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第64話
深雪のどこか憂いを帯びた声が、それでも肩の荷が下りた晴れやかな感じでこの豪奢な空間に溶けて行く。
「こんな『通過儀礼』を経てきた人間だろう?結婚も人並みには行かないと思うよ……。お父様の運命の人はね、僕の……いや晶の大学でもあるんだね……そこの附属病院の特別室で懸命に父の話し相手になっている。その人――夜神碧一郎さんって名前なのだけれども――との夜の関係はずっと続いていたらしい……と言うのが屋敷内での専らの噂だったよ」
もちろん、仕事上でもとても有能な父の補佐役を務めてくれたけれど。代々、そういう人が居たというのは知られざる神泉寺の秘密ってわけ。
あ、誤解しないで欲しいのだけれども、『通過儀礼』も分家が色々言って来るから夜神さんと、そして晶も会ったと思うけれどもこの家をお母様に替わって取り仕切っている田神弥栄子さんが合議の上で決めたことで、僕の身体に『主人の証』が現れただけでもう充分で……もう昔のようにその『運命の相手』を束縛しようとは神泉寺家でも思っていないよ。本当はね、夜神さんだって望めば他の選択肢も有ったにも関わらず、結果的には父の傍に居てくれただけで……。
神泉寺家としては、晶をこれ以上縛る積もりは毛頭ないから。
ただ……普通の恋人として……少しの間だけでも、僕の傍に居て欲しいというのが偽らざる本音なのだけれども」
深雪の茶色と漆黒の瞳が切なげに揺れている。抱き締めた華奢な背中も梅雨も終わろうとしている時期なのに寒さはない何かに震えているようだった。
晶の顔をじっと見詰める静謐な激情を湛えた深雪は今までに見た中で一番綺麗だった。
おもむろに唇を動かした。
「言っただろう?深雪に本当の恋人と付き合う楽しさを知って貰いたいと。もちろん、オレにだって欠点ももちろんたくさんあるし、深雪に愛想尽かしされる結果になるかもしれない。神泉寺家の伝統だからとか、『仕来たり』だからとかで……深雪が縛られることもないんだ。
ただ、純粋に深雪のことをもっと知りたいと思うし、ちゃんと付き合いたいと思っている。ごくごく普通の恋をして、その過程を楽しもう。その結果、ずっと一生続く恋もあれば、終わる恋もあるだろう?
正式に告白するよ、深雪、オレと付き合って欲しい、恋人として」
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