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sonata3

§・・§・・§・・§ 「知ってる?ピアノ科の湊響也の話」 「は?何、知らないけど」 「アイツ、普通科と繋がりがあるみたいだぜ?」 「それって、上位者の癖に裏切り者って事?!」 「あぁ。裏切り者だ」 「木崎様達はこの事知ってるのかな」 「絶対に知らないよ、だから親しくしてるんだ。木崎会長達は騙されてるんだよ!」 朝。 いつもの通りに登校し、いつもと変わりなく教室に向かう。 何故か今日はやけに視線を感じる事を除けば、普通の日常。 そしてその些細な違和感は、教室の扉を開けた瞬間にハッキリと形に現れた。 「裏切り者と同じクラスなんて、僕イヤなんだけど」 明らかに俺を見ているクラスメイトの言葉に、ピタリと歩みを止めた。 意味がわからず相手の顔をジッと見つめると、俺の無表情さが怖かったのか、グッと息を飲んだのがわかった。 すると今度は別の方向から、 「涼しい顔してアッチにもコッチにもいい顔。よくやるよな、お前」 そんな言葉が放たれた。 「なんの話だよ」 意味のわからない悪態を吐かれて無視できるほど、寛容な人間じゃない。 無意識に眉を寄せ、低めた声で問いかけた俺に、そいつらは「フンッ」と鼻を鳴らして横を向いてしまった。 他のクラスメイトも口には出さないが、明らかに負の感情を持っている事が伝わってくる。 これまで学校内ではほとんど人付き合いをしてこなかったせいで、もともとクラスメイト達とは仲が良くない。 だが、今日のこれはいつものそれとは何かが違う。 意味のわからない状態に溜息を吐きながらも、予鈴が鳴った為にとりあえず席に向かった。 「起立、礼」 「ありがとうございました!」 午前の授業が終わり、国語の教師が教室を出ていく。 途端に深く溜息が零れ出た。 クラスメイト達が常にこっちを意識しているのがわかる分、気を張って仕方がない。 いったい何が起きたというのか…。 「…疲れた…」 午前の授業だけで一日分の体力を使ってしまった気がする。 誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟きながら、机の上に広げたままになっているノートと教科書を片付け始めた。 今日の昼は屋上にでも行こうか。 本来、音楽棟の屋上は鍵がかけられていて、普通の生徒は出入りする事が出来ない。 だが、ここに上位生徒の特権があった。 各科の上位者になると、好きな時に屋上を使用できるという許可が下りるのだ。 今日みたいな時は、その特権をフルに活用するに限る。 机の上を片付け、携帯だけを手にして立ち上がった。 この重苦しい空気を午前中いっぱい浴び続けていては、昼食を食べる気すら起こらない。 また訳のわからない事を言われる前に、早々と教室を出る事にした。 どこまでも広がる青い空。 高く無骨なフェンスさえなければ完璧なのに…と思うけれど、以前、音楽的な事からノイローゼとなってここから飛び降りようとした生徒がいたという話を聞いた事がある。これは相応の対応なんだろう。 誰もいない静かな屋上に足を踏み入れ、更にハシゴを使って給水棟の上にまでのぼった。 風は心地良く、雑音も聞こえない。 あるのはただ、自然の音のみ。 6畳ほどの広さがある給水棟の上で、仰向けになって寝ころんだ。 こうしていると、視界が全て青に染まり、まるで自分が空の中を漂っている気分になれる。 …こんな空に似合う曲はなんだろう。 目を凝らせば、成層圏までも突き抜けて宇宙さえも見えてしまうのではないかと思える透明な青と、そこにフワリと流れてくる柔らかな白。 最高のコントラスト。 このまま夕焼けまでの流れを見ていたい。 そんな風に思った時、自分がいる真下から金属製の音が聞こえた。 誰かが扉を開けた音。 ここに入れるのは上位者だけという事を考えれば、そう警戒する必要もないけれど、それでも一人でいる時のように気を抜く事は出来ない。 溜息が零れそうになる口元をキュッと噛みしめていると、今度はカンカンカンっという軽い金属音が聞こえてきた。 …もしかして、ここに上ってくる? 寝転がっていた状態から勢いよく上半身を跳ね起こすのと、下からニョキっと誰かの手が現れたのは同時だった。 「…あ…」 「………」 続いて見えた頭と体。そして足。 俺を見て一瞬動きを止めた相手は、またすぐに行動を再開してなんの躊躇もなく横に腰を下ろした。 「…都築…」 無表情で隣に座ったのは、ピアノ科5番の肩書を持つクラスメイト。都築春臣だった。 呼ばれた名前にチラリと視線を寄越してきたが、それもすぐに逸らされ、さっきまで俺がしていた体勢、つまり仰向けになって寝転がる。 これはいったい…。 中等部からずっと同じクラスだったとはいえ、都築とはそんなに会話を交わした事はない。 