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 無言で取っ組み合いのケンカを始めた聖と神谷の間で、一枚の紙がぴらぴらと揺れた。  住所らしきものがちらりと視界に映り、神谷の胸倉を掴んでいた手をそちらに向ける。 「暴力、反対」  掴む直前で引かれた紙は、くりりと大きな瞳をつり上げた麻広の両手に隠れてしまった。  なんで、とはくはくと唇を動かす聖。額に手を当てて大げさな溜息を吐く神谷。ふたりを交互に見やり、それぞれの手が引っ込んだことを確認すると彼女はふにゃりと微笑んで件の紙を差し出した。 「それ、やまくんの実家。……でも、期待はしないで。しばらく帰ってきてないって、おばさん言ってたから」 「……ありがとう」 「麻広ちゃん甘すぎ」 「そうかな」  ふふ、と笑みを浮かべる麻広の視線は腫れに腫れた聖の瞼をじっと見つめている。  笑いながらも、どこか哀しそうな瞳。  聖は小さく首を傾げてその視線の意味を問う。けれど、麻広は笑みを浮かべたままふるふるとかぶりを振るだけで何も答えようとはしない。  ただ、注意していなければ聞き取れないほど小さな声で「無理、しないでね」と零すだけで。 「じゃあ俺、行ってくる」 「今から? 講義はどうすんだよ」 「サボる!」  勉強する気にはなれないから、と続けた聖は鞄を掴み麻広に渡された紙をぴらぴらと振って教室を後にした。  神谷と麻広の視線が、彼らの行く末を案じて静かに曇っていることに気付きもせずに。

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