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加熱

 それまでずうっと停滞していたものが、動き出す時は何故か一斉にだ。  一つずつ理解しながらゆっくりと、なんて勉強みたいな遣り方を、容赦のない現実は待ってくれない。  昨日の余韻も冷めやらぬままに翌日の放課後、俺を待っていた現実は一つの答えを俺に突きつけ、それは絶望と呼べるものだった。 「佳一(かい)君、一緒に帰ろう」  潤が珍しく俺を呼びにクラスまでやって来た。 「いいのか。今日は予定ないの?」 「ない。これからもない。僕、姉ちゃん達に怒ってるんだよ。もう遊びにも付き合ってあげない」  そんな強い口調の潤を見たことがなかった。 「待てよ。何があったんだよ」  これまで姉弟仲の良さを嫌ってほど見せつけられてきた。  それがこうも態度を変えてしまうというのは──事情を聞かない訳にはいかない。  けれど潤は仲々口を開こうとはしなかった。 「佳一(かい)君に悪くて、とても言えない」 「そんなの聞いたら余計気になるだろ!言えよ」  少し考えるように潤は教室を見回す。  もう殆どクラスメイトは残っていない。  それで決心したのか、潤は俺を自分の席に着かせ一つ前に後ろ向きに座った。 「この並び懐かしい。一年の時思い出すねー」  俺の机に腕を乗せて身を乗り出す。  確かによく、こうして喋っていた。 「僕ね佳一(かい)君に会えて本当に良かったと思ってる」  いきなり過ぎる展開にどう捉えていいか分からず何も言えない。 「ごめん、佳一(かい)君が大事な友達だって分かって欲しくて。今から言うことに気を悪くするかもしれないから」  益々何を言う気なのか分からなくて言葉が出ない。 「昨日姉ちゃん達に佳一(かい)君と遊ぶ時間作りたいって言ったんだよ。そしたらBLだBLだってキャーキャー言い出して。意味分かんなかったから聞いたの。そしたら、佳一(かい)君と僕の仲が良すぎる。恋愛感情があるんじゃないかって、からかわれたんだ」 「え……?」  また別の意味で言葉がでなくなった。  どれだけ鋭いんだ姉の勘。  すぐに潤が続ける。 「本当にごめん。絶対にないって否定しておいたから。よりによって男の友達と恋愛とか、有り得ないよそんなこと。僕で遊ぶのはまだ良いけど、なんだか佳一(かい)君をバカにされたみたいで、真剣に怒っちゃった」 「うん……ないな……」  だって、それ以外なんて言えばいいんだよ。  俺にとっては今の状況が有り得ない。  寝不足で見てる悪夢だと思いたい。  潤の言っていることは真っ当過ぎて突き刺さる。  親友との関係を面白半分に色眼鏡で見る姉達に、本物の友情を信じている潤は(いきどお)ってる──至極、当たり前の考えだ。  万が一でも潤と想いが通じ合うことは、初めから無かった。  分かってたはずだ。  それよりも、潤は俺のことを大事な友達だと思ってくれていて、それが何より大切な事で……。  やばい、涙出そう。  これ以上、潤と顔を合わせていられない。 「そんな話なら気にすんな。帰って姉ちゃんズと仲直りしろよ。俺も今日部活あるから、まだ帰れないしさ」 「え?部活?入ってたっけ」  今までは一緒に居る時間を作る為なら、何よりも潤を優先してきたから知らないのも無理はない。 「うん──準備あるんだ。俺もう、行かなくちゃ」 「あ、佳一(かい)君──!」  背中で潤の声を聞きながら振り返らずに教室を出る。  迷った末に化学室の前に立っている。  昨日のことが頭をよぎらない訳がない。  だけど一人で居るのは耐えられそうにない。  他に行く所は思いつかなかった。  扉を開けると、するすると開く。  鍵が掛かっていないということは中に居る。 「意外だな。八神の方から来るなん──」  化学室に入るか入らないかの内に呑気そうな声が掛かった。  けれどその言葉は途中で止んだ。 「なにか、あったか」  声の調子が真剣なものに変わって、俺はドキッとして頬を触る。  しまった──涙が流れていた。  そんな事にも気付いてなかった。 「鍵かけて中入って来な。後ろのドアはかかってるから」  俺は俯いたまま化学室の中ほどまで歩いていった。  何をどう言えばいいんだ。  そのままそこで立ち止まる。  先生が立ち上がる気配とカチャカチャとガラス同士のぶつかる音がした。  しばらくして香ばしいコーヒーの匂い。  