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sonata4
§・・§・・§・・§
日を追うごとに、周囲の生徒達の態度が悪くなっていく。
俺が一般棟に行った日から3日目。
噂は、尾ビレどころか背ビレ胸ビレまで付き、更には手足まで生えてしまったのではないだろうかと思える程に、ありもしない方向へと走り出していた。
彼らが口にする噂によると、俺、湊響也は、
『普通科の生徒を誑かし、自分が快適に過ごせるよう下僕のように扱っている』
らしい。
初めて知った、そんな話。
同姓同名の別人でもいるんじゃないのか?と本気で疑いたくなるくらい、それが真実のように語られている。
実際は、怪我をして偶然そこにいた見ず知らずの普通科の生徒に手当てをしてもらっただけ。
馬鹿馬鹿しくて俺が何も言わないのをいい事に、面白おかしく脚色してくれる誰かがいるらしい。
随分な暇人だ。
俺のこんな冷めた態度が、余計に周囲の生徒を煽っているのは知っている。
だからと言って、明らかに間違っている奴らに大人しく従ってやる義理もない。
午前の2時限目が終わったと同時に、盛大に溜息を吐いた。
早く練習室に引きこもってピアノを弾きたい。
机の上に伏せたい気持ちを堪えて、頬杖を着くだけに留める。
「あ…嘘っ…」
「え、なんで?」
突然ざわめく教室内に、顔を上げた。
皆の視線を辿ると、行きついた先は前方の扉。
そこに見えたのは、1人の生徒の姿。
副会長である棗先輩と似たような背格好だが、肩につくくらいの緩やかな天然パーマの髪を、前髪から何から全て後ろで1つに纏めている、少々キツイ顔立ちの男。
高等部二年生。声楽科の次席であり、音楽科の風紀委員長でもある御厨脩平 だ。
先程吐いたばかりの溜息が、更に大きな物となって口から零れ出る。
この数日の状況からすれば、御厨先輩の目的は、たぶん、俺。
呼ばれる前に自ら向かおうと席を立った瞬間、風紀委員長その人の視線がこちらを向いた。
俺が廊下へ向かったのと同時に、御厨先輩も扉の所から廊下へと移動した事で、予測が当たった事がわかった。
「湊響也。何故私がここに来たのか、理由はもうわかっているだろう?」
「わかっています」
廊下で向き合ったと同時にかけられた声は、まるでロボットのように抑揚のないものだった。
休み時間の為、廊下には生徒達の姿が多い。皆が皆、(このやりとりを見たいけれど風紀委員長様が怖くて見れない…)といった空気を醸し出しながら、教室へと入っていく。
「中村先生には話を通してある。今から来てもらおうか」
中村先生とは、3時限目の物理担当教師だ。
話を通してあるという事は、次の授業は受けなくてもいいという事なのだろう。
「わかりました」と頷くと、御厨先輩は即座に歩き出した。無駄のない動きが余計にロボットのようで、はっきり言って取っつきづらい。
【風紀委員会】
御厨先輩が開けた扉に貼り付けられたプレートには、そう書かれてある。
まさか自分が、風紀委員長直々のお呼び出しを受ける事になろうとは…、数日前までは思いもしなかった。
室内は、風紀委員会という言葉がこれほど似合う部屋はないだろう…というくらいに物がキッチリ整えられ、チリ一つ落ちてないんじゃないかと思える程に片付けられている。
先に中へ入った御厨先輩は、いちばん奥にある席に腰を下ろした。
机の上で組まれた両手が、まるでこれから尋問を始めます、といった雰囲気を漂わせていて、どうにもこうにも落ち着かない。
机を挟んで正面に立つと、その鋭い眼差しが顔に突き刺さった。
「どういう事なのか、無駄な言葉を省いて簡潔に述べなさい」
……間違いなく尋問だな、これは。
引き攣りそうになる口元を堪えて、御厨先輩を見返した。
「3日前の放課後、中庭を散歩中に自分の不注意で指を切ってしまいました。その時に偶然その場に居合わせた普通科の生徒に、一般棟の保健室で手当てをしてもらっただけです」
出来るだけ要点をかい摘んで簡潔に述べた、つもりだったが、御厨先輩は気に入らなかったらしい。
「最後の“だけです”は不必要だ。その出来事が“それだけの事”かどうか判断するのはお前ではない。私だ」
「………」
アンタは嫁イビりをする姑か。
重箱の隅を突くような相手の言葉にそんな思いが込み上げてきたものの、かろうじて飲み込む。
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