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sonata12
入ってきた人物を見つめたまま、視線を離せなくなってしまった。
…だって…この人…、あの時の…。
あまりの驚愕に、向かい側のソファに座ったその人物と木崎さんが挨拶を交わした事さえ耳に入らない。
驚いている内に、木崎さんがこちら側の人物紹介を簡単に始めた。
紅林先生、棗先輩、御厨先輩。それぞれが一言挨拶をしていく。
そして湊響也…と言った時、その人物の双眸が俺を捉えた。
「………」
中庭から保健室までのあの出来事を覚えていたのか、僅かに目を見張る相手に、ぎこちなく会釈をする。
「音楽科、生徒会補佐の、湊響也です」
俺の態度を緊張からとでも思ったのか、棗先輩がクスクスと笑いだしたが、そんな事すら耳に入らない程の動揺。
そして次に、普通科側の人物紹介が始まった。
「普通科生徒会会長、藤堂尚士 です」
初めて名前を知った。けれどまさか生徒会長だったなんて…。
なんとかポーカーフェイスを保っているものの、いまだ驚愕からは抜け出せない。
「副会長の飛奈瑞樹 です」
先程の優しそうな人は副会長だったらしい。
次に普通科の風紀委員長も自己紹介をしたが、申し訳ないけど俺の脳には記憶されなかった。というより、許容量がいっぱいいっぱいで、これ以上の情報が入らなかったという方が正しい。
「それでは早速会議に入りましょう」
全員が揃った事から、飛奈副会長のその一言を号令として会議が始まった、
「……――以上です。お互いに合意という事でいいですね?」
2時間近くかかった会議も、棗先輩の確認に全員が肯定を示した事でようやく終わりを告げた。
途端に、それまで張りつめていた室内の空気も一気に緩む。
「それにしても、キミが湊君だったとは思いませんでした」
会議が終わった頃を見計らって、普通科の生徒が2人、紅茶をトレーに乗せて運んできてくれた。
彼らが去り、寛ぎながらそれを飲んでいる最中、向かい側に座る飛奈さんの発言によって全員の視線が一斉に俺を向く。
紅茶を飲んでいなくて助かった。もし飲んでる時だったら間違いなく咳きこんでいたはず。
どういう意味なのかわからずに戸惑っていると、御厨先輩と棗先輩を挟んだ向こう側から木崎さんが代わりに答えてくれた。
「いくら飛奈でも、響也を苛めたら許さねぇぞ」
「木崎さん、なに言って…!」
ニヤリと笑った木崎さんの口から零れた言葉にギョッとして、寄り掛かっていた背もたれから上半身を起こした。
「お二人とも仲が良いんですね」
「………」
優しく笑う飛奈さんに反論するのも躊躇われ、渋々とまた元の位置に戻る。
「響ちゃんは皇志のお気に入りだからねぇ。今回はしょうがなかったとはいえ、本当は誰にも見せたくないって、いつも大変なんだよ」
棗先輩のそんなふざけた言葉に、飛奈さんはまともに「へぇ、そうなんですか」なんて頷き返している。
もう勘弁して下さい。
苦笑いを浮かべて飛奈さんを見ると、その隣に座っている藤堂さんと目が合ってしまった。
ここに来てから一度も言葉を交わしていないだけに、どう接すればいいのかわからない。
戸惑っている事がわかったのか、藤堂さんはその男らしい顔に暖かな笑みを浮かべてくれた。
相変わらず包容力のある対応に、尊敬の念が湧き起こる。とても俺の1つ上とは思えない。
それは、飛奈さんや木崎さん達に関しても言える事だけど、来年、俺も同じような落ち着きを持っているかと考えると、そう思えないのが悲しいところ。
そして二人が密かに微笑み合っていた時、それに気が付いた木崎は、以前響也から聞いていた人物はやはりコイツだったか…という確信を得て、微かに眉を寄せた。
しかし、そういう反応を示していたのは木崎だけではなかった。
何やら親密そうな二人の様子を見て、飛奈もまた、それまで浮かべていた柔らかな笑みを静かに消し去っていた。
「それでは来週に」
音楽科の4人が生徒会室を退室した後。
簡単な打ち合わせを終えて来週の会議の日程を決め、普通科の顧問と風紀委員長もまた部屋を出て行った。
生徒会室に残ったのは、会長である藤堂と、その幼馴染でもあり副会長の飛奈。
それぞれの席に座り、今日の資料を纏めていた。
「………」
「………」
「………瑞樹、言いたい事があるのなら言えばいい」
2人きりになってからずっと、飛奈の物問いた気な視線にさらされていた藤堂は、さすがにそれ以上無視する事は出来ずに顔を上げた。
席に着いて資料を纏めていたはずの飛奈の手にペンは握られているものの、それが使用された形跡はない。
幼馴染のこんな態度を久しく見ていなかった藤堂は、その胸中を推し量る事が出来ないでいた。
そして飛奈もまた、自身の気持ちにどうにも整理がつかずに戸惑うばかり。
…尚士と湊君が知り合いだったなんて聞いた事はない。それなのに、あの時二人の間に漂った空気は、お互いが何かしらの秘密を共有しているような…そんなものを感じさせた。
心の底から、嫌な物がドロリと滲み出てくるような不快感。
普通科では、藤堂と飛奈は当たり前のように2人1組で考えられていた。
藤堂の隣には飛奈。飛奈の隣には藤堂。
不可侵の領域のそれに近い、二人だけの空間。
家が隣同士だった事から、生まれてこの方、今日までの時間をずっと一緒に歩んできた。
そこに今、初めて異分子が紛れ込もうとしているのを、飛奈は感じ取っていた。
湊響也は中等部の頃から、才能と端正な容姿、そして木崎と棗にも可愛がられているという事で水面下で有名な存在だった。
科が違うと姿を見る事はほとんどなく、普通科の人間は皆、噂でしか彼を知る術はなかったのに、それがまさか今回の会合に出てくるとは。
おまけに…。
「…尚士は…、湊君と知り合いだったんですか?」
何気ない風を装って飛奈が尋ねると、藤堂は一瞬押し黙るような気配を醸し出し、次いで
「何故そんな事を?」
低く言葉を放った。
ここで軽く肯定されれば、そうなんだ…、で済んだかもしれない。
だが、まるで即答を避けるかのような藤堂の返答に、飛奈の心の中の澱が更に濃くなる。
「…初めて会ったような感じじゃなかったから。知り合いなのかなって思っただけです」
「一度だけ、偶然会った事があるだけだ。そんなに親しい訳じゃない」
「そうですか」
どことなく暗い声を発する飛奈をチラリと見た藤堂だが、それ以上何も言わない様子を見て、また仕事に戻った。
飛奈は飛奈で、今まで感じた事のないような不安と得体のしれない嫌な気持ちに翻弄され、それ以上会話を続ける事が出来なくなってしまっていた。
そして、室内に沈黙が舞い降りた。
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