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sonata14
……
………――
どのくらいの時がたったのか…。
熟睡まではしなくとも、たぶん少しくらいは意識が落ちただろうと思えるくらいにはそれまでの記憶がなく、徐々に浮上してきた意識の途中で、不意に何かを感じ取った。
…影…?
閉じた瞼を通しても差し込んできていたオレンジ色の光が突然消え失せ、顔に当たっていた夕陽の温度も消え失せる。
そう…、それはまるで影の中に入ってしまったかのような感覚。
意識が浮上してきていた事もあって、ゆっくりと瞼を開けた。
「………」
「………」
まだ目の覚めきらない寝ぼけ眼の俺の視界に映ったもの。
一度目を閉じ、そしてまた開けても、それは変わらなかった。
「………え?」
「おはよう」
微かに笑いを含んだ落ち着いた低い声。
真横に立っている人物が夢じゃないとわかった瞬間、勢いよく上半身を跳ね起こした。
「…藤堂会長…、なんでここに」
寝起きに会うには刺激的すぎる起爆剤。驚き過ぎて、走った後のように心臓がバクバクと激しい鼓動を刻む。
いったいいつからいたのか…。
ベンチで眠る俺を見下ろしていたのは、今までに二度の面識がある普通科の生徒会長、藤堂尚士だった。
今、最も会いたくなかった相手でもある。
「なんでと言われても…。なんとなく、だな。」
「なんとなく…、ですか」
苦笑いにも見える笑みを浮かべた藤堂さんは、俺が起きあがった事で空いたスペースに腰を下ろした。
相変わらずの泰然とした様子に、少しだけ動揺もおさまる。
背もたれに寄りかかって目を閉じる姿は、普通の生徒がすれば眠っているようにしか見えないだろうが、藤堂さんだとまるで瞑想しているように見えるから不思議だ。
なんとなくここに来たというのなら、俺がいたのは本人にとっても想定外の出来事のはず。
という事は、俺はいない方がいいだろう。二人でいるところを誰かに見られたら、双方にとって不利益にしかならない。
藤堂さんの邪魔をしないよう、静かにベンチから立ち上がった。
待ち合わせた訳でもないのだから、目を閉じている相手にわざわざ声をかける必要はないと、そのまま歩き出そうとした、…が…。
「待ちなさい」
身を翻して歩き出そうとしたとことで、右手首を力強い大きな手で掴まれてしまった。
驚きに振りむくと、先程まで閉じていた目を開いた藤堂さんが、その鋭く静かな眼差しで俺を見ている。
「…な…んですか…」
「俺がここにいたら、迷惑か?」
「…あ……」
何故俺がここを去ろうとしたのか、理由を敏感に察した藤堂さんの言葉に二の句が告げなくなった。
下から見上げてくる力強い眼差しから、目を逸らせない。
そもそも俺は、この人の事が嫌いじゃない。それどころか、公平な目線で物事を見る事が出来るこの人を、心のどこかで尊敬していたりもする。
普通科と音楽科という微妙な対立がなければ、もっと親しくなりたいとさえ思う。
でも、だからこそ会ってはいけない。会ってしまえば、仲良くなりたいと思ってしまうから。
もし普通科のこの人と親しくなってしまったら、それはまた新しい騒動を引き起こし、そして木崎さんや棗先輩達に迷惑がかかる事はわかりきっている。
一人っ子の俺には、頼れる兄のように感じる藤堂さん。
そんな相手に対して後ろめたい思いを抱きながら話をするくらいなら、最初から関わりを持たない方がいい。
そう思った。
胸の内でそんな事を考えている俺を、藤堂さんは何も言わずに待っていてくれた。
急かすことなく、俺が答えを出すのをただ見守っているような眼差しがくすぐったい。
少したった後、またベンチに座りなおしたけれど、それでもまだ右腕の拘束は外されない。
「…藤堂会長の事が迷惑だとか、そういうんじゃないんです。ただ、俺は音楽科の上位者で、こうやって普通科の人と話す事は、…あまり許された行為じゃなくて…」
どう言ったらいいんだ…。
話しているうちに、関わらない方がいいと決めたはずの自分の意思が有耶無耶になっていくのを感じる。
それでも言わなければいけない。
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