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準備室での一件以来、佐野からの連絡はぱったりと途絶えた。
あれだけジュース買ってこいだの今から家に来いだのとくだらないことで呼び出していたくせに。
奴の気まぐれも困ったもんだと呆れつつ、戻ってきた穏やかな日常を堪能していた。
ちなみに今日は麻広ちゃんと約束していた金曜日。"女子会"の日だ。
実に2週間。平穏無事な日々を送っていた。
19時台でもまだまだ明るい夏の夕暮れ。金曜日ということもあり、道行く人は仕事を終えた解放感と飲みに繰り出せる喜びで皆笑顔になっている気がする。
そんな笑顔で騒がしい人ごみを掻い潜り、人の多い繁華街から一本奥にある路地裏へと入る。
途端に寂れた空気。しんと静まるようなこの雰囲気が、嫌いではなかった。
楽しそうな喧騒を背に、いつものくたびれた居酒屋へとたどり着くと勢い良く引き戸を開けると顔なじみのサラリーマンたちが「よっ」と口々に挨拶してくる。既に出来上がっている人も何人か居て、何を口走ったのか判らない言葉もあった。
「神谷ー! こっちこっち!」
「えっ」
ちょいちょい、と手をこまねくのは麻広ちゃんの従兄弟である、真壁。
その隣には、その恋人である志摩が串を咥えながら座っている。
とりあえず手を振り返しながら麻広ちゃんの様子を窺うと、ビール3杯は飲んだ時みたく目が据わってしまっている。とってもお怒りか、とっても酔っているかのどちらかだ。
「どしたの、麻広ちゃん」
「やっほーゆうちゃん」
麻広ちゃんの鬼の形相の理由がアルコールのせいではないとは、判っていた。
――乾杯は、揃ってから。
そう決めていた麻広ちゃんは俺が席に着くまでは、どれだけ喉が渇いていてもビールを飲むことはない。
当然、今の彼女は素面だ。
「後をつけてきたのよこの二人」
「だってお前らばっかいつも美味しいの食べててずるいじゃねーか」
「麻広ちゃんが通いつめてる店なら味の心配はないもんねえ」
くすくすと笑うばかっぷる真壁と志摩を頭を殴り付け、その正面に腰を下ろした。
いつもは麻広ちゃんの正面に座るから、隣というのは結構な違和感があるけど、3対1で座るわけにもいかないし。余計なことをしてくれたこいつらに腹が立って、もう1発ずつ殴って店員さんを呼んでビールを頼んだ。
「お前らね、ここは麻広ちゃんの大事な店なの。もう来るなよ」
「ひどい」
「神谷だけずるい」
「俺だってひとりじゃ来ねーよ! まあ、味は美味しいから、そこは保証する」
「何を保証しないのゆうちゃん」
地の底を這うような低い声音に、びくりと肩が跳ねた。
その瞬間、俺たちの前にジョッキが置かれ、人の良さそうな大将が「ゆっくりしていってくんな!」とからからと笑い、それに倣い他の常連客も大声で声を掛けてきた。
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