いつもはこんなに、いい香りはしない。  インスタントを使ってるからだ。 「ほら、秘蔵の豆でカフェオレ淹れてやったぞ」  やっぱり今日はとっておきを出してくれたらしい。  俺は鼻をすすって顔を上げずにビーカーを受け取る。 「振られちゃったかー」  口をつけない俺に、同じ様に立ったまま頭をワシワシと撫でてくる。  潤姉といい先生といい、大人ってみんな、こんなに勘がいいのか。  不覚にも、手のひらの温もりに胸がギュッとなって涙が溢れた。  拭う間もなく雫がポタリと床に落ちる。  これは恥ずかしい。見られていないはずがない。  だけど止められなくて、堪らえようとすればするほど溢れ返る。  やっぱり俺は潤と、どうにもなれないんだな──。  親友にはなれたかもしれない。  でもそれは俺の求める関係じゃなかった──。  だけど俺は潤にどんな関係を望んでいたんだ。  それすらも良く分かっていない。  何も考えたくなかった。  情けなくなって肩を震わせる。  俺の手からビーカーが奪われた。  コトリ、とそれは机の上に置かれる。  なんだ?と思った瞬間、俺は先生に抱きしめられた。 「先生……なに……」 「何って、この場合コレ以外に俺がすべきこと他にある?」  先生が俺を抱きしめながら耳元で言う。  鼓膜をくすぐるような低音の甘い声色に、切なくなって白衣を握りしめる。  そんな俺の頭を撫でながら先生が続けた。 「一度だけ、確認してやる」 「……なにを」 「昨日、俺の気持ちは伝えたな。原田に振られてから、お前はそれを承知でここに来た。今この腕から逃げないんなら、俺はもう引かないよ」  その言葉が具体的にどういうことか、今の俺にはピンと来ない。  だから的外れでも素直な気持ちを口にした。 「ごめん俺、どうしたらいいか全然分かんない。でも……先生に甘えたいって、そう思ったからここへ来た……と思う」  先生が頭の上でクスリと笑う。 「今はそれでもいいや。俺なら──何も考えられなくしてやれる。疲れて眠ることしか出来ないくらい深く愛してやるから、安心して俺に堕ちてきな」  一見恐ろしい表現に聞こえたが、それは俺の心の中にストンと落っこちて収まった。  抱き締められている身体に安堵が広がる。  俺は先生の胸に額を擦り付けた。 「うん──先生」  先生がご褒美のように俺の頭を一度撫でてから、身体を離す。 「コーヒー冷めたな」  自分のビーカーを持ち上げた先生が言う。 「先生」 「ん?」 「それ、飲みたい」  コーヒーを含んだ口角が持ち上がる。  先生の手が俺の顔を優しく上向かせる。  そしてブラックコーヒーが霞むほど甘いキスを落としてくれた。 「お前デレると100倍可愛いな」 「そう?」  だとしたら先生が甘やかすからだ。  先生が椅子に座ったので隣に座ろうとすると、腕を引かれて膝の上に乗せられる。  ほら、やっぱり甘やかす。  この空気なら言ってしまえそうだなと、気になっていたことを口にした。 「俺、失恋したとは感じてるけど──本当は潤に恋愛感情持ってたか良く分かんないんだ」 「どうしてそう思った?」 「昨日先生に言われて気付いたんだよ。潤とエッチなことしたいって考えたこともなかったなって」 「同性に惹かれるのはお前達の年頃にありがちな事だ。それなりに強い感情だから区別がつきにくいんだろうけど、そう思うのならお前が原田に感じてたのは独占欲とか憧れかもな」 「そう──なのかな」  俺が考え込むと突然、先生がニヤリとして俺の腰を引き寄せた。 「俺とは?」 「え?」 「エッチなこと、したいと思う?」  一昨日(おととい)までなら、そんな事は考え付かなかった。  だけど、もう知ってしまった。 「先生とは……したい」 「あー。素直なお前は──何ていうか、可愛い。本音言うと今すぐ抱きたい」 「やだよ、こんなとこじゃ……」 「分かってる、俺も。その代わりベッド行ったら足腰立たなくなるまでドロドロにしてやるから、覚悟しとけよ」  どう見たって良くないことを企んでいる表情で笑う。  そしてそれは、しばらくしてから訪れた先生の自宅で、嫌というほど身を()って知る。  家に着いた瞬間の真っ昼間から夜が明けるまで、泣かされて喘がされ続けた。  何も考えられなくしてやると言ったのは比喩でも誇張でもなく真実で、俺はその日、先生をケダモノと呼んだ。

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