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ウィリアムのおもてなし6

「冬の定期公演は『から騒ぎ』を演るんだって」とジョシュアは楽しそうに語る。  演劇科は夏季と冬季の年2回、学内の演劇ホールにて定期公演をおこなっている。ホールは1000人規模の収容人数で、教育機関でありながら中規模の劇場とほぼ変わらない舞台装置を誇っている。一般公開の公演であり、世間の評判も良く新聞の劇場欄にも掲載されるほど。観覧料は無料としているものの毎回必ず寄付を募っており、それが実質の儲けだった。固定の観覧料を設定するより実入りがいいこともある。 『から騒ぎ』とは言わずとしれたシェイクスピア喜劇のひとつ。シチリア島メッシーナを舞台に2組の男女が策略に乗せられくっついたり離れたりする恋愛劇。 「年明けの1月に上演予定です。学生演劇と侮るなかれ、みな真摯に取り組んでいる。熱が入りすぎて稽古場が殺伐とした雰囲気になることも……幸い今季は和やかな様子で安心しています。やはり喜劇という題材がよかったんでしょうか」 「先生が稽古場に立って指導するんですか?」 「いえ、定期公演に限っては学生たちに一任しています」 「ということは裏方も俳優も全員学生なんですよね?」 「もちろん、それが学生演劇ですから。暇があったらぜひ観劇をおすすめします」 「はい、ぜひ」 「オレも行きます」  アンリは言われるままに返事をし、ジョシュアは熱っぽく返事をかえした。  果物をふんだんに使ったデザートをつまんだあと、食後のコーヒーがやってきた。リッキーはコーヒーが飲めないため果肉を絞ったジュースが置かれた。  コーヒーに口をつけると――苦味が強く、コクが深く、酸味が少し。すべてにおいてバランスが取れている。 「おいしい……」 「これは現在劇場で観客に提供しているコーヒーと同じものです。以前、あなたが劇場でコーヒーを飲んだら腹を下したと聞いたので、支援者として改善を求めました」 「そんな細かいことまで?」 「客人に不快な思いをさせたのならそれを改善するのが支援者としての務め。どうでしょう、これならまた飲んでみたいと思えますか?」  アンリは興奮気味にうなずいた。 「ただ――紅茶の3倍の価格で提供しています」 「さ、さんばい……」  希少性、需要と供給を考えれば妥当な価格設定なのだが。 「かなり強気な価格だけれど、無類のコーヒー好きには人気を博しているようで。はやくもグラッツェル劇場の名物になりそうです」 (紅茶の3倍のお金を出してコーヒー飲むってどんな富裕層だ。フランスじゃ考えられない)  しかしいちど値段を聞いてしまうと、高いものなら貰っておけという心理がはたらいてしまう。アンリはちびちびと味わうように飲み干した。 「お父さま、お父さま……」  リッキーがふたたび父の袖を引っ張る。赤みがかったジュースはグラスの半分ほどしか減っていない。 「どうしました?」 「ねむいの……」  小さな身体は懸命にエネルギーを使って動いている。リッキーには一時の休息が必要だった。ウィリアムが「お昼寝に行きましょうね」と息子の身体を抱き上げると、彼は「やだ!」と叫んで手足をばたばたさせて暴れだした。慌てて床へおろす。 「眠いんでしょう? お昼寝は?」 「ぼくがお昼寝に行ったら、ジョシュ、帰るんでしょ」 「いっしょに食事をするだけという約束だったでしょう」  リッキーはぐずつきはじめた。 「リッキー、オレが絵本読んであげようか」 「ほんと? 嬉しい! はやくぼくのお部屋に行こう」  ジョシュアの思わぬ申し出にリッキーの顔がぱっと明るくなった。小さな紳士はしなやかな褐色の手を取って自室へ案内しようとした。 「あっ、ちょっと待って……」  リッキーは立ち止まってジョシュアの手を離し、Uターンして父に抱きついた。 「お父さま、キスして」 「はいはい、かしこまりました」  おやすみのキスだけはしっかり要求してくるしたたかさに苦笑する。幼い息子の頰に触れるだけのキスをした。 「おやすみなさい、リッキー」  リッキーはおやすみなさいと返事をかえすとジョシュアを連れて食事室をあとにする。ジョシュアは去り際にアンリに向かって「またあとで」とささやいた。  食事室に残されたアンリは家主に話しかけた。 「あのふたり、仲いいですね」 「ジョシュアを兄のように慕っています。彼がこの邸を出ていったとき、それはもう大変で。1週間泣き通しでこのまま衰弱死してしまうのではと心配になったほど……」 「何となくリッキーの気持ちがわかります。ひとりっ子ですよね。おれには姉妹しかいないんで同性の兄弟がうらやましいって時々思います」 「……そうですね、兄弟とは良いものです。ジョシュアの存在があの子にとって一時の慰めになればよいと思います」  どことなく含みをもたせた彼の言い方に疑問が浮かんだが、次のひとことでアンリはすぐ忘れてしまった。 「ジョシュアを待っているあいだ、コーヒーのおかわりはいかがですか」 「はい、お願いします!」

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