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ウィリアムのおもてなし2

「見て、お父さま! 雪降ってる!」 「本当だ。馬車が遅れないといいが……」 「雪が降るとどうして馬車が遅れるの?」 「雪が降って積もると地面が凍るでしょう。リッキーは氷の上をうまく歩けますか?」 「すべって転んじゃう……」 「馬も車輪も、人と同じように氷の上はうまく走れないのですよ」 「――え、どうしよう! 馬車が転んだら大変だよ、お父さま! 大けがしちゃう!」 「優しいリッキー、雪はまだ降りはじめたばかりだからね。心配しなくても大丈夫」  小枝のような指が窓の外を指す。 「あ、マックスおじさまだ」 「えっ?」 ――そんなはずはない。招待の日だけは来ないでほしいと釘を刺しておいたのだ。それに彼をとりまく諸々の事情でこの邸に来ることは困難なはずだ。 「あれ? ぜんぜん違う人だった」  それを聞いたウィリアムは安堵のため息をついた。 「……もう、リッキー、おどかさないで」 「だって、灰色の髪で、眼鏡で、やせてる男の人だったから」 「それからあの人は遠くからでも分かる派手な服を着て王さまみたいに気取った歩き方をするのです」 「たしかにマックスおじさまは王さまみたい」  同僚のマックス・グレイは公私ともに付き合いがあった。リッキーの物怖じしない性格をいたく気に入っている。子どもや学生に敬遠されがちな彼は自分にかまってくれる存在が嬉しいようだ。もちろん彼は認めようとしないが。 「ジョシュ、早く帰ってこないかなあ」  物心つかないうちから邸にいる年上の少年のことを家族と認識している彼はジョシュアの『帰宅』を今か今かと待ち望んでいる。先ほどからそわそわと落ち着きがないのはこのせいだった。 「約束した時刻まで少し時間がありますかからね。ジョシュアは時間をきっちり守る紳士。あなたも知っているでしょう?」 「……ぼく、時間を守るジョシュはきらい」 「おや、ジョシュアが聞いたら悲しむでしょうね」 「違うよお父さま! きらいだけどきらいじゃないの。ジョシュのことは好き」  ことばが感情に追いついていないのか、人を『好き』と『嫌い』以外の感情で振り分けるのが苦手なのか。 「ああ、そうか。『時間に厳しい』ジョシュアがあまり好きではない、と」  リッキーはこくりとうなずいた。 「絵本、用意しなきゃ」 「なんの絵本?」 「ガリバー旅行記。ジョシュに読んでもらうの」  リッキーが3歳の誕生日に贈られた絵本『ガリバー旅行記』全4巻。読み聞かせた回数は両手両足すべての指を使っても足りないほどだ。 「リッキー、今日は食事をするだけですよ」 「せっかく帰ってきたのに、読んでくれないの?」 「絵本はまたお父さまが読んであげるから。あまりジョシュアを困らせてはいけません」  リッキーは口をきゅっと結んで下を向く。田舎の集団生活のおかげか最近は我慢することを覚えたようだ。 「あなたは本当に――ジョシュアが大好きなのですね」 「はい、お父さま。ジョシュが本当のお兄さまだったらよかったのに」  彼を家族と認識していながら血の繋がりはないと理解している。見た目が違いすぎるので当然といえば当然か。ウィリアムは息子が日いちにち成長していることに感動するばかりだった。 ✳︎ ✳︎ ✳︎  アンリとジョシュアは突然降ってきた雪にすっかり参っていた。馬車の中はせいぜい風よけにしかならず、ふたりから体温を奪っていった。  勢いよく燃えたぎる暖炉の前に通されたふたりは、寒さで強張った身体をゆったりとくつろげた。 「ようこそ我が邸宅へ。外は寒かったでしょう? しっかり身体を温めてから食事にしましょうね」  テーブルの上には湯気を立てている紅茶とカットグラスの小皿にのせたレモンの砂糖漬け。透明感のある赤と新鮮味のある黄のコントラストが美しく食欲を誘う。輪切りのレモンをかじると甘酸っぱい香りが口に広がった。砂糖漬けにしようがレモンはしょせんレモンだろうと高をくくっていたアンリは、こんなにもおいしいレモンが存在することに驚いていた。 「このレモン、おいしいですね」 「気に入りました? 夏はこれでレモネードを作るのが定番でね。紅茶に入れてもおいしいですよ」 「ぼくレモネード大好き!」  ウィリアムの手を握り、ぴったりと寄り添っていた小さな紳士が会話に割り込んできた。彼はしじゅう興味津々な顔でアンリを見つめている。もっとも最初は、招待されたのはジョシュアひとりだと思っていたのか、邸の扉を開けたとたん「だれ?」と首を傾げられてしまった。  紅茶とレモンの軽食が済んで、身体もじゅうぶんに温まったところで食事室へ案内された。ダイニングテーブルにはなめらかな銀食器が4組、理路整然と置かれている。テーブルに親子が並んで座り、ウィリアムの正面にはアンリ、リッキーの正面にはジョシュアが座った。清潔感のある白いエプロンをつけた使用人たちがいっさい無駄な動きを見せずせっせと飲み物と前菜を運んでくる。

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