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sonata13

§・・§・・§・・§ 「高等部のトップ会合に出たって?」 「え?」 会合があった次の日。 朝のSHRが始まる前の僅かな時間、自分の席に座りながら本を読んでいるところに、突然そんな問いかけが降ってきた。 顔を上げると、いつからいたのか…目の前に都築が立っている。 今来たばかりならいいけれど、実は結構前からここに立っていたんだとしたら、それに気付かなかった俺は相当鈍いという事になるな。 そんな恐ろしい想像を頭の隅に追いやり、改めて本を片付けて都築を見上げた。 「なんでそれを?」 怪訝そうに聞く俺に、都築は少々呆れたような溜息を吐いた。 「本当にお前は周囲の事に興味がないんだな。…ま、いいけど」 「………」 なんとなく馬鹿にされたような気がしないでもないが、意味がわからない内は反論する事も出来ない。 けれど、ここで反論しなくて良かったと後になって安堵する事になる。 俺は本当に鈍くて周囲の事を知らなかったようだ。 都築は、この学院内では結構有名な情報魔…じゃなくて情報屋だった。 情報屋と言うと、まるで金銭のやり取りをしてそうなイメージがあるけど、都築のそれには一切の利益が絡まない。 その時の気分によって、気が乗ればポロっと情報を与えてくれるという感じらしい。 それを後で知った時、1年でピアノ科5番の肩書を持つ都築が、俺とは違って何故嫌がらせを受けないのか、その理由がわかった気がした。 「向こうの生徒会は、こっちよりも普通の感じだっただろ?」 そう言いながら、俺の前の席に後ろ向きで座った都築に、咄嗟に言葉が口をついて出た。 「藤堂生徒会長って、どんな人?」 なんとなく都築なら知っているような気がしてついそんな事を口走ってしまったけれど、当の都築が一瞬だけ妙な顔をした事に気がついて、ハッと我に返った。 いくらなんでも知ってるはずないか。それに、聞いたところでどうこうするつもりもない。 突然何を聞こうとしてるんだ俺は…。 自分の行動に溜息を吐いた時。 「藤堂尚士(とうどうなおひと)。高等部二年生の普通科生徒会長。副会長の飛奈瑞樹(とびなみずき)とは家が隣同士で昔からの幼馴染。藤堂の家は躰道(たいどう)の道場をやっていて、今は父親が師範としてそこで教えている」 「………」 都築の口から、流れるように淡々と言葉が溢れだした。 思わぬ事に茫然としていると、更に言葉は紡がれる。 「藤堂は、見かけどおり硬派で実直な性格。困っている人間を無視して通り過ぎる事はまずない。そして飛奈の方は、やはりその見かけ通り優しく穏やか。二人とも普通科では絶大な支持を得ている。…そして…」 「そして?」 一呼吸置いた都築は、それまで無表情だった顔に珍しくニヤリとした笑みを浮かべて爆弾発言を放った。 「あの二人は、中等部の頃から付き合っているという噂がある」 これにはさすがに驚いた。 一瞬息を詰めた俺をどう捉えたのかはわからないが、都築はまた無表情に戻った後、 「…鈍いところを直さないと、いつか選択を間違えて痛い目を見るぞ」 そう意味深に呟き、席を立って歩き去っていった。 鈍いはともかく、痛い目…? いったいどういうつもりで都築がそんな事を言ったのかはわからないけれど、何故か妙にその言葉が胸に残った。 「川西君。あなたの字、もう少しなんとかならないの?これじゃ先生読み間違えちゃうわよ」 国語の授業中、小テスト返却の際に教科担当の松本が嘆くように額を押さえてボヤキはじめた。 テストを返された川西は、自分でも字が汚い自覚があるのか苦笑いをしている。 「確か川西君ってベートーヴェンが好きだったわよね? そんなとこは真似しなくてもいいのよ?」 「へ?」 