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ウィリアムのおもてなし1
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秋の風物詩を楽しむ暇もなく、ロンドンに本格的な冬が到来した。刺すような冷たい風が通行人を襲う。トップハットを目深に被り、顔が半分隠れるほどマフラーをぐるぐる巻きにして、あるいはインバネスコートの襟を立てボタンを留めて首を完全に覆い隠した人々が往来を行きかっている。何台もの馬車が慌ただしく貴族屋敷から出たり入ったりしている。
2階の張り出した窓からじっと往来を観察している小さな紳士がいた。ハーフパンツに白い靴下。幼児用のブーツが柔らかいふくらはぎを半分隠している。薄い瞳が右へ左へせわしなく動いている。窓に張りつくようにして見ているため、彼が息を吐くたび窓ガラスが曇り、視界をせばめるのだった。彼は視界が遮られるたび指先で窓ガラスをこする。それを何度も繰り返し、もみじのような愛らしい手が水滴で濡れて冷たくなっている。
奥のソファで寛いでいた父親もさすがに見かねて声をかけた。
「リッキー、こちらへ来て手を乾かしなさい。冷たいでしょう」
「冷たくないもん」
「濡れたままではしもやけになりますよ。ほら」
ハンカチを取り出して幼な子の濡れた手を丹念にやさしく拭う。父親の大きな手に包まれているあいだ、小さな少年はじっとしていた。リッキーと呼ばれた少年はやさしい父親が大好きだった。尊敬という感情はまだ知らない。が、それに似た憧憬と、母親と同等の『母性』を感じたのだった。
リチャード・モーティマー、愛称リッキーはウィリアム・モーティマーのひとり息子である。血色のよい健康的な肌色、父親に似た利発そうな顔だち、髪の毛は栗色の癖っ毛。父親のウィリアムは息子の髪色が自分の遺伝子を継がなくてよかったと正直なところ安堵していた。この歳になると赤髪をいじる者はめっきりいなくなったが、幼い頃はいじめに等しい扱いを受けたものだ。赤髪は裏切りのユダの色であるとか、魔女や娼婦の子であるとか、世間的にあまり印象のよい髪色ではなかった。
リッキーも今は明るい栗色だが、成長すれば落ち着いた髪色になることだろう。いずれにせよ身体的特徴でいじめの対象になることだけは避けられるはずだ。
そろそろ息子をパブリック・スクールの初等科に通わせるかどうかという時期が差し迫っていた。由緒正しき貴族の子弟ならパブリック・スクールに通って当然――そんな世間体が息子の将来をせばめてしまわないかと不安になる。実際はその逆で、むしろ選択肢は増えるように思われた。ウィリアムが知りうる限り大学を除きパブリック・スクール以上の学府は存在しない。監獄のような生活を強いられる代わりに望めばどんな学問でも授けてくれる。芸術分野を極めることも可能なのだ。残念ながらウィリアムはスクール時代に才能が花開くことはなかったが……。
幼い我が子に「スクールへ行くか、それとも別の学校へ行くか」と問い、決定をゆだねるのは酷だ。好奇心にあふれ何にでも興味を示し、初対面でも物怖じせず挨拶を交わす。彼をスクールに通わせた方がよいのは明白だった。しかし同時に、幼くして芸術の才能に秀でていることが父親のウィリアムを悩ませる。
リッキーはスケッチブックを肌身はなさず持ち歩いている――4歳にして。ウィリアムの邸を訪れたフランスのとある芸術家は彼を弟子にしたいと申し出た。この世に生を受けてわずか4年と少し。希望のある申し出だったが、外国へ送り出すにはさすがに早すぎる。言葉の壁もあるだろう。決断はなるべく早い方がよいと言い残して芸術家はフランスへ帰っていった。
自分が過保護なだけだろうか。スクールへ行かせるのも躊躇し、専門分野を極めるために外国へ行かせることも逡巡している。できればいつまでも邸に置いておきたい――そんな身勝手な思惑があった。とうぜん無理だとわかっている。今どき学校へ通わぬ子どもなどいない。貧富の差、教育の質の差はあれど皆平等に教育を受けている。
現在リッキーは週5日、自然豊かな農村の教会で過ごしている。ロンドンの喧騒をはなれて農村の子どもたちと目いっぱい遊び、学び、寝食を共にする。集団生活に慣れさせる第一歩だ。最初はウィリアムの脚にしがみついて、この世の終わりかのごとく「お父さま! ぼくを捨てないで!」と泣き叫んでいたリッキーも、今では週末に帰宅するたび田舎の友だちが恋しいと言いはじめるのだった。
週に一度では小さな身体に負担がかかることだし2週間に一度の帰宅にしてはどうかと教会の牧師から提案されている。つまりは帰宅する回数を減らすということだが――その方がリッキーにとってはよいのだろう。数時間馬車に揺られ列車を乗り継ぎ帰宅するたびベッドに直行するよりは。親のわがままで子どもに負担を強いるわけにはいかない。
ここはウィリアムの書斎。壁全面に敷き詰められた蔵書は彼のアトリエと大差ない。違っているのは部屋の面積と蔵書の種類だけ。政治経済、なかでも法律関係の本が彼の蔵書の半分を占めている。前職の名残りともいえた。大学教授となった今ではもう開く機会もない書物が長いこと眠っている。前職で得た知識はけっして無駄ではない。むしろ法律に明るいことで、裏表のある芸術の世界でも損をせずやってこれた面がある。読んだ本はすべて頭に入っているが、知識を与えてくれた書物をわざわざ手放す道理はない。
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