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番外編 ライバルは身内に。

オッサンの部下side 案件が立て込んでいたここ何週間かのせいか、職員の顔が疲れきっている、と、とある特殊部署の6年目、"後輩"と呼ばれる男は思い、ため息をついた。 現場での仕事は終えたため書類仕事 後始末 をすれば、暫くはつかの間の平和が戻ってくる。だから、キリキリ働いて早く仕事を終わらせてくれないだろうか、と周りを見渡しながら、通常の人々の2倍くらいの速さで仕事を片付けているのが何とも恐ろしい。 この部署で1番と言ってもいい程底の知れない男、それが後輩だ。 たった6年の勤務年数で作成した伝説は数知れず。 この部署の中では、すでに怒らせてはいけない人物としての地位を確立していた。 唯一、そんな後輩と張り合えるとすれば、部署の長である自称"オジサン"くらいである。 後輩本人も常々“あの人とだけは張り合いたくないですね”と公言しているほどだった。 さて。 果たしてその部長 オジサン であるが、最近妙に様子がおかしいと後輩は思っている。 今朝もそうだ。 「愛妻弁当が〜…」「未亡人にしない〜…」云々のセリフから見て、明らかに来春している。 しかし、元来の部長は人一倍警戒心が強く、また仕事柄不規則な生活を送りがちのため、滅多に恋人を作ることはなかったという話である。 それが一体どういう風の吹き回しなのか。 お前しか部長に聞けるやつはいない! という周りの視線を鬱陶しく思い、また1人浮かれ状態の部長を若干蔑みながらも、後輩は黙々と仕事をした。 そんなこんなで、部長に突撃しに行く猛者が一向に現れないまま時は過ぎ、昼時。 後輩はここの所の激務で自炊を一時中断中のため、近くのスーパーで昼食を買うべく、外出をしようとしていた。 すると、ちょうど後輩が通り過ぎようとした受付あたりから、我が部の部長の名前が聞こえた気がして、思わず足を止める。 うちの部は基本、仕事中にフルネームを名乗ることは無い。 それは、本名からどんな人物であるのかを辿られ、部署を特定されると任務に差支えが出る為だ。 だから本来、部長のフルネームがこの"浅い"界隈で出ることなど殆どない。 そんな、違和感からの無意識な行動だった。 そして、声の主を確認した後輩は、更に違和感を覚える事となる。 部長の名を呼んだのは、どうみても部長なんかと関わりあいになりそうもない、まだ20歳前後であろう青年だったのだ。 均整のとれた体に、体幹を鍛えている者特有のすらっとした立ち姿。 少し幼げではあるが、整った涼やかな顔立ち。 髪型こそ今どきらしいが、天然ものであろう黒髪が何処と無く上品だ。 また、ラフでありながらもスタイリッシュにまとめられた、嫌味のない服選びにこなれた感じがする。 これはなかなか、いや、かなりモテていそうだな、と後輩は思う。 こんな正しく今どきの若者なんて、あの部長に限っては知り合いですらありえないだろう。 そんな失礼な感想を抱きながらも、では、なぜ部長の名を知っているのか、という単純な疑問が解決できない。 実は真面目である後輩は、面倒だと思いつつも受付に近付いて行った。 「……ですので、すみませんが連絡をお待ちいただけますか?」 カウンターまで近づくと、受付にいる若そうな職員が困った顔で対応をしていた。 どうやら、うちの部署が特殊であるという事を、一般人でありそうな彼に伝えられずに対応の仕方がわからないようだった。 まあ確かに、この界隈でうちの部署の名前が出される事態などまずないので、受付対応の指導が入っていないのは分かる。 だが、それにしても顔に出すぎている。 鉄仮面と呼ばれるほどのポーカーフェイスを持つ後輩は、心の中でダメ出しをした。 そしてふと見れば、勘も悪くない様子の青年が、受付の不自然な対応に眉を動かしていた。 本当に、自分が通りかかったことに感謝してほしいくらいですね。 衝動的につきそうになったため息を飲み込んで、後輩は足を踏み出した。 「すみません」 「?…なんでしょう」 後ろから青年に声をかければ、若干警戒したように返事が返された。 取って喰うつもりはないのですけど…。 