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sonata10

「そんな所に立ってないで、ここに座りなさい」 相変わらず優しい対応の紅林先生が、応接用のソファを指し示す。 言われるがままにそこへ移動したものの、そんな俺の行動をこの場にいる全員が眺めているというのは如何なものだろう。 変な緊張感に、左右の手足が同時に出そうになってしまった。 俺がソファに座ると、四人が一斉に動き出す。 木崎さんは俺の隣に、棗先輩は木崎さんの正面に座り、御厨先輩は俺の正面。 紅林先生だけは、少し離れた場所にある生徒会長用の机に寄りかかって立っている。 この面子に全幅の信頼をおいているのか、よほどの事がない限り口を出さないと見受けられる立ち位置。 全員が居場所を定めると、隣で長い足を組んで座っている木崎さんが口を開いた。 「響也以外は説明不要だな」 その言葉に、棗先輩と御厨先輩が勿論だとばかりに頷き返す。 という事は…。 恐る恐る隣に視線を向けると、ちょうどこちらを向いた木崎さんと目が合った。ニヤリと笑われる。 「お前の為に懇切丁寧に説明してやるから、よく聞けよ」 「……はい…」 俺の為だけにワザワザ説明してくれるという事は、一言の聞き洩らしも許されないだろう。これは軽く流すわけにはいかない。 俺の意識が集中したのが伝わったのか、木崎さんは満足そうに頷いた。 「中等部の時は全て教師が仕切っていたから問題なかったが、高等部の場合は普通科と音楽科との橋渡しを生徒が行う事になっている」 「はい」 「そして、1年に1度。互いの科のトップが集まって会合を開き、顔合わせと簡単な取り決めを行う」 「…はい」 …なんか本当に嫌な予感がしてきた。 ここで聞かなかった振りをして逃げたいけれど、この面子相手にそんな事をしたら末代まで呪われそうだ。 そこで木崎さんがニヤリと笑った。 「その会合が行われるのが6月の頭。要は来週って事だな」 「………」 「こっちからは、俺と彼方と御厨。そして顧問。後は、補佐となるお前が行く事になっている」 「…はい?」 え、何これ。 行けるよな?的なお伺いは一切無しで、俺が行くのはもう決定している事になっている。 開いた口から二の句が告げなくなっている俺がおかしかったのか、棗先輩が思いっきり吹き出して笑い始めた。 「驚いてる驚いてる! もうホントに響ちゃん可愛いんだから~! 皇志の事後承諾なんて今に始まった事じゃないのにね~、いい加減慣れようよ」 あまりに強引な話の流れに頭がついて行かない。 高等部のトップ会談になんで俺如きが出席を…。っていうか、慣れるとか慣れないとかの問題じゃない。補佐ってなに。 ニヤリとした笑みを浮かべている木崎さんと、腹を抱えて笑っている棗先輩。 正面に目を向けると、御厨先輩だけがその怜悧な顔に僅かな同情の色を乗せていた。 「…あの…、俺じゃなくても、書記と会計の先輩がいるじゃないですか」 音楽科の生徒会書記と会計には、ピアノ科の二番と三番に位置する三年の先輩2人がついている。 両科のトップが集まる会合なら、俺じゃなくてその先輩達が行くのが筋ではないだろうか。 そう考えての発言だったが、木崎さんは鼻先で笑い飛ばしてくれた。 「トップ会合に書記と会計なんて必要ねぇんだよ。会長、副会長、風紀委員長の3人で充分だ。でもそれじゃさすがに人数が足りないって事で補佐を1人だけ呼ぶ事が許されている。それがお前だ。更に付け足せば、補佐を先輩に頼むなんて、そんな失礼な事は俺には出来ない」 「「「………」」」 …嘘をつけ嘘を…。 普段から先輩だろうが教師だろうが気にせず扱き使っている木崎さんに、その場にいた全員が同じ言葉を胸の内に飲み込んだ。 ただし、言っている事は正論だ。木崎さんがどうであれ、補佐を先輩に頼むのは失礼だろう。 だからと言って、ここで食い下がらなければ間違いなく厄介な事になってしまう。 一度ゴホンと咳払いをして、座り位置を正面向きからやや横向きにずらし、隣に座る木崎さんをしっかりと見据える形で体勢を整えた。 「1年から補佐を選ぶと言うのなら、ヴァイオリン科の鬼原の方が次席という立場なので相応しいのではないでしょうか」 ヴァイオリン科1年、鬼原虎次郎(きはらとらじろう)。 名前とは裏腹に、身長は160台半ば程で華奢な体格。髪は天然茶髪のフワフワで目はタレ目のドングリ眼。 外見に見合った優しく恥ずかしがり屋の性格を持ち、1年にも関わらず並いる先輩達を押し退けて棗先輩の次についている実力者。 極度の恥ずかしがり屋という部分が若干の問題ではあるけれど、几帳面で気が利く彼なら補佐もしっかり務まるだろう。 万全の自信を持って勧められる人物だ。 けれど…。 「馬鹿かお前は。それを言うなら、240人の中の4番と、90人の中の2番、どっちが上かは一目瞭然だろ」 木崎さんの口から放たれたのは、どこか呆れと笑いが混じった言葉だった。 音楽科は、S・A・B・Cの4クラスに分かれ、Sがピアノ科上位者40名、Aがピアノ科一般者40名。 Bがヴァイオリン科で30名。Cが声楽科で30人の1学年140名、全学年420名の生徒で成り立っている。 木崎さんは、ピアノ科の生徒数240人の中で4番に位置する俺と、いくら鬼原が次席とはいえ、それはヴァイオリン科生徒数90人の中での2番。競争の苛烈さは比べるまでもないという事を言っている。 そういうものだろうか。自分ではよくわからない。 ちなみに普通科は4クラスに分かれ、生徒数は各35人。 1学年140名で、音楽科と同じく全学年420名だ。 どうしても承諾したくなくて唸っていたけれど、横に座っていた木崎さんにグイっと肩を抱き寄せられ、その端正な顔と囁くような声で、 「宜しく頼むな、響也」 なんて言われてしまったら、「はい」と答えるしかなかった。

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