさんいますよ。もちろんお湯の出るシャワー完備なので心置きなく汗を流せます」  いつのまにかスポーツクラブの宣伝になっている。あまりに弁舌豊かなので、何かものを買わされるのではないかと若干の恐怖をおぼえた。  ヴィクターはアンリの顔色をうかがいつつ、 「それから、クラブ内に併設されてる喫茶店のコーヒーがおいしいって評判なんですよ」 「……それはちょっと気になるな。留学してからまともなコーヒーに巡りあってないから……」  アンリはコーヒーという言葉にまんまと心動かされてしまった。彼はこの殺し文句をどこで知ったのか。そうでなくともフランスはコーヒー文化だ。だれに聞くでもなく元から知っていたのだろう。 「でしょう? 今度見学だけでもどうですか」 「う、うん、気が向いたら」 「そう。見学はいつでも可能なので気になったら声をかけてくださいね……そういえばジョシュは一緒じゃないんですか」 「ジョシュはやりたいことがあるらしいから寮にこもってるよ」 「また不健康な……彼がいちばん見込みありそうなんですけどね、フェンシング。ほら、彼って身長が高いし体力ありそうじゃないですか」  すきあらばフェンシングの仲間を増やそうとするヴィクターはいっそ清々しい。 「ジョシュに筋肉なんていらないよ! ジョシュはあの体型で完成されてるんだから」 「なんでクラウスが彼の身体に物申すんですか……」  ジョシュアが話題にのぼった途端、いきなり会話に割り込んできた。突拍子もないクラウスの発言にアンリとヴィクターは吹き出すのをこらえている。 「いいでしょ別に」 「彼が身体を鍛えたいと言ったらどうします」 「だめー! ぼくが許可しないし、彼の身体が鍛えることを拒否するね!」  ふたりはとうとう耐えきれずに吹き出した。 ✳︎ ✳︎ ✳︎ (なんか疲れたな……今日はいろんなことがありすぎた)  自室に戻ってルームメイトに癒やされよう。彼はアンリの神経を逆なでしないし傷つけない。暖かい太陽のような性格で、湧き出る泉のごとく癒やしを与えてくれる。  自室のドアをひらくと、ルームメイトのジョシュア・ハンソンが出迎える形で立っていた。あふれ出る感情を抑えきれない――そんな表情で小刻みに震えている。 「え、もしかしてジョシュ……泣いてる?」 「――見て! 先生から招待状が!」  ジョシュアは捧げ物を献上するがごとくアンリに手紙を差し出した。白地に美しいエンボス。赤い封蝋に紋章が刻まれている。お互いルームメイトなのだから1通にまとめてもよい気がするが、差出人のウィリアムは律儀に2人分の招待状をこしらえていた。ジョシュアの机にも同じ封筒が開封された状態で置かれている。彼は嬉しさのあまり興奮して震えていたのだった。 「わざわざ招待状を送ってくれるなんて律儀な人だね」 「それはもう……先生だから」  恩師に絶大なる信頼を寄せているジョシュアはときどき語彙力がおかしくなる。言うべきことばが見つからないのだ。 「あれ、昼間にポスト見たとき招待状はなかったような」 「大事な手紙だからって寮監の先生が直接届けにきてくれたよ、今さっき」  寮監が直接――訃報でもない限り寮監が手渡しで生徒に手紙を届けることはまずない。思い返せば差出人は当学院の大学教授だ。しがない寮監が媚びへつらうために請け負ったと思うと冷ややかな気持ちになる。ジョシュアにはたいした問題ではないようだ。 「そっか。弟くんの手紙の返事は書けたの?」 「うん、手紙を読む限りじゃ弟は元気そうだよ……内容がどこまで本当かわからないけどね」 「それって……」 「弟のエディは身体が弱くてね、外出するとすぐ体調を崩すんだ。でも、手紙にはぜったい『体調が悪い』なんて書かないんだよ、あの子は。オレを心配させないように嘘をついてる……小さな弟に気を遣わせてばっかりで情けないよ」  ジョシュアの下まぶたにじわりと熱いものがこみ上げてくると、指先でそれを拭った。封が閉じられた手紙の宛名には『エディ・ナイルズ』と記してあった。 「ごめん、泣くようなことじゃないよな。――手紙、共有ポストに出してくる。なるべく早く返事した方があの子の慰めにもなるし」  部屋を出ていきかけたジョシュアを「ねえ」と呼び止めた。 「楽しみだね、招待されるのって」  ジョシュアは一瞬ことばに詰まったあと「うん」とひとこと言って出ていった。   「ああ……タイミングが最悪だ……」  アンリは膝を抱えてうずくまる。ときどき人の慰め方が分からなくなるのだった。

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