「我が部の部長をお呼びとお聞きしたので、声をかけさせていただきました、部長の下で後輩をしている者です。失礼ですが、部長にどのようなご用件で?」 「ああ、オッサ…あの人の部下の方ですか」 今、明らかにオッサンって言おうとしたな、と聡い後輩は分かったが、スルーした。 こういうのは突っついても良いことなど1つもないのである。 うちの部署のもう一人の6年目である、同期の“忠犬”ならば自分から突っ込んでいってドジを踏んだだろう、と若干遠い目をしかけて我に返る。 そして思うのは、こんな若い子を捕まえて自分を“オッサン”と呼ばせるなんて、部長の趣味は想像以上に悪い、ということだった。 「用件というほどのものでもないんですよ。あの人が、家に弁当忘れたと電話口で騒ぐんで、届けに」 そういって、青年は暗いチェック柄の弁当包みを、紙袋の口からちらりと見せた。 その瞬間、後輩に衝撃が走る。 まさか、こんな今どきのモテ男子の塊みたいな男の子が、まさか朝の、あの、部長の通話相手…?ということは、あの、“あの”部長の恋人、だと…? ありえない。 大体、何歳離れてると思っているんだ?会話は続くのか?というかむしろ、この彼は納得して付き合っているのか? それに彼の身長、平均より結構低そうですけど、あの無駄に背の高い部長相手では身長差的にきついのでは、色々と…。 そして何より… 『君、成人してます…?』 思わず口から飛び出そうになった疑問を、すんでのところで噛み殺した。 誤魔化すように咳ばらいをする。 いや、年齢はデリケートな問題であって、部長の後輩というだけである自分が踏み込んでいい領域ではない。尋問は、あの部長 オジサン にすべきである。 「そういうわけなので、もしよろしければあの人に届けてもらえないでしょうか?“忙しい”のは承知してましたし、取り越し苦労になりかねないことも分かっていたんですけど」 そういって苦笑いをする表情は、実年齢よりも大人びて見えた。 多分、この青年は察しがいいのだ。 詳しい事情を、いくら恋人相手だからといってあの部長が話すとも思えないし、多分彼は自分で何となく事情を察知しているはずだ。 だからこそ、受付であのような対応をされても、あまり大きく表情を動かすこともなかった。 惜しい、と思う。 この青年が、もし自分の懐にいたのなら。 きっとこの、部署の人々に鉄仮面と呼ばれる自分の表情筋(こっそり言ってるつもりでしょうか、気付いてますよ)も、春を迎えた花の如く綻ぶだろうと感じるのに。 (…仕方ありません。部長と張り合うのだけは、ごめんですし、ね) 「渡すのは構いませんが、もしよろしければ呼んできましょう。ちょうど昼休憩に入ったばかりですので、こられると思いますよ」 そうして後輩は、スーパーに行くのはいったんやめて部署に戻った。 「部長、来客があるとのことです。ロビーでお待ちだとか」 「ん? 来客? 今日来るってことは、いったいどいつだ…?」 「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと行ってください」 「…本当はお前、俺の事上司なんて思ってないだろ…?!」 「あいにくとこの稼業ですので、未成年とお付き合いされているような上司はちょっと…」 「うおぉおおい! それは聞き捨てならねえぞ! あいつはちゃんと成人済みだっつーの!…ん?てかおまっ、何で知って…! まさか…!」 ほう、やはり成人済みだったんですね、と口には出さないまま、後輩は鉄仮面と呼ばれる表情のまま部長を眺めた。 慌ててロビーへ向かった部長の背中からは、彼をどれだけ思っているかが伝わってきてなんとも口惜しい。 …まあでも、どう頑張ったって部長の方が彼より先に死ぬんでしょうし、それからじっくり口説き落とすのも悪くなさそうですが。 表情筋が死滅した、とまで言われる後輩の硬い表情が、にやりとした笑みに動く。 偶然それを見てしまった“忠犬”こと後輩の同期は、のちに「この世の地獄をみた」と震えながら話したという。 オッサン、気付かないうちに強力なライバルを得た瞬間であった。

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