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第42話

一階のキッチンの手前で俺は立ち止まった。 「あ、ここまでで大丈夫なんで…」 グラスを割り、 さらにお客様に運んでもらったと知られたら 怒られるに違いない。 「すみません、本当にありがとうございました」 「はーい、それじゃあ気をつけてくださいね。 お仕事頑張ってください」 蒼くんはペコッと頭を下げると、 来た道を戻り始めた。 夢のような時間が終わってしまう。 いいのか、俺。 推しが目の前にいるんだぞ。 もう二度と会えないかもしれないんだぞ。 何か言っとかなくていいのか。 ぎゅっと目を瞑る。 「〜っ!あの!」 勇気を振り絞った俺の声は思ったよりも大きくて 自分でびっくりしてしまう。 蒼くんはくるっと振り返った。 振り返っただけでなく、近くに寄ってきてくれる。 「何ですか?」 「……あ、あの…」 うっわーっ。 近づいてきてくれるとは思わなかった。 途端に緊張し出す俺の心臓。 何か言いたい。 何か言わなきゃ。 azuかもしれない。 azuじゃないかもしれない。 azuだってこと、きっと周りには隠してるから 変なことを言わずに けど、azuに伝えたいことはたくさんあって。 ぐるぐると悩んだ俺が発した言葉。 「つ、次はいつ来ますか」 言ってから気づいた。 何だこのナンパな台詞は。 男相手に口説いてる自分に身体が熱を持ち、 「あ…っと、俺、カラオケ苦手で…」 という蒼くんの困ったような笑顔に 完全に顔が火照った。 「失礼致しましたっ!!!」 ああ、恥ずかしい。 速やかに消えたい。 そそくさと奥に引っこもうとした俺を 少し高めの穏やかな声が引き止めた。 「七瀬さんはいついますか?」 「へ」 「俺、カラオケ苦手だから、 確実に七瀬さんいるときを狙って行きますね」 ニコッと笑う蒼くんが優しすぎて キラキラして見えた。

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