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 泣きながら赦しを請うた男は、どうしたのだろうか。  ぼんやりと考え、こんな仕打ちを受けてもなお、真壁の事を憎んでも嫌いにもなっていない自分に驚きつつ、ひとつ息を吐いて部屋中を見渡す。  真壁しか使うことの無い客用布団は仕舞い込まれ、寝具はシングルベッドのみ。もちろん、そこに横たわっていたのは家主の聖自身で、真壁が寝ていた形跡は皆無。  飲みっぱなしにしていた筈のビールの空き缶は片付けられ、テーブルの上は聖のスマートフォンが置かれているだけであった。 「……」  あちこち痛む身体をのろのろと動かし、手に取ると同時にホームボタンを押した。  ぱっと明るくなった液晶には見慣れた待ち受け画面と時刻が映るだけで、何の通知も来ていない。   「……意味、わかんねぇよ……あいつ」  がしがしと痛む頭を掻き、のそりと起き上がると自身の身体を見下ろした。  いつも通り、Tシャツにハーフパンツ。  着衣に乱れは無く、幾度も繰り返してきた日常となんら変わりはない。  昨夜の出来事はただの悪夢だったのだと、思えるほどに。  ――けれど、身体中に残る鈍い痛みがあれは紛れもなく現実なのだと言い聞かせてくる。 「ッ、いて」  スマートフォンを持つ手がぴくりと引きつり、真っ黒になった液晶は畳に転がった。  僅かに震える指先を見つめ、視線を移動させていくとぴりぴりと痛みを訴えかける手首に残った赤い痕に気付いた。  しっかりと両手首に残されたその痕は、否応にも昨夜の真壁の暴挙を思い起こさせた。  息遣いと痛みと、快楽――そして、震えながら吐き出された切ない声音。 「く、そ……っ!」  強くその痕を掴み、項垂れた。夢であるならばと願ってしまう自分を叱咤して。  親友だと思っていた。  誰よりも信じて、頼って、大事にして。  そういう関係が、ずっとずっと続くと思っていた。  けれど、そんな聖の思いは無残に引き裂かれた。    ――他でもない、真壁の手によって。  ピピ、ピピ……と電子音が鳴り響く。朝が苦手な聖の為にと真壁が用意してくれた目覚まし時計。 『高かったんだから、もう遅刻しないように起きてよね』  世話焼きな親友のふにゃりとした笑みが蘇り、聖の目元が歪んだ。  優しい真壁と、昨夜の真壁。そのどちらが本当の彼なのか。  歯を食いしばる聖に構わずアラームは鳴り続け、繰り返してきた日常へと連れ戻そうとする。 「……」  滲む汗を拭い、スマートフォンを拾い上げて数回タップをして風呂場に向かう。  ――学校行くから待ってろ。とだけ。件の彼にメッセージを送って。

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