川西の間抜けな一言は、クラスメイト全員の気持ちを見事に表していたに違いない。 真似をしなくてもいい? それはどういう事? 皆の顔にクエスチョンマークが浮かんだ事に気が付いたのだろう、松本は笑いながら事情を説明してくれた。 「あのねぇ、かの有名なエリーゼのためにって曲。あれ本当は当時のベートーヴェンの彼女であるテレーゼに向けて作った曲だったのよ。それがあまりにも彼が悪筆だった為に読み間違えられて、気付けば曲名はエリーゼのためにってなっちゃったの」 その話を聞いた瞬間、クラス中から笑い声が溢れだした。 あのベートーヴェンにそんな間抜けな事実があったとは…。 それよりも、テレーゼ本人はきっとあの世で『エリーゼって誰なのよ!!』と浮気を疑って激怒したに違いない。 そうやって皆が笑っている中、松本は溜息混じりに川西を見て、 「あなたも気をつけないと、ここぞって時に読み間違えられちゃうわよ?」 そう締めくくった。 微妙な表情をしている川西と呆れている松本。そして笑っているクラスメイト。 久し振りに流れた穏やかな空気に、自然と顔が緩んでしまう。 どんなに凄い人でも、ミスや失敗がある。こういう人間味のある話を聞くと、あぁ、本当に彼らは過去に一人の人間として生きていたんだなって事を実感する。 それに、チャイコフスキーなどは当時かなり酷評されていたらしい。 今となっては巨匠の一人とされている彼だけど、当時はそれとは全く真逆の人生を歩んでいたという。 目に見えている栄光の陰には、真っ黒な闇が存在していたとしてもおかしくはない。 なんとなく、そんな風に思った。 「起立、礼、有難うございました!」 午後。本日最後の授業が終わり、音楽理論担当の教師が教室を出ていった途端、教室内は一気に慌ただしくなる。 この直後に練習室を予約している者は楽譜を抱えて走り出し、教師に質問がある者は職員室に向かって走り出す。 俺は…といえば。 「19時の予約か…」 携帯のスケジュールを開いて予定を確認すると、今日の練習室の予約は19時に入っている事になっていた。 今は15時半。 ついいつもの癖で中庭へ…とも考えたけれど、この前の事を思い出すとそれもまた微妙。 でも、今まで一度も人に会ったことがない事を考えれば、あの時に藤堂さんがいたのは本当に偶然だったのだろうとも思う。 …という事は…、大丈夫、かな? 窓の外を見れば、気持ちが良いくらいの青空が広がっている。 それが決め手となった。 ネガティブな想像を元に自分の行動が狭まってしまうなんて、絶対にイヤだ。 そう思った瞬間、自然と体は動きだし、教室を出て中庭へ向かった。 6月となって夏が近づいたせいか、草花の成長は著しく色鮮やかさを増している。 風の中にどことなく緑の薫りが混じり合っているのが心地良く、深呼吸をすると胸の内側が浄化されるような気がする。 そんな事を思いながら、やはりいつものように誰もいない中庭にホッとして遊歩道を歩き、視界の端に噴水が見える位置のベンチに腰を下ろした。 視界が低くなった事により緑の垣根や低木が壁となって、校舎は端の部分しか見えなくなる。 この緑に閉ざされた誰もいない空間に癒しを感じるなんて、少し暗い気がしないでもないけれど…、たまにはこんな時間も必要だ。 そう自分に言い聞かせて目を閉じた。 どこかで声楽科の生徒が歌っているらしく、時折、風に乗って微かに歌声が流れてくる。 はっきりと聞こえないそれは、逆にどこかしら幻想的で、目を閉じている事も相俟って眠気を触発されてしまう。 次第に睡魔の誘惑から逃れられなくなり、そのまま体を横に倒してベンチに寝転がった。 大人4人は優に座れるベンチは、俺一人が横になるにはちょうどいい長さ。 そのままウトウトと浅い微睡みに身を任せた。

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