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ウィリアムのおもてなし3

「あっ――今日はお招きいただいてありがとうございます」  アンリが思い出したように言ったあとジョシュアも続けて礼を言う。 「こちらこそ、この悪天候のなか足を運んでもらってありがとう。そうだ、こちらの小さな紳士も同席します」 「ぼく、リチャード。リッキーって呼んでね」  「おれはフランスからの留学生で――」 「フランスのひと?」  リッキーは目を丸くしてアンリを見つめたあと、「ボンジュール、ムッシュー」と小鳥がさえずるように挨拶した。前髪を一房つまんで上げたのは帽子を取るジェスチャーのようだ。 「よく知ってるね」 「お父さま、フランスのお客さまにはいつもこうやって挨拶するの」 「そうか。おれのことはアンリでいいよ。友だち同士でムッシューを付けるのは堅苦しいからね」 「うん、よろしくね、アンリ」  握手しようと手を差し出すと紅葉のような小さな手がアンリの指を握った。 「ふふ、子は親の背中を見て育つとは本当ですね。息子の前で悪いことはできないな」  ウィリアムはにこりと笑うと息子の頭をよしよしと撫でた。手袋をはめていない彼の手をこの時はじめて見たかもしれない。左手の薬指にはめられた飾り気のない指輪。形が良く艶のある爪。ただひとつ違和感があったとすれば、年齢のわりに手のひらのシワが多いことか。 (あれ……あれ? ウィリアム先生って何歳だ? 26、7歳くらいだっけ。そういえば聞いてない)  人の年齢などわざわざ尋ねることはなかった。年齢がわかったところで人間関係が変わるわけでもない。 「どうしました? リッキーがなにか粗相でも……?」 「あの、いきなりこんな質問するのは失礼かと思うんですけど……」 「私が答えられることならどんな質問でもどうぞ」 「先生はおいくつですか」  ウィリアムはきょとんとした。質問の意図を理解して苦笑すると、 「今年で40歳になります――若造にしか見えぬと同世代の紳士たちは言うが。年相応の格好をしているつもりなのですがね」 「40歳には見えない……おれの父さんと同世代だなんて」 「アンリの父君は年相応に見えるのですね、うらやましい」 (40代の見た目で子どもみたいな発言する人だけどな……)  年齢より若く見られることをウィリアム本人も理解しているらしい。しかし幼児の隣にすわる若い父親として見るならば年相応に思えた。 「女性であれば年若く見られることを喜ばしいと思うのでしょうが……男はその逆ですね。私にも威厳と風格が備わっていればよかった」  アンリは初めて彼と出会ったときのことを思い返す。生まれたときから備わっているといわんばかりの威厳と風格にアンリは圧倒されたのだ。目の前の彼はフロックを着ているが、あのときの壮麗な燕尾服とほぼ印象が変わることはなかった。フロックだろうがモーニングだろうが、着ている服で品格は左右されぬということを彼が証明している。以上を踏まえるとウィリアムが謙遜してることは明らかだった。  けっして若作りをしているわけではない。無理に若作りをしていればどこか不自然なところが出てくるものだ。彼は40歳にして同年代の紳士が、あるいは淑女が嫉妬するであろう若さを保っていた。艶のあるかんばせと、整った鼻梁、少し日焼けした肌。広く均整のとれた肩が上半身を美しく形どっている。  そもそも機知に富み、あらゆる所作を心得た紳士を見た目で判断するのは愚の骨頂で、もし彼を若造などと呼ぶ者がいるとすればよほどの無教養か――もしくは嫉妬からくる負け惜しみだろう。 「イゲンとフウカクってなあに?」  なんにでも興味を示す小さな紳士はことあるごとに質問をする。彼の好奇心は尽きることがない。テーブルの向かい側にいるジョシュアが答えた。 「威厳は堂々として自信があって、近寄って話しかけられないくらい偉い人、かな」 「お父さまは偉い人だけどぼくは話しかけられるよ!」  リッキーはえへん、と得意顔をする。 「ははは、そうだね。風格っていうのは、言葉遣いとか着ているものとかがきちんとしていて皆から尊敬されるような……」 「ソンケイってなあに?」 「えっと……」  疑問に答えるために言葉をつかったら更に疑問の追い打ちをしかけてくる。ジョシュアは質問の多い小さな紳士に手を焼いていた。ジョシュアが答えにこまっているのを見てウィリアムが助け舟を出した。 「尊敬とは、いつもリッキーがお父さまを大切に思ってくれている気持ちのことですよ」 「じゃあお父さまもぼくをソンケイしてるの?」 「ええ、もちろん。あなたはいつもお父さまを笑顔にしてくれるから」  リッキーはまたひとつ知識を得た。尊敬という複雑な感情をかんぺきに理解するにはもう少し年月が必要だ。  それにしても幼な子のとめどない質問に淀みなくすらすらと答える様はまさしく父親の(かがみ)だった。

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