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sonata17
§・・§・・§・・§
「響ちゃーん!」
…しまった…。
放課後。練習室へ向かう途中の廊下。
向かい側から走ってくる棗先輩の姿に、ピタリと歩みを止めた。そして180度踵を返して、たった今歩いてきたばかりの廊下を戻りはじめる。
「ちょっ、なんでいつも僕を見ると逃げるわけ!? それってヒドくない!?」
「危険回避の条件反射です」
「………」
剣もホロロの対応に、さすがの棗先輩も口を噤んだ。それでも俺の腕をしっかりと掴んでいるのはさすがだと思う。
溜息混じりの苦笑いを零すと、棗先輩は何故笑われたのかわからないようで可愛らしく首を傾げている。
いつも思うけれど、王子様的容姿を持つこの人の無駄に可愛らしい仕草はなんとかならないのだろうか。
ファンの子達の間では、それがカッコカワイイと言われているようだけど、俺にはよくわからない。
「よしよし、今日はお兄さんと遊ぼうねー」
「あの、今から俺、練習室の予約入ってるんですけど…」
「オーマイガッ…!」
本気なのか芝居なのかわからないけれど、棗先輩は額を押さえてヨロリとよろめいた。
ちょっと、笑いそう。あまりに大げさな反応に、ついつい顔が緩む。
「あ~っ! 人がショック受けてんのに笑うってどうなの!?」
「仕方がないじゃないですか、棗先輩がおかしいんですから」
「…おかしい…。…人気者の僕に向かって、事もあろうにおかしいって…」
「………」
まずい…、変なスイッチが入った。このまま付き合っていたら、練習室につく頃には予約時間が終わってしまう。
ほんの少しだけ申し訳なく思うけれど、背に腹は代えられらない。
壁に縋ってイジケ始めた棗先輩を放置して、そろりそろりと足音を立てないようにその場から立ち去った。
そして無事に辿り着いた先の個人練習室前。
「………またか…」
俺が予約したはずの練習室の前には、またも生徒達が鈴なりに群がっていた。
これが意味するのはただ一つ。
道を開ける生徒達の間を足早に通り抜け、防音扉を開けて室内に足を踏み入れる。
「遅ぇぞ」
「…………」
やっぱり…。
予測していたとはいえ、その姿が視界に入った瞬間に脱力し、後ろ手に閉めた扉に寄り掛かる。
「本当に毎回毎回…、なんで俺の練習時間を知ってるんですか」
「そんなの彼方に聞け。俺が調べてる訳じゃねぇよ」
「…棗先輩…」
さっき殴っておいた方が良かったかもしれない。
たぶん、わざわざパソコンで予約状況を調べて、逐一木崎さんに報告しているのだろう。
ストーカーか…。
「…っていうか、それで毎回来る木崎さんも木崎さんです」
「ぁ? なんか言ったか?」
「なんでもありません」
聞こえたはずの俺の独り言を聞き返してくる辺り、なかなかにイイ性格をしている。
でも、なんでだろう…。こうやって押しかけてくる木崎さんの行動をイヤだと思った事はない。
付属として、廊下にいる生徒達とその後の陰口を考えると物凄く憂鬱にはなるけど、木崎さん自身の事を憂鬱に思った事なんて一度もない。
目の前に現れたら現れたで警戒するのに、実際にこうやって一緒の時間を過ごす事が苦じゃないなんて…。
「…なんでかな」
「は? …ブツブツ言ってないで早くやれよ、時間がなくなるぞ」
「………わかってます」
この俺様ぶりも、きっと木崎さん以外にされたらムカっとくるんだろうな。
なんで木崎さんだと許せるのか…。
首を傾げながらも楽譜を持って椅子に座った。
「違う、そうじゃない。音を手の内側に集めろ。もっと音を掴め」
練習が始まると、木崎さんは教師達よりも厳しい鬼と化す。
空調が効いているにも関わらず、額に汗が滲み出てきた。
「流し過ぎるな、音が軽くなる。……あぁ、そうだ、その弾き方だ」
一瞬でも神経を他へ持って行った瞬間、激が飛ばされる。
そのかわり、木崎さんの言葉に食らいつけば、それ以上の熱心さで返してくれる。
ここ最近は、木崎さんとのこの時間が一番勉強になっていると実感している。
弾く事が楽しくて楽しくて仕方がない。音が体に染み込んでくるこの感じ。
音の世界に入り込み、無我夢中で指を動かし、そして最後の一音を弾き終わると同時に強い力でグイっと肩を抱き寄せられた。
「今のかなり良かったじゃねぇか」
「有難うございます。木崎さんのおかげです」
鍵盤から指を離し、隣に立って俺の肩を抱きしめている相手を見上げながら笑いかけると、不意にその顔が近づいてきた。
「…え…?」
視界が暗くなり、額に暖かく柔らかな何かが触れる。
…前にもこんな事があった。
離れていく木崎さんを茫然と見つめる事しかできない俺の頭を、大きな手でグシャリと撫でられた。
「早く片付けろよ」
「わ…かってます」
普段どおりに振る舞おうとすればする程、顔に熱が集まっていくのがわかる。
額にキスされたくらいで、なんでこんなに動揺してるんだ。木崎さんにしてみれば、ほんの挨拶程度だっていうのに。
確実に赤くなっているだろう顔を隠すために、俯きながら片づけを始める。
けれど、そんな俺の様子に気が付いた木崎さんが1人でこっそりと微笑んでいた事には、全く気がつかなかった。
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