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コンビニに寄って夕飯を買って、家のドアの前に立つ。
心の隅で、僅かな希望を抱いていた。家からは明かりが漏れ、やたらといい匂いが流れ出ていることを。
そんな希望は、真っ暗な部屋を目の当たりにして無残に掻き消される。
「……たでーま」
いつも通りの挨拶をしても、当然返事はない。
短く重い息を吐き出し、麦わら帽子をかぶったマスコットがついた鍵をキッチンに放り投げた。
――カシャン。
ステンレスの台を滑っていくそれが、ピンク帽子のトナカイにぶつかった。
思わず、息を止めた口元を手で覆った。
だってそれは――真壁が持っている筈。
『ごめん』
目に映ったのはノートの切れ端に書かれたその言葉と、聖の家の鍵。
冷たいステンレスのキッチンにひっそりと置いてあった。
「……」
ノートに書かれた文字は、紛れも無く真壁のもの。
いつも傍で見てきた。間違う筈がない。
じりじりと足元から這い寄る不安は、この時確信に変わった。
真壁は、もう傍には戻らない――と。
『好きで――ごめん』
視界がゆらゆらと揺れ、まともに立っていられない。
脳内に繰り返されるのは、いつまでも消えない謝罪と密やかな想いを告げる掠れ声。
『俺の気持ちも知らないで煽った聖が悪い』
『……ずっと。ずっと、好きだった』
かくり、と膝から力が抜けた。
最初から、必死に伝えていたではないか。これ以上は耐えられないと、やめてくれと。
それでも、自暴自棄に酒に呑まれ彼を煽ったのは自分だ。
――『真壁の優しさに甘えやがって』
いつか、神谷が言った言葉はそういう意味を持ったものだったのだろうか。
誰よりも優しい真壁。彼が、まるで血に餓えた獣のように乱暴を働いたのは、一体誰のせいか。
いつもの真壁ならばあり得ない。判っていた。
バカがつくくらいお人よしの真壁が、あんなことをするわけがないと。何か深刻な理由があったんだと。
「……だけど俺は、」
拒絶しただけ。
理由も、気持ちも聞き入れずに耳を塞いだ。
どんな時でも、真壁は力になってくれたというのに。いざという時に撥ね除けた。
握り締めた拳に、一粒の雫が落ちた。
彼に、何を返せるのだろうか。
たくさんの優しさを貰って、いつだって救ってくれた。それなのに、まともな言葉を交わすことなく断ち切れてしまうのか。
「クソ野郎は、俺だ」
強く握り過ぎて、皮膚は白くなりじんじんと痛みを訴えかけてくる。それでも、自身に対する腹立たしさは欠片ほどもなくなったりはしない。
好き勝手に甘えるだけ甘えて、真壁の心を知ろうともしなかった自分への、怒り。
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