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sonata18

楽譜を片付けて練習室を出たのは、次の予約者が来るまで残り一分となった頃。 間に合った事にホッとしながら木崎さんと一緒に廊下へ出ると、まだそこにいた生徒達が一斉に口を噤んだ。 その間を通り過ぎ、いつまでたっても慣れないこの妙な沈黙を気にしないように足早に歩き進む。 「お前、このあと時間あるんだろ? ちょっと俺に付き合え」 「え、…あぁ…、はい。わかりました」 時間あるんだろ? と聞いてきながらも、こっちが答える前に腕を掴んで引っ張る木崎さん。 いつもと同様に、“問いかけ”じゃなくて“強制”だ。 拒否が許されないなら、もういっその事聞いてくれなくてもいいのに。 最近ではそんな諦めさえ感じる。 そして腕を掴まれたまま連れて行かれたのは、なんの事はない、木崎さんの牙城でもある生徒会室だった。 「失礼します」 入る時にそう言った瞬間、先に室内へ足を踏み入れていた木崎さんがクッと笑った。 「中に誰もいないのにそんなの言う必要ねぇだろ」 そう言うけれど、こういう限られた人しか入れない場所に入室する時につい挨拶をしてしまうのは、一般人の性だと思う。なんとなく恐れ多い。 「まぁいい。適当に座ってろ」 適当にと言われても、この部屋には役員専用の机と応接セットしかないのだから、選択肢は1つしかない。 連れてこられた意味がわからないまま、とりあえずソファに腰を下ろした。 ここは何度来たって慣れる事はない。例え木崎さんしかいないとわかっていても、心の底から寛ぐ事が出来ないでいる。 特にする事もなく、ソファに座った状態で木崎さんの行動を眺めた。 生徒会の仕事が残っていたのか、自分の席に座って資料に目を通し、何やら書きこんでいる。 そんな様子を見つめながらボーっとしていると、不意に木崎さんが顔を上げた。 さっきまでとは違って笑いも何も浮かんでない素の表情に、不意打ちのような感じで一瞬だけ鼓動が跳ね上がる。 「…な…んですか?」 「最近、放課後にどこかへ行ってるらしいじゃねぇか。…随分楽しそうな顔で歩いてるお前を見た」 「…え…」 「…と、彼方が言ってた」 び…っくりした…。 見たのが木崎さんじゃなくて良かった。…と一瞬でも思った自分がわからない。どっちにしろバレてる事に変わりはないのに。 木崎さんと棗先輩の二人になら、中庭での事を言っても大丈夫だとは思う。 普通科との確執に関しては、周りが煩いから忠告はしてくるけれど、この人達自身の考え方は藤堂さんのそれと同じだとわかっている。 わかっているのに、心のどこかで妙な後ろめたさがあるのも否めない。 たぶん棗先輩にだったらサラっと告げただろう。だが、それが木崎さん相手となると、…何故か言い出しにくい。 適当に問いかけてきたのなら適当に答えたものを…。持っていた資料から手を離し、誤魔化しを許さない鋭い眼差しを正面から向けられてしまえばそれもできない。 何故こんなに言い出しづらいのか…。最近親しくなった藤堂さん相手でさえもこんな緊張感はないのに。 木崎さんだと、いつもどこかしら構えている自分がいる。でも、藤堂さんだと気を張る事も少なくて気分が安らぐ。 …もしかして俺…、藤堂さんに惹か…。 そこまで考えた時、ハッと気がついて一度頭を左右に振った。 馬鹿な…。何を考えてるんだ。そんなわけないだろ。 変な考えを振り払ってから目線を向ければ、木崎さんはそんな俺の事をいぶかしむような眼差しで見ていた。 「人に言えないような事でもしてんのか」 「違います。ただ、普通科の藤堂さんとたまに中庭で会って話をしているだけです」 「藤堂と?」 勢いに任せて言ったはいいが、途端に木崎さんの眉間に深い皺が寄せられた。 揶揄の笑みもない木崎さんの瞳は生来の冷たさを感じさせ、思わず息を飲んだ。 「…あの…、べつに毎日ってわけじゃなくて…」 「なんだ、アイツに惚れたか」 「そっ…んな事あるわけないじゃないですか! ただ、藤堂さんとはお互いに気が合うから普通に楽しく話せるし。…それに、この学校でこうやって気楽に話せる人には久し振りに会ったから…」 「だから、放課後になると嬉しそうに中庭へ出向くって?」 「嬉しそうって…。それは棗先輩の主観です! …俺は…普通にしてます」 「…普通ねぇ…」 木崎さんの冷めた声と冷めた眼差しが突き刺さった。 …どうして…、どうしてそんなに不機嫌になるのかわからない。俺がどこで何をしていたって、迷惑をかけなければ誰に何を言われる事もないだろ? 意味の分からない木崎さんに対してなのか、こんな事でオロオロしている自分に対してなのか、それとも、この学校の訳のわからない確執に対してなのか…。 とにかく、何に対してなのかわからないけれど、胸の奥から悔しさと苛立ちが湧き起こってくる。 腿の上でグッと握り締めた拳に力が入った。 「…他に用がないのなら、俺はこれで失礼します」 この場の空気に耐えられず、ソファから立ち上がって歩きだした。 もしかしたら呼び止められるかもしれない…なんて思っていたけれど、実際は俺が生徒会室を出ても木崎さんから声が発せられる事はなかった。 響也が生徒会室を出て行ってすぐ。 木崎は、苛立たしげに顰めた眉をそのままに、誰もいなくなった室内で堪え切れない溜息を深く吐きだした。 なんでこんなにイライラするのかわからない。 響也が誰と話をしようが自分には関係がないはずだ。 それともこれは、子供が自分のお気に入りの玩具を他人に勝手に使われてしまった時に感じるような、くだらない独占欲なのだろうか。 もしくは、お気に入りの物がいつの間にかどこかへいってしまった時のような小さな苛立ち? そのどれにも当て嵌まらない気がするけど、そうじゃなければなんなんだ。 ただひたすら面白くない。 藤堂と会っている事も気に入らなければ、それを楽しんでいるような響也の反応も気に入らない。 木崎はチッと舌打ちをすると、先程まで目を通していた書類を再び手にして、抑えきれない苛立ちを抱えたまま仕事を再開した。

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