それなのに、何故か妙に懐かれているという感覚を拭い去れないでいるのは前からの事。 何も言わずに目を閉じているその姿。 …寝たのか? どうしたらいいのかわからず、ただひたすら見つめていると、閉じていたはずの目が薄らと開いた。 「…都築?」 眉を顰めてもう一度名を呼んだら、何故か笑われるという訳のわからない状況。 「さっきから俺の名前しか口にしてないな」 「………」 …それはお前が何も言わないからだろ…。 思わず脱力した。 そしてまた目を閉じてしまった都築に諦めを覚え、立てた片膝の上に腕を置いて遠くに視線を飛ばす。 髪を揺らす風が、もう初夏の薫りを運んでくるようだ。 そんなふうに暫くボーっと景色を眺めていて、ふと気が付いた。 同じ空間に会話もしない相手がいるというにも関わらず、気詰まりというものを一切感じていないという自分に。 「………」 改めて、横で寝転がる相手を見下ろしてみる。 常日頃から不遜な態度をとるせいで体格がいいような印象を持ってしまうけれど、こうやってまじまじと見ると俺とそう変わらない背格好。 口数は多くなく、誰にも干渉する事はない。 だからと言って完全に他人を無視している訳ではなく、目の前で道理の通らない事をする相手には容赦なく攻撃…じゃなく注意を促したりもする。 いまだに、都築の性格がクールなのか熱いのか判断する事ができない。 「…穴が開く」 「……」 「そうやって見られると穴が開く」 「………」 今度こそ寝たのだろうと思っていた都築が突然バチっと瞼を開き、腹筋を使って反動もなく上半身を起こした。 もう都築がいったい何をしたいのかがわからない。 そもそも、屋上は広いというのに、なんでワザワザここで寝るんだろう。 俺がいるとわかった時点で、他へ移動してもおかしくはないというのに。 「なんだよ」 「別に、なんでもない」 都築の怪訝そうな眼差しに、首を横に振った。何を考えているんだ? なんて聞けるわけがない。 問い質すような相手の視線から逃れる為に、また正面の空へ向き直った。 「…お前…、なんで一般棟にいたんだ?」 「……………え?」 まるで呟きのように放たれた言葉に、若干反応が遅れてしまった。 言葉が耳に入り脳に到達した時点で、勢いよく横を振り返る。 そこには、凪いだ海のように静かな表情を浮かべた都築の顔があった。 その表情に促されるように、放課後の中庭での出来事を思い出す。 「なんで…って…、あれは…。…っていうか、なんで都築がそれを?」 あの時、近くにいたのだろうか。 疑問と共に首を傾げると、「違う」と首を左右に振って否定された。そして、 「俺じゃなくて、それを見た奴らがいるんだよ。…お前が“ユダ”だと言いふらしてる」 そう告げられた。 これで、今日のおかしな周囲の反応の意味がわかった。 音楽科の上位者のくせに普通科と個人的な関わりを持つなんて、裏切り者だ、と。 「……ユダ……」 キリストを裏切ったと言われている13番目の使徒、ユダ。 ……俺がそれだというのか。 たかがあれだけの事で…と腹立ちが込み上げると同時に、自分の馬鹿さ加減にも唾棄したくなる。 気が緩んだか…。 少し考えれば、普通科の生徒に従って一般棟へ入り、尚且つその生徒に傷の手当てをしてもらうなんて、音楽科の生徒としてはあるまじき行動だとわかる。 それ自体はわかっていたのに、あの時は何故か、逆らおうと思えなくなってしまったんだ。 失敗した。 今更過去の行動を後悔しても、もう遅い。 グッと奥歯を噛みしめる。 隣からは、呆れたのか短い溜息が聞こえてきた。 「裏切りだのなんだのって、ホントくだらねぇ」 「…わかって……、………は…?」 ボソリと呟かれた言葉に、開いた口が塞がらなくなってしまった。 いつも都築が他者を攻撃…じゃなく注意を促す時の、馬鹿だのなんだのという単語がぶつけられると思っていたのに、実際にその口から零れたのは、俺に対する叱責ではなく周囲の人間に対するものだった。 「誰がどこで何をしていようと、周囲に迷惑が降りかからなければ赤の他人がとやかく言う権利はない。お前が普通科に行こうが何しようが、それ如きで裏切りだのなんだのって…馬鹿馬鹿しい」 「都築…」 ビックリした。 こんな近くにも、この学院の考え方に染まっていない人間がいたなんて。 その当たり前の感覚が、淀んだ何かをサラリと吹き飛ばしてくれる涼風のように感じる。 「アホみたいな顔だな」 「う…るさい」 それまで開けたままになっていた口をすぐに閉じた。 「まぁ、これからどうするかはお前の自由だ。馬鹿は放っておけばいい」 「あぁ。………都築」 「ん」 「ありがとう」 礼を言う事がこんなに照れくさいとは。 言ってすぐに顔を逸らすと、フッと笑う都築の声が聞こえたような気がした。

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